「組織論 第3部」・・その3

・・「お知らせ」・・

このブログのほかに「HP」を作りました・・幾分か読みやすくするためですが、内容はほぼ同じです・・

 そして、これからの記述は「HP」の方へと移りたいと思いますので、関心のある方は、これからは「HP」の方へ来てください。

 

 URL   goldenhillweb.amebaownd.com   です

 

「第3話」・・「重層柔構造」の実践・・具体化を考える

組織の硬直化を防ぐための適正な形態が「重層柔構造」であることをこれまで述べて来ましたので、ここではその具体的な実践について検討してみましよう。

◎「重層柔構造」・・「重層構造」をつなぐ「柔」な小組織の具体・・

これまで述べてきたように、組織は自由フラットでも縦の秩序制でも不十分であり、この2つの組織の合体が望ましいのであるが、それぞれ相反する性質の組織の結びつきは難しい。そこで、どの組織でもこの融合のための工夫を行っている。今回のテーマではこうした工夫について検討してみよう。・・ポイントは、「対流」と「交流」である・・「意見対流」「人事対流」(上下対流)、「意見交流」「人事交流」(相互交流)・・

「CEOs」(執行グループ・・「管理職」という名称では組織員管理を主な仕事とすると思われるが現代の変動期の組織では「執行職」としての役割が大きいのでこの名称とした)・・組織のトップ集団であり、「構想」(「理念」や「組織の基本的仕組み」)について思考し、決定する組織であることから非常に重要な所です。しかし、それだけに権限が利権を生み、その利権の所有に特定グループが群がり、組織を食い物にする危険性があります。歴史上の権力者達が陥った道です。

古くは、この権力集団は、特定家族・親族、特権身分として過ちを繰り返したのですが、イギリスなどでの市民達が選挙による政権交代を常態化するシステムを作って、こうした過ちを防止することとなった。その結果、この新しいモデルが旧態モデルを凌駕して現代に至っています。でも、こうして現代化した組織でも、その内部には、やはり「身内意識」があります。それがファミリーだけであると旧体質すぎて淘汰されてきていますが、学閥・職域系列などは存在しています。そして、前近代的な血縁・地縁の人事硬直化から抜け出た現代的な組織でも、前述したように学校系列や職場系列での人事硬直化を起こします。系列は、その組織の制度や文化保持には必要なものですから全く否定されると混乱が起こります。このように単純に割り切れない、複雑系の状態が実際の経営では難しいところです。

そこで、通常の人事は、制度や文化保持のために、執行組織の周辺にいる人を順次入れ替えるのですが、・・その方が安定性があるのでそうするのですが・・系列化が新しい状況対応に効果的でないと思われるときには、系列外からの人事配置となります。・・前回の話題提供で述べたように、これを日下公人氏は「人事破壊」としています・・ただし、このような破壊的人事劇は頻繁に行うことは危険度の高いことなので、賢い組織はそれなりの工夫を行います。これが、「柔組織」の設置です。執行組織に「TT:シンクタンク」を付属させ、そこからの「意見対流」を行い、情報と知識や理論を活性化します。また、外部組織からの人材を「人事交流」として社外役員などとして迎え、アドバイザーとして「意見交流」を図り、より幅広い所見を得るようにしています。さらには「PT:プロジェクトチーム」による活力ある提言、「TP:サードプレイス」での自由な意見の対流と交流も望まれることです。

このような工夫が行われない組織では、先の言葉での「責任感で安定した組織が、速くも官僚化に向かう」こととなります。・・これについてはこれまで多くを述べましたが、ポイントは「責任感・・自己防衛・・規格人」という組織文化や人の意識の変化、それによる「組織の硬直化・・新企画は無し・対応力は弱い」の状態です。・・こうした状態の組織ではハードランニングに追い込まれることとなります。

☆「TT・PT・TP」に関わる「工夫の具体」について見聞したものを述べてみましょう。

~組織内での自由提言を核にして、そこに賛同者が集まり、認知されれば「PT」が結成される。また、「TP」もこうした提言から設置される。・・・この承認・認知は執行役員や組織中堅役員が「TT(シンクタンク)」での検討を参考により行われる。~

・・具体的な方策はささいなものですが、このような「TT・PT・TP 柔組織」での活動が組織員の活性化を進めることとなりますし、こうした方策が提言される組織(ここでは学校)のあり方そのものが「柔」構造でもあるのです・・

*「TT・PT」への生徒会の参画構想~学校経営のある場面(生徒・学生行事)には生徒・学生の代表者が参加している・・「人事対流」がここまで進むことと改革・改善は進む (TT・PT)

・・このためには日頃からの「TT」での生徒・学生代表の研修・研究が求められます・・

*「金魚育成プロジェクト」~ある学校では10年来の育成を誇る  (PT)

・・「10年飼育」の奥にある職員・生徒・保護者の参加と連係した協力・その尽力がその奥にある良好な学校組織だ・・

*「間引き苗」育成計画~障害児学校での花壇作成・・ (PT)

・・植え付け時に,指導の庭師が不出来苗を選別して捨てるよう指事したが、生徒達が涙する(「私達みたいだ」と)・・そこでこの苗を育成するプロジェクトを結成した・・

*「エントリー制掃除担当」・・希望者による掃除担当の分担・・義務ではなく,学校への愛着・愛校心から主体的に掃除をしようとするしくみ造りである・・(PT)

*空き地での野菜畑プロジェクト~学生・生徒が自発的に校内の空き地を畑にした  (PT)

・・当初は許可なく行っていたが、「企画書」を提出することで認可されたプロジェクトとなる・・

*夏休み花壇水遣りプロジェクト~小学校生徒(児童)・保護者が夏休みに輪番で学校花壇に水遣りに・・その時に家のクーラーは切って外出の約束をすることで省エネにも・・(PT)

*家庭クラブ弁当作成プロジェクト~地域農家との共同により弁当の販売・・学校行事の時に、参加者から注文を受ける・・「地産地消」の弁当造りの取り組み・・(PT)

*卒業生残し靴・体操服の援助ボランティア・・生徒会が実行 ・・(PT)・・残された靴やジャージの再活用・・途上国への支援へ・・

☆ブログ用「組織論2②シート」

*「生徒作品オークション」・・生徒達の作品を売り出し・保護者や地域の人が購入・・生徒会費に納入(アメリカンスクールでの発案)  (PT)

☆「TP:サードプレイス」(「自由な第三の場」)関係

*「言いたいこと飛行機」・・自分の本音を書いた紙を飛行機にして飛ばす大会・・(PT・TP)

・・「夢・希望」「困ったこと・訴えたいこと」「感謝の気持ち」を紙に書いて飛ばす・・匿名自由である・・(「アンケート」より本音が出せる,明るく広い気持ちにもなれるかもしれない)

*「自由喫茶室」や「コーヒー飲み場」=保護者・OB・OG、職員の自由参加・自由発言が促される場の設定・・「斜めからの目線」となる・・東京S区W中学校  (TP)

*「組織内ニックネーム」=「公式ネームプレート」の横に「ニックネーム」を記して,一定日・時間には自由な人間関係でのコミュニケーション・・R製薬  (TP)

*「職場対抗運動会」・・綱引きチーム結成・・職種・階層を超えたグループの結成・・職場の風通しが進む ・・D工業  (TP)

*「フラット机での事務業務」・・円型机・役職に関わりない椅子の配置・・その日毎に役職に関わりなく自由に座る・・相互コミュニケーションが緻密判断・決定も速い ・・M工業 (TP・PT)

*「組織内ニックネーム」=「公式ネームプレート」の横に「ニックネーム」を記して,一定日・一定時間には自由な人間関係でのコミュニケーションを行う・・R製薬・・(TP)

*「黙示啓発・内発(教育)」=事業所・学校での,玄関・庭園・廊下などに自然物・文化物などを設置や掲示する・・「ものは言わない」(「黙示」)がそれとなく雰囲気として啓発するもの (TP)・・   花木や俳句・川柳,絵などの展示。それには,建前的なものではなくより内面的なものに。・・(G高校では売店が主催する「売店川柳会」 *「『誉めカード』発行・掲示  *「『さしすせそ発言』プレート」(さすが・知らなかったよ・すごいな・センスいい・そうだね)設置など

*「学校ネコ」や「学校犬」などの飼育・・有志責任グループによる飼育を前提として責任を持たせる。(C生徒会からの自由発案・・残念ながら実現はしていないが・・)

スライド4

*「理想の職員室」プラン・・10年前の希望プラン(「図を参考」)であるが、ここではフォーマル(通常の会議室で公的な業務執行)とインフォーマル(小会議室で自由さとフラットさで本音的な相談が可能)の調和が良い・・

(補足1)重層柔構造組織(知恵・予見・提言のある組織)」の具体・・物語風

~「ある重層柔構造組織でのAさんの活動から考える」~

Aさんは,昨日から気にかかっていた問題について自分なりに考えて,まず,朝の顔合わせで,同僚のBさんに,昨日の課題の疑問点と自分の感想と意見を述べて,自分の対応の仕方を相談しました。その際に,彼女も同僚のBさんも,まずは組織のルールを意識しての公式的な対応を想定しながら思考して一応の解決策を出し,空き時間に上司であるグループ長のCさんに報告し,午後のグループミーテイングにそれを提示し,グループ内での共有化を図ることにしました。

そのミーテイングでは,当初は,皆がそれを妥当だとして承諾しょうとしましたが,Eさんが「ルールではそうなのだが,何か腑に落ちないのよ」と言い,自分の疑問を述べ始めたのです。実は,Aさんも,心の底では自分の出した対応策に納得はしていなかったのだが,当事者としてはそうした疑問を言い出しにくかったのです。この件は,組織のルールのあり方に関わることにもなり,この日のグループ会議では結論が出せず,「シンクタンク」に検討を提起するよう,グループ長のCさんは執行役員のDさんに報告と相談に出向くこととなりました。

そこで,翌日「シンクタンク」の会合が招集されました。このシンクタンクは,組織内の人事配置・性別・年齢構成をある程度考慮して形成されており,組織のミッションの作成や検討を担い,またマネジメントのやり方についても現場からの提言を受けながらそれを検証する権限を持つものです。この「シンクタンク」からの提言はトップ層である執行役員も尊重して,組織改善に努めます。この任期は3年です。実は,Aさん自身も昨年からこの会の若手メンバーに選出されて,これまで様々な研修や研究を行ってきております。Aさん自身は,自分の専門は言語学ですが,歴史的な古典的な文献や将来予見に関わる本を紹介されて読んできました。そのお陰で,幾分視野が広がったようにも思いますが,まだ30歳,仕事経験はある程度はありますが,人生経験は充分ではないために,それほどの確信があるわけではありせん。そのため,ついつい先輩の理論と経験からの判断に追随しがちになるのですが,その「シンクタンク」には,この組織外からも2名のメンバーが来ており,とかく内向的・主観的な議論になるところに外部からの客観的な視点から議論を大きく広げるための意見を出しますので,Aさんも別な思考と判断について知ることが可能となっております。現状の勤務の関係で,現役者を2名そろえるのは困難で,そのうちの1名はすでに退職して勤務はフリーな人ですが,それはそれなりに時間軸を広げる役目を担っております。

また,この組織では,「シンクタンク」だけでは,どうしても思念型になりがちなので,現場からの実践とそれによる提言を明確にできるよう,「プロジェクトチーム」の育成も推進しています。これは,日常の業務の中での改善策や新しいアイディアの試行を行うものですが,これにはそうした策やアイディアを提唱した人が中心となり賛同する人がメンバーとなり結成されたものです。ここでも,組織の既存のルールにも挑戦する思考も許され,実践については執行役員の許可を得れば試験的に行うことも可能なのです。Eさんは,自分でこのプロジェクトを立ち上げた人で,現場での自分の思いや感性を重視するタイプの人です。                         さて、先の提案を受けて、「シンクタンク」は,これまでの組織ルールでは充分な対応ができないことと判断し、一部の組織改革を行うことにしました。それにより、Aさんも現場対応の活動がとれるようになりました。

この組織が画期的なのは,「建前議論で人を縛らない」ことを重視していることです。「参加者がそれを納得する過程が組織の強さである」と認め、「建前だけでは本当の納得ではない」ことにも気付いています。それには,当然その前提として,「建て前」としての組織のミッションの意義と役割を尊重し,そのミッションが空洞化しないためには,その内実の充実が必要だという組織的意思が組織のトップ層にあるのです。彼らは,自分たちの組織が行う仕事が社会に持つ意義と役割をいつも検討して,そのための組織制度はこれが最善であると自信を持てるだけの日々の検討を繰り返しているのです。この執行役員たちトップ層のこうした自信の裏には,先ほどの「シンクタンク」や「プロジェクトチーム」の活動との連係があるのです。

実は,この組織も,これまでにはそれ相応の道程がありました。組織の建て前のミッションさえなく個々人の思い思いで,参加者の「数の論理」でものを決めていた時期。その後,その反動で,トップ層が「専一的」に判断・決定し,トップダウンしていた時期。この「2つの痛い失敗」(「大衆迎合型」と「トップ専横型」)があったのです。

しかし,その後,この組織はこれらの失敗を糧にして堅実・健全な組織改革を行い,数々の工夫もしてきました。大きな組織改革はこれまで何度の述べた「重層柔構造」の制度と文化です。そして,この重層柔文化を日常に定着するため,つまり,「組織と自分」の両立を意図して,組織員のネームプレートにも工夫をしています。それは,公式職名と併せて組織内ニックネームを併記するものです。公式の仕事関係は役職名と本名で呼び合いますが、「TP」の「場」では、組織ルールとは異なっていても自分の「本音」からの思いを述べますが、その時にはニックネームで呼びかけます。時々混同も起きますが,最近は大分定着したようです。「TP・第三の場」としての喫茶室では,ニックネームを使っての自由な意見交流・対流が行われていまので、そこでは,「実はこんな場面を見たのだけど・・」「皆は000だと言っているが,本当に皆そう思っているの?」「今こういうことだけど、もっとこうしたら良いのでは・・」などの,気付きや意見が出しやすいのです。そして,案外とこうした会話が,組織内の「常識的見方」や「無理やり合意」(これにはトップからの抑圧と同僚からのピアープレッシャーによる自己抑制から起こります)の問題点を明らかにします。このお陰で、裏で行われていた陰湿な仲間外しも明らかになりましたし、数人の下積みの努力も顕彰されました。

そして,こうすることによって,「第一の場」(公的職場)での討議が,逆に明確になってきました。この場では,職名と立場を明確にしたうえでの議論となるのですが,「第三の場」での本音トークによる一定の納得の上での組織ルールの是認となっていますので,これまで以上にこの組織ルールの尊重意識は高まってきています。もちろん,ルールや組織決定への疑問があればまた,それなりの本音トークを行い,一定の方向が出れば,公的なルートで「シンクタンク」での検討を進めます。このような柔軟組織運営が保証されていることから,組織への愛着と信頼はこれまで以上に高まっています。

そして,こうした組織の制度と文化は,他の下部組織(「企業なら関連組織」,学校なら「生徒会組織」・「保護者組織」)にも適用します。そうすることで,この下部組織が活性化し,そこから新しい提言が出てきますので,組織全体としては大きな力量アップになりますし,外部対応の機能化はもちろん内部敵対行動や不祥事などが事前に解消したり防止できたりして,危機管理能力が高まります。

(補足2)「VSOP表」:「人材育成」とその到達評価について次の表を参考にして欲しい。

~ VS段階では,「人材」育成レベルであるが,OP段階となると次第に「人(人格)」育成の要素が強まっていく ~

教職の仕事力の成長・・『研修から学習・研究』へ」・・生活と学習・経営領域での検討・・

成長段階 職員資質成長課題 生徒指導・生活文化,生徒会の育成力を身につける 学習文化の育成力を身につける 組織経営力・他組織との連携力を身につける
Ⅳ期

50歳台

人間性・大きな見地から仕事に取り組む

◎「生活文化習熟」

講話・説話ができる

◎生徒には「許す・「受け止める」内面的な対話力」・・「心の背景へ」*問題生徒の受容と指導*後輩教師の指導

「学問からの発想」

◎真理探究・仮説設定力などの「学習文化」を育成する・「学習講座」が開ける

◎「自作参考書」「学習指導書」の発刊

◎「長期展望人間育成からの発信」

*人が育つことが実績に繋がることの把握・発信

*「組織論」「人間論」に関わる著述・講師を務める。

Ⅲ期

40歳台

グループのリーダーとなれる

◎「生活文化指導」

茶と華の基本指導

◎生徒には「諭す」・「つながり作り」「心へ」

◎「生徒育成の理論と実践」の指導 *主任的な役割・研究会・研修の講師に

「学問探究と学習の合体」

◎学習理論の奥行き作り

理論研究の推進

*「自作問題集」の発刊

*「研究誌に小論文を」

「学習研究会」の立ち上げ・リーダー

◎「経営全体からの発信」

*経営理念とマネジメントの力量=「理念・組織制度・人・環境」の総体から考え,組織総体での改善策を提示することができる。

*研修のチーフとなる。

Ⅱ期

30歳台

専門職の意志と技能を深化

◎「生活文化修得」

「叱る」・「語れる」

*生徒への対応・・明確なnoとyes

「態度への関心」

◎「生徒会・クラス育成理論を学ぶ」

*理論的研修=読書,先輩・上司と連携

「教科10年の後期」

◎「学問探究」の継続

教材開発力と学問研究の一致

*「自作サブノート作成」

「教え方・学び方研修」

*学習心理・評価・組織論の研究,質問できる勇気

◎「経営合理からの発信」

*理念構想の検討を行う。(組織総体のあり方の研修・古典の智恵・他校研修)*経営的視点=投下量と成果関係を理解(「マネジメント系の理論研修」)

*講師として,問題点の改善案を提起できる。

Ⅰ期

20歳台

職業への情熱と先輩・同輩から学ぶ姿勢

基本的な職業技能を修得

◎「生活文化修養」

礼儀・清掃文化の修養・校歌習得

◎生徒の中に入る「率直に怒る」・「共に汗を流す」*生徒に率直

「行為への関心」

◎「生徒会・クラス育成の実践研修」

*実践しながら理論を

「教科10年の始まり・とにかく学ぶ」・・教えることは学ぶこと

◎「勉強と学問との両立を」・学問を忘れない

*大学時代の書物を保持*教科書・参考書を徹底学習

先輩教師から学ぶ・・徹底質問できる素直さ

◎「経営への関心・発信への意欲」・・仕事の構造を理解する

*組織は,「理念・目標・制度・人・設備・資金」からなることの理解

*仕事と職場を好きになる

*現場への溶け込み・学び

      V:vitality   S:specialist   O:organizer   P:personality

 

 

「組織論」第3部・・その2

「第2話」・・「組織改革への道」を探る・・

~ H県 Ky委員会の「人事破壊」から考える ~

 

「組織硬直化と官僚化への対応」

前近代的な血縁・地縁の人事硬直化から抜け出た現代的な組織でも、前に述べたように学校系列や職場系列での人事硬直化を起こしますが、この状況への対応としては、これまで既に「組織論 第1部・第2部」で述べたように「重層柔構造」の組織改善が求められますが、もう一つは、「人事破壊」が有効だというのが識者の意見です。この「重層柔構造」については後で述べることとして、まずは「人事破壊」について考えてみます。

1:「人事破壊」について・・通常人事の激変ということ

日下公人氏はその著『人事破壊』で、系列的な人事を一旦止めてしまうことが組織改善には必要だと述べています。系列人事を止めるということは、組織の継続性を求める人事を止めて他の場からの人材登用を行うことです。彼は、この著書で「人事破壊第5波・・先端分野は人本主義」として、組織の最先端を切り開くのは、機械でも半導体でもないし、もちろん立派なオフィスでも金でもない、人間の力であると述べている。その「人のあり方」を決めるのが人事であり、その人事が硬直化しない取り組みが組織改革の要であることは間違いないのです。・・人事の硬直化は、古くからの、血縁では「身分制」、それに地縁などの要素が入った「門閥制」、これらの改革としての学校教育であったが、そこでの固定化で起きた「学閥」、さらに、より現代的に学閥を越えた職場仲間であったがそこでの仲間意識が固定化した「職場閥(仲間縁)」があります。

現代的な人事は、身分でも門閥でもなく、さらには学閥さえも超え出た段階に来ていますが、職場での系列化での固定化は起こりうることです。ここでの人事刷新は、それだけに、職場閥を超え出たものとなります。こうして系列外から迎える異質な人材は、俗に言う「ヨソ者・若者・バカ者」(ハズレ者)からの人材で、彼らは、これまでの因習や慣例から離れ、対応事例をニュートラルに見ることができることから、斬新な発想と企画が出てくることが期待できると考えられるのでしょう。身近な例では、このたびの広島県教育委員会の教育長人事がこれに当たるだろうと思われます。確かに、今回の教育長は県外からの人材であり、教育者としては教員経験が少ないことや、40歳台という若さ(教育界の管理職人材では・・)です。また、「バカ者」というのは「大賢は大愚に似たり」の「愚・バカ」の意味であり、深い慧眼さの意味だが、まだ未知数ながらそう見込まれているのであろう。そして、もう一つの目玉人事であるGJ校(グローバル人材中高)の校長人事も同様な発想からの人事異動が行われたようです。

これらは、硬直化的になりがちな系列人事への批判としてインパクトを与えることでそれなりの意味があるといえよう。しかし、系列の破壊に伴う組織的な危機も起こりうる可能性もある。スクラップとビルドは、現実に機能している生身の組織では同時に行われなければならない。系列人事の長所(継続性)は改善・改革しながらも継承されなければならないと考えます。

さらにまた、組織改革は人事だけではなく、システムをふくめた大きなものでなければならないものだと思われます。

2:「重層柔構造」の検討

この組織改革については、第1部・第2部でも論じてきましたが、この第3部でもさらに検討してみましょう。

◎「組織の構造」

ご了解されているように、組織には自由フラット型と秩序階層型の2つがあり、組織が機能するには、自由フラットなものだけでは不完全で、秩序階層的なものが必要となります。しかし、この2つは相反するものであり、ときには対立を引き起こします。現在でも、自由フラットを基調とする協働組合的組織と秩序階層制を重視した経営管理的組織は対立構造となっています。学校や地域での小さなクラブ・サークル活動でも自由型と管理型とはときに対立します。でもこの両者を融合しなければ組織はうまく機能しません。どちらか一方に傾きすぎると組織が崩壊することも多くの事例で了解されるところですし、皆さんも経験されていることだろうと思います。そこで、この2つを結合した組織(「重層構造」)が必要となります。また、この2つを融合するためには柔軟な接合が求められますから、柔軟な接合の工夫が必要です。これが、「TT:シンクタンク」「PT:プロジェクトチーム」「PT:サードプレイス」のミニ組織です。

今回の広島県教育委員会での人事施策も、このような組織の総合的な改善・改革にまで至らないと成功しないのではないか、そして一過性のインパクト寸劇に終わるのではないかと思われます。是非とも、人事刷新が次に緒述べるような「組織改革」にまで至ることを期待したいと思います。

*「図式・・重層柔構造」

スライド1「説明」・・1:「身体構造」は次の3組織です。

*「TT」は,「現場からの一定の選抜によるメンバー」からなり,組織の「構想:GD」の立案・提言に関わり,「先人の知恵」「未来予見」「現場提言」の探究など知的な活動に従事します。彼らの意見・提言は組織トップ層(「CEO」)が尊重することの約束が「制度」として明文化されることが求められます。

*「PT」は,「現場からの自主・自発的エントリーメンバー」からなり,アイディアの発案者が中心となり,「TT」に提起し,「CEO」の了解を得て活動します。「TT」がやや理念的になりがちな時に「PT」が現場的な発案・行動を行いますので,両者は両輪といえるでしょう。これも「制度」として確立される必要があります。

*「TP・第三の場」は,公的と私的の中間の場という意味の言葉であり,まるっきりのフォーマルな場でもプライベートな場でもないことから,仕事に関わる「本音」的な発言や提案が可能な場となります。この「場・時」を,組織内に位置づけることが求められます。

2:「精神構造」・・身体構造を働かせる「組織文化」(環境・雰囲気など)のこと

*まずは、安心・受容の環境・雰囲気作り・・受容のための「和顔愛語」(微笑み・「さしすせそ」の受容言葉など)

*自由・創造の環境・雰囲気の育成・・自己主張と組織革新の意見尊重(少数者の意見の保証など)

・・安心と創造は、やや相反するのでその使い分けの工夫を・・例えば「幼児期には安心を、少年期には自由と創造を」というように組織への馴染み度合いなどの考慮から組織文化も重層型の工夫を・・

 

◎「組織改革の構造」

これについて補足しますと、組織には「ハード」な領域と「ソフト」な領域とがあります。(マッキンゼーの「7Sモデル」参照)

ハードなものは「戦略・組織・システム」(英語の略文字をとって「3S」)であり、本論では「制度」として展開しているものです。これは「形態」として見えるものですし、「構想:GD」でも明示できるものです。この設計には、組織執行役員が中心となって造るもので、組織の基本身体・ボディーとなるものです。

これに対して、ソフトなものは「人材・スキル・スタイル・共有価値観」(これも、英語の略文字の頭文字で「4S」)で、本論では「組織文化・個人意識」として展開しているものです。これは、なかなか可視化できにくく,つかみにくいものですから、一度根付くと変えにくいものです。それはまた、個人意識の底にある「個々の価値観」や「感情」さらには「利害関係」ともつながっているものですから根深いものでもあります。これは、組織身体を支える「血流と神経系」といえるでしょう。

組織改革は、この全体像に関わるものなのですが、今回の人事刷新で何らかの企業文化の刷新が行われてくるのか、さらにシステムの改革にもそれがおよんで「柔構造」への変革が行われるのかこれからの動きに期待したい。

*「7Sモデル」

スライド6

「説明」・・先のシート「重層柔構造」での、「身体構造」に当たるのが「ハードの3S」で「精神構造」に当たるのが「ソフト4S」である。ハードの身体構造は可視化できてその改革も確認しやすいものだが、ソフトの精神構造は見えにくくつかみにくいものである。それだけに、何か問題が起きても3Sの改善・改革に向かい、なかなかは4Sの見直しには向かはないものなのである。

◎「人と企業文化」

ところで、「7Sモデル」では、「共有価値観」を「企業文化」との下部として捉えて、「個々人の価値観」を共通の価値観につなげるものとしていますが、本論ではやや個人意識の本源を重視しています。「個人意識」が「組織文化」に従属するものとする方が「安定」や「責任体制」の確立には効果的ですが、これだけでは、「規格人」への危険性があります。また組織の硬直化ともなります。組織の活性化には、やはり、個々人の思いの根源への掘り下げと、そこからの再構築が求められるように思います。

その「個々人の思い」には、さまざまな「価値観」があります。例えば、やや古典的(それだけに基本形)にはなりますが、E.シュプランガーによると「権力・経済・社会・審美・理論・宗教」の6タイプがあるということです。他にも、「正義・愛・自由・安定・学習・貢献」などの分類法もありますが、要は、個々の価値観は様々であることです。そして、これらの価値観は時には相互に対立することも多いのです。このような対立軸を種々に持った人の集まりが「一般的自然組織」です。だから、国や自治体の政治は難しいのです。学校も、公立学校はやはり難しいのです。高校段階以降となると、その組織は「合目的的組織」となりますので、参加者の価値観は共通化してきます。(例えば、農業系・工業系、普通校でも理科系・文科系など) さらには、企業組織となると,もっと価値観は共通化してくるでしょう。しかし、それでも微妙な価値観の差はありますので、これらが出せて互いに調整(ある意味では妥協)できる「場」が必要です。

さらには、個々人の成長のためには、また組織の成熟のためにも、個々人の価値観の自己検討や他の価値観の研修が求められます。このような学習は、トップダウン型の研修では不可能です。そうではなくて、できるだけ内発型で行われることが、求められるのです。成熟段階での組織の充実にはこのような学習が必要なのです。

そのためにも、前述のように、「ハード3S(戦略・組織・システム)」では「TT」「PT」「TP」の「場」の設定を明示化し、その柔軟小組織の中で、「ソフト4S(人材・スキル・スタイル・共有価値観)」での「柔軟性のある相互人間関係」のための「組織の精神文化」に注目し、「掘り下げ型」の研修や学習とそれによる「内発」の意識や文化の学習が求められます。

◎「人への注目・・研修から学習へ」

先のシュプランガーの6タイプに絡めて考えれば、教育や福祉的な組織に参加する人の価値観はそれなりに共通性があるでしょう。少なし、「権力」や「経済」をトップにおいた人は少ないでしょう。それであるなら、彼らへの職業能力向上のための誘導剤(インセンティヴ)が給与操作ではないはずだろう。「社会」「理論」「審美」的な事柄への関心が高い人に対してはそれらに関わる何かの方法を思考する知恵が必要なのではないだろうか。例えば、「顕彰」や「研修機会」などを用意するなどの工夫が求められます。

また、そうした「社会・理論・審美」の価値観を前提とすれば、これらはその内容は個別的要素の強いものであるから、単純な共通性の「権力・経済」(組織の身体構造)でひとくくりした全体研修では組織員を納得させられないことが了解されます。「社会・理論・審美」では、個々の内面からの発露と相互納得の学習が求められるのです。これは、先に述べた日下公人氏の「人事破壊第5波」の「人本主義」に通じるものとなります。19世紀・20世紀の「組織の時代」が完結して次の時代が出現して来つつあるのかも知れない。これまでのように、「研修体制」を確立し「組織の重要性」を上から説くのではなく、「人の生き方」と組織とのつながりを掘り下げながら思考する「学習形態」が重視されるものとなるだろう。

これまでのような「組織ありき」から「組織の鍵は人」として「人材」の根源を「人」から掘り起こす組織が21世紀型となるのでしょう。・・それは「組織のプロセス論」(「会社は夢で始まり情熱で大きくなり、責任感で安定し官僚制でダメになる」)での、組織の成長過程の「夢と情熱」へと再度回帰させることになるのでしょうか。

*「組織制度と人の是認と育成」

スライド1「説明」・・「研修と学習」

◎「積み上げ」 ・・研修・・*「個人力量UP」・・一般にいわれるように、学校では、「有能」になるように「知識や技能の増加や高まり」を学ばせる・・これが「学力」とされ、学力向上が課題となる・・「順位や偏差値」は重要課題です 。 *「組織協力UP」・・個々人の思いを統制的にまとめて協力体制を作ると組織力は増す・・「統合の理念」を学ばせる研修が役立つ ・・しかし、積み上がらない状態に必ず直面する・・それは・・*「個人力量」では、その学び方が結果重視の短絡的なもので、知識・技能の奥にあるルールやしくみのまで到達していないことから限界が来る。  *「組織協力」では、個々人の思いを抑圧して、組織理念や指示に無理やり合わせてきたこと(「組織従属規格人」)の限界から起こる。

◎「掘り下げ」・・学習へ  ・・*「知の掘り下げ」(探究)が必要だと分かると学力はさらに前進する・・(これが「学習論」の要点) * また、協力では、「心の掘り下げ」で、自己成長の限界や社会体験での負け体験、自己抑制の限界などの「挫折」 体験を経て、真の自分を発見する(それは他者の発見でもある)ことで、協力態勢が進む。

 

・・第2話  終わり・・次は・・柔構造の具体例について検討したい・・

 

 

 

 

☆ 第3部 「組織論」・・・その1

 ブログ「第3部」を始めるにあたって ~ 

 今年古希を迎え、人生のほぼ終了期の始まりとなりました。古代インドでの区分けでは、古希は、林棲期(家庭・仕事の暮らしを引退し森で暮らす時)から遊行期(人生の最後の旅)に向かう齢だそうです。現代の平均寿命からすると古希はまだ未練がある歳で、私も人生を悟ることはないのですが、そろそろ限界点が来るだろうとは思っております。

そこで、これまでの仕事の一定の整理をしようとの思いで「ブログ」を始めました。この中に自分の思考・実践したことを書くことで、もしかして後世の人に何かの役立つことがあれば幸いだとやや純粋に思えるようになってきました。

もし、このブログの内容を40歳台で把握していれば子供に伝授できたのですが、60歳台にやっと体系立てた叙述が可能となってしまいました。孫達に直接に「面授口説」で伝えたいと思うのですが、まだその歳にはなっていませんし、孫達がその歳になった時には私の方が怪しくなっています。そこで仕方なく「文授筆説」(?)としての「ブログ」ということになり、また、伝える人も孫世代の子供や彼らを導く親や指導者の多くの方にも拡げたいとも思うようになりました。

「ブログ」は提示する方も受け取る方も、互いに意見も感想もなしという状態にすることで、自由な関係が保たれるようです。本やCDなどでは、双方の関係が明確で押しつけがましくなります。(時には本をお渡しますが双方自由な関係は要りますね・・この紙をお渡ししても同様です) 

もしそういう自由な関係で、このブログを読まれようとする方は次のアドレスに来てみてください。

・・「goldenhillweb.wordpress.com」・・Googlです

   「思考力入門」(「学習論」「組織論」)です

なお、読みやすいのは「第3部」からです

                     金岡 俊信(goldenhill)より

第3部 「組織論」・・その1」  

・・なお、第3部のテーマは個別にしますが、内容は1部・2部と重なりますのでその点はご容赦ください・・また、その意味では、1部と2部は小難しいのでこの3部からお読み頂いても内容としては同等です・・

 

今回のブログ・・「組織の盛衰」から人事を考える

・・今回のテーマでは、『組織の盛衰』(境屋太一)、『人事破壊』(日下公人著)を参考に「H県K委員会人事交替劇」を考える・・ 

「会社は夢で始まり,情熱で大きくなり,責任感で安定し,官僚化でダメになる」

                                                                                      坂本幸雄(元 エルピーダメモリー社長)

この言葉と似たようなものとして,「築城3年,落城3日」というものもあります。私達人間は,人が互いに集まって組織を作りながら生き抜いてきたのですが、しかし,この組織が終末期になると、人を追い詰めていく。創成期の,活き活きとした人々の集まりが,それなりの混乱と内部対立期を経て,組織的発展をして成功するに従って,この成功体験にすがった指導層の硬直化で、組織の官僚化が進み、人が活き活きと生きられなくなってくるのです。先のこの言葉は、それをうまく表現していて、ある先生から聴いたときにすぐに耳に残りました。

様々な組織の関わる問題を考える場合にも,こうした組織の在り方の変化から検討してみることが必要と考えます。例えば,かつて私の所属していた「学校組織」では、いじめや不登校,各種ハラスメントへの対応,さらに外部からの危機への対策が、組織的な欠陥(内部連係の不足や形骸化した対応)により混迷に陥る場合があります。組織が有効に機能するようにするためにはどうしたらよいのか,組織の人間関係の「しくみ」(システム)とそこでの「人間存在」(文化・意識)から検討してみたいと思います。

「第Ⅰ話」・・・「組織とは」

~人はなぜ組織を作ったのか、そしてその組織がなぜ人を活かせなくなるのか~

 1:組織のはじまりから成長・発展

 人は孤立すると弱い。今、人口減少で多くの地方が孤立した老人問題を抱えている。それでも、現在は文明利器(この奥には「人間集団がある」)のお陰で、一人でも生き延びられる。もし、遙か昔、人間集団が文明の利器を生みだしていないときのことを想像すると、この自然の中で孤立して生き延びることは難しいと思えます。

「図式・・組織の成立と発展・人の意識」スライド4「説明」・・組織の始まりは、ただ集まっただけの「集合」段階で、そこでは人は「個人」としての自主性を持つがまとまりがなく、組織的決定や他の集団との競合では弱い。そこで自分をある程度抑えて一定のまとまりを持つ「集団」へと転換が行われる。さらには、この集団を明確なルールと約束によって機能的なものとすれば「組織」が成立する。この段階で組織は大きく成長し、人は「人材」として組織対応力を持つ。だがこのやや成功した段階では組織は保身的になりがちで硬直化が進みます。そこでは、上層部での専横が起こり、中間層は保身に、普通の組織構成員は自己防衛に走ります。組織の推定と崩壊の始まりです。

◎「はじまり」 

組織は「利害・感情・理想」の要素を持つといわれますが、最初の組織はとにかく「生存という利害」から始まったと思えます。生き残りのために人は結びつかなければならなかったのでしょう。最初は、「自然・他動物」に対し、次いで、人口が増えると他の「人集団」に対して。その時に、「利害関係」だけでの結びつきではその組織・グループは弱いものとなります。特に、「人集団」との競合では、利害関係の切り崩しに合いますので、損得だけの集団は離合集散を繰り返します。

◎「成長」

そこで、結びつきを強めるために「情感」の要素が入ってきます。互いに好感情を持っていれば、少しの損害なら耐えてその集団にとどまります。血縁関係や地縁関係が重視されるようになります。その中で、特に強い関係を持つ集団が上層階級を作りました。古代からの王制や貴族制度がこれです。今でも、こうした集団はファミリーとして特権階級を形成しがちです。

◎「発展・・そして官僚化へ」

そして近代になると、人間の活動が大きく複雑になり、より大きなグループ・社会集団が必要となってきました。そうすると、小さな利害関係やファミリー的な情感だけでつながるわけにはいかなくなり、何かの「理論や理念・理想」により大きな集団をまとめることが不可欠となります。「GD」(グランド・デザイン)を持った社会集団です。この集団は、大きな利害関係からなっているのでときには小さな利害関係は犠牲になることもありますし、狭い情感も抑えなければならないときもあります。

大きくて高い理念がそこにあるので、小さな利害関係や感情のもつれからのいざこざは抑制されます。でも、「高い理念」ということは直接的な現場から遊離していることを意味しますので、ときには理念自体が独りよがりな動きを起こします。特に、その「GD」の奥に、何らかの特権的な集団の利害や情感が隠されている場合には要注意です。歴史上の悲劇のほとんどがここから生まれています。また、先の組織盛衰の言葉での「官僚化」の状態もこの頃に起きています。現場から離れた人材が理念に引きずられたり、理念を操る上層階層の指示に従ってしまうことによります。

◎「人材の硬直化」

組織は巨大化すると、それを維持するためにも、さらに他の組織と競合して勝ち抜くために、制度・システムを確立し、そこでの人材を育成する研修制度も整備していきます。システムは精緻になり、過ちなく、ゆとりなく運営されることになり、人は、組織人材として育成され、その職能に応じた責任を担うことを要求されます。それによって、この組織はさらなる発展をします。自由フラットな組織ではまとまりが付かないので、内部のいざこざの調整ができにくく、また、外部対応では競争・戦闘力が落ちてしまいます。そこで、秩序統制型の組織が求められます。これにより、一時は調整力のある機能的な組織になるのですが、組織の巨大化によって、秩序統制型の部門が大きくなり、さらに現場から遠のくことによって官僚型になっていきます。

また、組織が、それなりの発展をして形を整えますと、そこにいる人間を、「生の人間」から次第に「組織に適合した人材」として育成し、さらには、もっと組織的に動くように「組織に従属した規格人」として教育します。この「規格人」が官僚化を引き起こします。この「人材」は、その責任制度の中では自分の自主思考と判断で活動するのは危険度が高いことに気づきます。責任が「権限」としてではなく、処罰と連動した「義務」としての性格が強まると、人は自由判断をせず組織決定に従う「規格人」となります。この段階での組織で生き残るには、組織参加者は、自分の自主的な人格を抑圧し、「マニュアル」に従って生きる受動的な態度をとるようになるのです。「マニュアル」に従う行動なら、責任はマニュアル(それを作った人)にあることとなり、自分の責任回避が可能となります。

2:官僚型組織の問題

さてこのように、組織が初期の人間くさい夢やロマン、情熱の時期を経て、責任体制が確立する成功段階となると、システムの安定と人材の育成とがピークを迎えます。

「図:組織の変遷」・・夢・情熱・責任・官僚まで

☆ブログ用1「組織論超ポイントシート」

「説明」・・夢から始まり、情熱で成長し、責任感で大きくなり安定度も増した組織は、ここが頂点となるが、やがて、官僚化で衰退する。その決め手はやはり「人」だ。

多くの経営陣は、システムさえ整えれば組織は成長し繁栄すると思っているが、そのシステムの中で働く人間が鍵を握っているのだ。多くの経営陣は、「人」を「個人」としてではなく「人材」さらには「規格人」とみなして重視しないことがある。「人材」としては「業績」重視であるが、「人」であることを無視しての業績優位の人材活用では、その「業績」に「人」が押しつぶされることもある。「人」が仕事をするのは、またその組織に参加するのには「業績」の前に「夢・ロマンや情熱」があるからであり、それを無視しての業績優位だと、人はそれに反発するか、または巧妙に適応して、自己防衛のため自己責任を最小にし、他者との関係を切っていくこととなる。いずれにしても、これが官僚化の道であり崩壊へとつながる。

◎「初期段階での課題」

人間くさい状態のときには、組織の問題はその人間くささから起きます。人間くささとは、素朴な人間関係から来る人情の暖かみがまだ存在していることですが、それと表裏一体で、夢とロマンの暴走や情熱のあまりの逸脱、さらには人間つながりでの情実の問題が起こります。これらは、初期段階の家族的結合の組織状態で起きます。時代的には、古い組織や古い体質を持つ保守的組織で起こりやすいものですが、人間の情感は根源的なものなので、後述するように、これが近代化を経た組織の中でも形を変えて問題を引き起こします。 

◎「成功段階の課題」

*システムの硬直化・・この問題の改善を行い、合理的な組織形態にしたのが近代的組織です。前述したように、制度やシステムの合理性と人材採用と育成の合理性を行いましたので、大きな組織がスムーズに運営されることとなりました。成功段階といえます。しかし、これがやがては、システムの硬直化と人材の規格化を引き起こすのです。

システム硬直は、合理性と精緻さを求められることから起こります。対応の幅がありすぎるとそこに情実が入りやすく・・忖度もこれか・・なりますので、できるだけ画一的な対応がよいこととなります。組織システムの規則が重視され、法規法令遵守が求められる法治主義となっていきます。

*人材の硬直化・・上層部の硬直化と参加者の規格人化・・それと同時に、対応する人間も、人によって対応が異なってはいけませんので皆同じように対応することが求められます。そして、この法令遵守ができる人材育成を行いますので、組織としての信頼は増しますが、人間くささはなくなります。

「上層部の硬直化」・・上層部が固定化するのは、組織の継続性という願望や必要性があるからです。確かに、組織の信頼性を考えればトップ集団の継続性は求められることです。

前近代型での継続性は、「人」要素での継続性ですが、この組織の成功段階での継続性は「法」要素での継続性です。ここでいう「法」要素とは、制度、規則やきまりのことですから、人の属性に関わることからは自由なので、硬直化とは無縁にみえるのですが、逆に制度や規則に縛られるという硬直化を起こします。「制度や規則重視」の人材が登用されることとなり、堅い集団となります。それがさらに問題化するのは、制度・規則重視の学校系列や職場系列への傾倒が起こり、これが硬直化をさらにすすめるからです。これは、前近代的な血縁・地縁の系列ではないにしても、やはり似たような状態になります。言わば、現代型硬直化ともいえるでしょうか、この制度や規則を守るのはこの学校での学習・この職場での任務や研修を経た者達が適任であると考えることにより上層部人事が固定化され堅くなって来るのです。

(参考までに)・・組織の継続性は必要なことであり、それは組織上層部の継続性と関わります。それは、仲間や後継者の人選のときに、現在の上層部との関係性を重視することにみられます。その関係性とは、血縁・地縁、学校系列、職場系列などですが、それが文化的継続性(学校・職場などの第二次集団重視の傾向・・仏教でいう「法脈」)であるならば、継続性の中でも、人事対流や交流が起こり、硬直化にはなりにくいのですが、そこに、ある意味では人間くささというか弱さというか、血縁的な継続性(血縁・地縁の第一次集団重視の傾向・・仏教でいう「血脈」)に傾くと人事の固定化がさらに進みます。これは、第二次集団は、個が独立してからの自由な結合関係から成り立ちますが、第一次集団は、個の出生や出身など個の自立性とは無関係なことから成り立っており、そこには人事対流も交流も起こりえないからです。この典型例は、身分制社会での人事固定化ですが、これは、第二次集団からの組織人事運営を行ったヨーロッパ諸国が、第一次集団型の人事を行っていたアジア・アフリカ諸国を支配下に置いたことで勝敗はついています。封建的身分制度の国々が、近代的な人事変革を遂げた西ヨーロッパの国々(中でも先進的なイギリス・・名誉革命でのシステムと人事革新制度)に負けてしまうのは歴史的道理です。卑近でも、経営層が親族系列の人事で失敗したことは分かっていることなのですが、それでも、組織が成功すると、経営層の中には無批判にこの轍を踏んでしまう人もいます。人間的情感の強さというか人材育成の資や視野の狭さというか、でも多くの組織でもまだみられるところですね。

また、近代型の組織での硬直化は、第二次集団の重視の中で起きています。学閥や職場閥というものです。文化伝統を担う学校での学習優秀者や職場経験者からの人事を優先しがちです。これも人事の硬直化のはじまりです。ですが、時としてこれは、一番合理的でなければならない戦闘集団である軍隊でも起こりますと、このピラミッド型の組織故に改革の声も上がりにくく大きな問題となります。これについては、堺屋太一氏の批判をはじめ多くの識者の指摘するところですが、この硬直化した軍隊が敗戦を招くのです。このような人事の硬直化は一定の成長と成功を迎えたほとんどの組織で起こります。その改革は、人事の硬直化が進んでいるだけに行われにくいのです。

・・少し整理・・「人事の硬直化」についての法則について考えると、固定化の強い順は・・「身分制」・「門閥制」・「学閥制」・「職場閥制」となろう・・

「参加者の規格人化」・・システムとして法規遵守を求め、人事としても上層部が制度やきまり重視の特定集団から選出されることとなると、その組織の参加者は、次第に主体性を失っていきます。自分で考えて主体的な判断をしたところで、精緻な法規法令に合致しないと拒否されるし、上層部からは批判され、疎外されるだけということとなります。そういう状況になれば、多くの参加者は、責任を問われないために、自主性を捨てて組織の動きに合わせるだけの人になります。規格人の誕生です。彼らは規格から外れないことで組織の仕事をこなしていきます。これは、きまりの遵守という長所の一方、改革改良もしないという欠点を持ちます。さらには、自分の責任以外の仕事への関わりを捨て、「見ても見えない、知っても知らない」という無関心層を形成します。

以上、システムの硬直化と人材硬直化(上層部と参加者)から、この成功段階の組織はやがて衰退へと向かいます。今日、一定の成功に達した数多くの組織で起きている不祥事、危機管理不足などの背景にはこのような状況があると考えられます。

「図:2つの段階でのシステムと人の状況の比較」

スライド5

「説明」・・成長段階の「人間くささ」から来る問題行動と成熟後の「官僚的仕組や文化」の中で問題行動とでは、その正確が異なり対応も違ってくる。この対応を誤ると、対応の指導や研修が効果を現さないし、逆な結果も引き起こす。俗に言う「やんちゃや非行」と「陰湿な脳内非行」にも似たものである。組織が成長段階での「やる気のある前傾姿勢でオープンな時代」のルール違反はそれを抑制すればいいのだから「法令遵守」の研修が求められるが、組織の成功期から衰退段階での「自己防衛的で陰湿な時代」のルール違反は水面下での行いが多く、その動機にも暗いものが混じっているので、これには抑制的な研修ではなく 「掘り下げ型の研修」が適している。

それでも、ここまで歪むと修正が難しいので、その前に、組織システムや文化での改善・工夫が求められる。後に触れる「重層柔構造」(自由組織と秩序組織の合体・その結合としての柔軟的な内部組織の整備)がその対応策である。

 

・・第1話・・終わり

 

「学習論 3部」・・ブログ活用編

「教育は静かな市民革命である」

・・この言葉は数年前に大先輩の方から聞いたものだが、今、成熟市民社会の成立を願う時改めて深いものだと思う。現在、民主主義社会に至らない多くの国は、大衆の教育不在の社会であり、民主主義社会に至った国でもこの教育不在が怪しい指導者の専横を許しているのである。多くの民衆・大衆が、適正な教育を得て主体的な学習を行えることこそ民主主義の成熟が可能となる。教育はその鍵を握っているのである。多くの教育機会がある中で学校教育は中核となるものであるのだからそのことを深く考えなければならない。

・・「習得」から「探究」・「活用」への道を、文科省が示したことは適切である。これまでの社会は、身分制度による教育機会の制限により、庶民は学習の機会を奪われ学ぶことができずにいた。その後、上層階級だけの知的独占では、複雑な社会の維持が困難となり、また他国との競合に勝つためにも、大衆教育への道が開かれた。しかし、大衆が自ら考える力を持つことを好まなかった上層階級は、彼ら大衆には必要なことを「習得」するだけの力をすすめるだけであった。

・・しかし、21世紀のこの多様で複雑な社会に対応できる人材育成となると、習得能力だけでは不足であり、事項の探究や活用能力が必要となる。大衆・庶民が主役となるのが民主主義であるが、いよいよ本当の市民としての成熟さが可能となる時となったのである。

・・「習得」だけでは、誰かが与えた知を学ぶだけであるが、「探究」はその奥を探りルールや仕組みを発見し、「活用」はそのルールを使ってものごとを主体的に解明することとなるのである。そういう時代となってきたのだ。さまざまな場面で教育という仕事を行う人は、この変化に気づき改革・改善を行わなければならない。

・・今、T(ティーチ)、E(デユケート)、F(ファシリテート)、P(プロジェクトプラン)、C(コーディネイト)の5つの役割が、教育指導者の彼らに求められるのはこうした理由からである。「探究」・「活用」力の育成では、「開かれた学び」が求められることから、F・P・Cの役割への転換が特に必要である。・・「学習」を「教室」から「学校」へ、「学校」から「地域」へ、「地域」から「地方」へ、「地方」から「全国」へと広げ、横にも縦にも成長の芽を伸ばしていくことに貢献できるような教育環境の早急な整備が求めれます。・・具体的には、小学校の児童生徒でも、関心のあるテーマについては中学校との連携、さらに高校や大学との連携ができるような体制つくり、さらに地域や地方での人材活用できるシステムの整備も求められます。

「学習論」では、このことについてもいつか触れていきたい。・・(すでに第2部では触れていますが・・)

・・なお、もし質問があれば次のメールに来てください、お答えします・・氏名など不要です・・「生徒か学生か大人か」は解ると対応しやすいのでありがたいです・・ toshibo170@gmail.com   です

第3編・・このブログ:「探究・統合・活用」の発展としての「FW」の検討

 

◎「中・高生でもOK 版」

~ 中高生も理解できるように工夫してみます ~

・・「FW」による思考力の進展 ~その例示のいろいろ~

「FW」があると、それを活用しての分析力とさらには統合力が高まるので、ものごとの対応が、大きく、深く、素早く、正確になります。・・例えば、『「3秒で選び2秒で決める」思考術』(コクヨ 中経出版)のようなことが可能となります。ここでは「型」があるとこれが可能になるというのですが、この「型」がいわゆる「FW」です。こうした「FW」を3秒で数種思い浮かべると、2秒でそこから選択して対案が出せるというものです。

本日からのブログでは、そのような「FW」の具体例を提示します。現在、「思考力」が求められていますが、この基本は、探究力で、それは分析(部分に分ける)・分類(関係でつなぐ)から始まります。その時に効果を発揮するのが「知のFW(仕組み・法則・ルールの集合体)」です。これからのブログはどれからでも適当に選んで読んでください。

第3編・・このブログ:「探究・統合・活用」の発展

・・「FW」による思考力の進展 ~その例示のいろいろ~

 

今日のブログ1・・そうした思考がどこまであるか、やや遊び心で「演習問題」をしてみましょう

 

◎「分類」・・問題に挑戦してみよう(これまでの第2部と同じ問題です)

 

1:次の分類問題に答えよう。

①「花の分類」・・次の分類はどれが一番むつかしいか・・

a:季節による花の分類 b:花の色分け c:価格による分類

d:贈答花の選定

「ヒント」・・現象(見た目)での分類か本質(性質など)での分類か ・・

②「魚のネーミング」で次のうち一番容易なのは・・

a:鱈  b:鰯 c:鯖 d:鮭

「ヒント」・・これも、現象は?本質は?・・での分類

*「解説・解答」 ・・高校生には易しすぎるか・・

①「花の分類」答え・・難しいのは・・dまたはc(d=分析が2つとなる・・花の性質分析・相手の気持ち分析、c=「市場状況」の分析・売り手と買い手の関係を考えるので)・・易しいのはb(目に見える色分けだから)

②「魚のネーミング」・・c(色での命名・・「現象」) bはむつかしい(他の魚と比較して弱いという性質・またはこの魚の腐敗しやす弱い性質・・「やや本質」に近い)

*「活用頭」の最初は、「探究」すること=それはそのことを掘り下げて「分析」すること・・です。この探究で、そのことの「基本・本質」が分かれば、そのことを成り立たせている「ルール・法則」がつかめるので、そのルールを使えば「活用」ができることとなるのです。分析して基本を知って分類すると間違わない。そうでないと、単純な類似で分類してしまう。(例:サメとイルカは同 じとなる)・・・学習が進むと・・ 「現象系(見た目など)の分析から本質系(しくみ)の分析へ」が可能となる。

・・「現象と本質」・・この2つの違いを見分けることができるようになると、脳が成長して来ているのです・・ 

2:次の問題は、毎日気にしている天気(その奥にある気候)の問題です

(1)次の地図上の地点の気候や天気はどのような特徴を持つでしょうか、気候のルールを想定して答えてみましょう。(記憶が不要と言うことの証明問題です)

 

スライド6

「ヒント」・・天気・気候は、温度と雨量で決まる。それは、地球上の位置と海流の状態(水蒸気が出やすいかどうか・・雨の源泉は海の水だ)、それに風向き(これはいつも吹く風と季節で吹く風とがある)、さらには地形(高山があると風の吹き方が違う)・・そして根本は・・そもそも海流を動かすのは、風を起こすのはどういうエネルギーかを考えてみること・・それは太陽の熱と地球の自転

「解答」・・実は、ここは大陸の東岸で日本に近いところ(正確には中国の海岸天津付近)・・温暖で雨量多く、夏には海からの風が雨を降らす、天気は基本的に西から変わる(偏西風の吹く位置なので)が冬には陸地から冷たい風が吹く

・・これは地理や地学の学習となりやや難しいので後の話題で詳しく説明します・・

 (2)次の関連問題・・これは易しい・・でも思考の訓練にはなります

この家の問題点はどこでしょう・・(ただし、ここでは太陽と風だけの問題とします・・家族構成、道路とか近隣の施設は考えないこととします)

・・その解決法は・・

スライド9

「ヒント」・・太陽の熱との関係(東西南北)で考えると・・太陽が暖めるところは暖かい・・人の居心地はよい、でも虫が湧く、腐敗しやすい。

・・科学的な思考と文化的な思考(必ずしも合理ではないことも)とで考えてみる・・

「解答」・・トイレは温度の上がらない北向きがよい、虫が発生しにくい・・でも寒い・・しかし永くはいないのでOKか。台所も食材の腐りにくい北向きがよかったがそこは寒い。昔は寒いところで炊事(時間は永い)をして、暖かいところに運んで食事をしたようだ・・でも、冷蔵庫の普及が台所の位置を変えた。暖かく日差しのよい南向きが仕事も団らんにもよい。居間や寝室が寒い所にあるのも問題。玄関の南向きはもったいないし、東向きがよいとも・・太陽を迎えるから?・・北向きは北風が入り気温が下がる・・西向きは日没で機運が悪い?・・偏西風帯なので風が入りやすい・・いい風ならよいが悪い風ならよくないので避けるか・・。客間はもったいないか・・それほど客は来ないし、よい客ばかりではない?。

この太陽や風の問題は、昔は「風水の説」が取り扱ったものです。この科学的思考にその後、文化的?な解釈などを付けて、それが迷妄なものも混じって問題となりましたが、「風水」の基本は科学と正当文化だったときもあります。

 3:それでは、さらに、もう1つ次の問題に挑戦してみよう。

「ネコに小判」という言葉がありますが、それはどういう意味だろう。もし「ネコに鰯」ならネコはどうするか・・当然、前者はネコは食べられないし、使えない、後者の鰯なら食べられる。・・

①それでは「小判と鰯」とどう違うのか考えてみよう。

「ヒント」・・次の語句を使ってみよう・・「抽象」・「具象」、「直接」・「間接」

②それではネコの能力がどこまで高まればいいのだろう・・人間では何歳頃の能力までになるのか。

「ヒント」・・小判の本質「仕組み」(小判が何匹かの鰯に変わること)はネコには解らない。人間でも、これが分かるのはいつ頃だろう?

③さらに発展・・同じような諺に「豚に真珠」がありますが、やや意味合いが違います。その違いを説明すると・・

「ヒント」・・ネコの何を問題としたのか、豚の何を問題としたのか

 

☆ブログ用「第2部-3学習 シート」

 

○「解説・解答」

これも、現象と本質に関わる問題です。小判は、抽象物で間接的なものです。直接には食べられませんが、鰯と交換できます。それが分からないから「ネコ」なのです。人間は、「抽象」と「間接」が理解できるようになるのは10歳頃かな。でも、貨幣の発達史を見ると、物々交換からはじまり、小判の登場までには時間がかかっている。その後の「不換紙幣」までにはさらに道のりがあります。背後に「金銀」の保証付きの「兌換紙幣」を経てからですから・・「活用頭」もそう簡単にできたわけではないのですね。先人の永い思考と試行錯誤の後で「仕組み」ができあがってきたのです。これを学ぶことで私達は理解が早まります。ただし、この時に肝心なのが、この道のりを理解せずにその結果だけを知っているだけのことが多いのです。それでは、「小判の使い方を知っただけのネコ」になります。

小判の仕組みの理解が必要なのです。この道のり(ルール)が分かれば、貨幣というものの本質が解ります。「ビットコイン」の本質も分かりますね。

(・・私は、パソコンの仕組みを理解しないまま使い方を知っているだけですので、パソコンが通常の動きでなくなったちょっとの変化にも対応できません・・仕組みから理解することが求められているのですが・・この歳だからとごまかしていますが・・「パソコンについてはネコ状態」です。)

さて、最後の2つめの諺ですが、「豚に真珠」はその見た目での「現象」だけを述べたものですね。「ネコに小判」はやや本質的なことの諺ですから、こちらの方が意味深いですね。・・ついでに、「豚に真珠」には身分差別的な意味があるとのやや深い説もありますが・・

*それでは、次回から、さまざまな「FW」の例を紹介しながら、「探究」と「活用」について考えてみましよう。・・(私のものはどうしても文科系のものとなってしましますので、読者の方はこれを参考にして自分の得意な分野で自分なりの「FW」を作ってみてください。なお、第1部の「知のFW 研修」にはかなりなものを入れております・・でも小難しいです・・)

*それでは、次回から、さまざまな「FW」の例を紹介しながら、「探究」と「活用」について考えてみましよう。・・(私のものはどうしても文科系のものとなってしましますので、読者の方はこれを参考にして自分の得意な分野で自分なりの「FW」を作ってみてください。なお、第1部の「知のFW 研修」にはかなりなものを入れております)

 

☆今日のブログ2:「FW」による思考力の推進 

(1):「知力の仕組みとその変化」のFW

・・「学びの仕組みが分からないと、自分の学習状態が分からない。そして、学習は停滞し混迷する」・・

「ねらい」

*人間が持つ知力の種類とその変化について知ると学び方が分かってくる・・自分たちの学習状態が今どの段階かを知ることは大切なことだ・・

*そうするとこれまで述べたAさんのような学習停滞が起こらなくなる・・中高生は、次第に「知識記憶」中心から「理解>知識記憶」に移る頃だ・・

*こうして主体的な思考ができる人が増えることで「成熟市民社会」が実現する・・やはり、世の中がうまく行くには「賢い学習者」が増えることだ・・

「知力変化の図式」

スライド1

 

「説明」・・知力は、これまでにも述べたように、「習得・探究・統合・活用」となります。

幼い頃は、とにかく「習得」です。身の回りのことからの体験や親たちからの指導による学び、先輩達のマネからの学びです。幼い状態のグループも、より発展した隣のグループからの習得から始まります。わが国は、古代には中国・朝鮮からの習得、ヨーロッパ人が来始めると彼らの先進技能やキリスト教などの習得、明治以降は西洋やアメリカからの習得が続きました。中進国・先進国に学びながらも幾分か自分流にそれを転換しながら賢くなってきました。

「探究」は、習得事項が一定度に達したら、それらを整理するために自然に起きてきます。でも、この整理の方法を意識的に行うことができれば効果的なものとなります。その方法がこれからの学力です。これには、分析するための「メス」としての理論が数多くあります。・・それは数々の「FW」(仕組み・ルール)で多大なものですが・・これを学ぶのが10歳以後の学習の中心となります。法則とか構造・構成などの仕組みとかを理解するのが学習の中心となります。それまでは「記憶>理解」であったのが「記憶<理解」になります。先のAさんのターニングポイントがこの時だったのです。ですから、この頃の歳になると学習方法も変化させなければなりません。

「FWに統合」は、探究することでその事項の仕組みやルールを知ることになりますが、その仕組みやルールを「知のFW」として統合したものとして理解します。やがてこの「FW」が「活用」段階で利用されますし、先の「探究」段階でもこの「FW」が分析のメスとなります。できるだけ上質な「FW」をできるだけ多く理解して保持しましよう。

「FW」には、自然科学では科学的な法則が中心です。文科的には歴史や経済的なルール的なものや言葉でそれらを凝縮した熟語(四字熟語)もルールらしき役割を果たします。これらのルールには、理論として「長短分析」(メリット・デメリット)、「SWOT分析とクロス分析」(内外の長短分析とその組み合わせ)、マトリックス分析などが有効です。これらがあることで分析が素早くまた正確に行われます。

また、「FW」にも質の差があります。できるだけ「現象」の奥にある「本質」(原理・ルール)にまで掘り下げたものが上質となります。例えば、地理の学習で「フェーン現象」の「FW」を理解したとしても、風は、高地を越えると登り口の高さと同じ位置までおりると降り口では気温が上昇するということでの理解でも一応は役立つのですが、さらにその理由まで掘り下げて、そこに水蒸気が関係して気化熱や液化熱の法則まで掘り下げることが求められます。・・水蒸気があると登るときの気温降下が液化での熱の発生で緩やかになり、下りは水蒸気が少ないので平常通りの気温上昇となるからフェーン現象となる・・ことの理解までくると根本の理解となり応用力がもっと進みさらに多くの現象を解明するものとなります。

「活用」は、その人が対応する事項の解明を行うについて「FW」を利用して分析・検討することです。この時には、その人やグループが、質の高い「FW」を多く所有していることが求められます。質の高い「FW」は、実は「深い掘り下げ」が行われていることです。この掘り下げが浅いとその「FW」は単なる知識のまねごとになっています。

例では、組織論の「FW」で、人の結合に「納得・説得・強制」があり、人が自分の力を一番発揮するのは「納得」であるが、素早い対応を要する時には仕方なく「強制」が必要となる・・との理論があります。それをさらに掘り下げて、人は「強制」の時には自分の力をあまり発揮しないのであるから、「強制」を基本とする組織は永続しない・・との「FW」までになるとその「活用力」は大きくなる。この段階のFWとなると歴史的な事例の分析・検討が可能となり、「秦」と「唐」との違い、「信長」と「家康」違いが解明できます。・・前者が「強制」的で後者が「説得」的(納得ほどではないが)とういうこと・・そのため「唐」「家康」政権は文治政治となり文化・学問をかなり利用します・・狡猾といえば狡猾ですね)

・・ちょっとこれは大人向きですか?・・でも高校生なら理解可能かも・・

(2):「理解の基本のFW」・・事項の仕組みの3層

・・「分析は、分けることから始まる。ものごとは、この3つから分析できるというのがこのFWだ。私も、これを理解してから、分析力が早くなり説明力も向上した」・・

「ねらい」

*社会の出来事は「科学合理」「経済効率」「文化・心理的効果」の3層からなる

・・この3つが調和すると最善・・

*科学合理が基本の基本である・・しかし、これだけでは理論的すぎて、コスト高になるとか扱いに不便とかの問題も残るが・・そこで・・

*現実には、経済効率が労働軽減や手間暇の省力化に役立つ・・ただし、をコスト面での効率(コスとパフォーマンス)が重視されすぎると科学合理が抑えられることも多い・・

*実際の行動は人が行うので、「文化・心理的効果」も大きな影響力を持つ・・ただし、科学合理や経済効率を隠すこともある・・いわゆる「見てくれ」でごまかされることも多い

「ものごとの3層構造」・・お皿から考える

☆ブログ用「思考力1 シート」

「説明」

1:科学合理性・・物事の成り立ち、私達の脳の仕組みはこの科学合理に基づいているから、思考の基本もこれが第一。

2:経済効率・・労働や活動の投入量や資金の出費に見合う効率が求められる。これで、手間の工夫やスムーズな動きへの改善が行われる。

3:文化・心理的効果・・人間の感性面での受け容れがものごとを決めることが多い。

以上の3点から、この例「お皿と食べ物」について考えてみよう。

*焼き魚は、熱い方がおいしい・・皿は保温性があるもの~「科学合理」・・そこで、保温性のある陶器皿(粘土に空気が含まれているから)となる・・

~磁器やガラス皿は密度が濃くて熱を伝えやすいので保温効果がない~

*しかし、陶器皿は分厚くて重くて、かさばる・・そこで、日常では磁器皿が多用される~「経済効率」・・(余程高級な店でないと、陶器皿で焼き物が出ることはない)

*また、ビールを冷たく飲むためには、科学的には保温性のある陶器ジョッキがよいのだが、これでは冷たさと色合いが伝わらないので、ガラス製のジョッキが好まれることとなる~「文化・心理的効果」・・このグラスジョッキは、科学的にも経済効率でも問題である・・暖まりやすく場所を取り壊れやすいなど・・でも、これが文化となった。

☆「補足説明」・・「科学合理」が一番の基本だ・・だから中学生では「理科学習」が大切になる。「経済効率」が分かるのはその後の高校生か。さらに「文化・心理効果」が理解できるのはもっと後か・・文化的なことは合理的な意味がないこともあるので歴史的なことや感性の理解が必要なので・・。

(全く科学的に問題がなく、すぐに使えるので効率がよくても、「ネコが舐めた皿」だと分かると価値が下がるのが文化・心理効果だ。逆に、普通のものでも「文化的に価値づける」(?)ことができれば、科学的合理や経済効率も通過(ネグレクト)できる。・・(「超有名人の誰かが舐めた、使った皿」だと価値が上がる)・・ということで、有名人やカリスマ、美人・イケメンなどを多用するCMのやり方があると、その製品・施設などに科学合理の弱点があると考えられます。・・逆に考えれば、自分の製品、施設の自信がある場合にはCMはあまりしないようだ・・大学では、Ws・K0、DsなどのCMはあまりみないか、また、CMにしても、製品では科学合理のCM、学校・大学では教育の本質(育成の仕事)のCMになるのだろうと思う。

「応用問題」 

1:あなたの今日の服装は、どれを優先しているか?

①科学合理・・防寒優先ならこれだ、当然 防災服も(着ることはマレか)・・寒さ暑さのときには科学が優先される・・

②経済効率・・普段着は安くて汚れても気にならないことが大事だ・・日常はこれが基本だね・・

③文化・心理効果・・人が集まる場では見た目も気になるね・・イベント・行事のときにはこれだ。・・普段でもこれを優先する人は、ちょっと「自己中」?かも

2:次の「CM」なら、その製品・場には何が書けていると思うか?

①有名人がパフォーマンスをするだけの商品CM・・商品の科学合理性に自信がないか、より高く売ろうとするか・・

②可愛い女子大生の横顔をアップした入学案内ポスター・・大学の教育自体が科学合理だが、これに大学自身も自信がなく、世間の信頼がないときに可愛いだけのものになるのかな・・

③目新しい綺麗な施設と規模を誇る学校案内・・上と同じ、さらに質よりも規模(量・・大衆性)で勝負したい思い

④安全性や走行性能を説明する自動車CM・・科学合理への自信がある、買い手の質を高めたいとき

⑤製品の上品さを出したいのか白人男女のモデルを多用する衣料CM・・製品に科学合理がないとき、または経営陣に人種的偏見があるとき(文化・心理面での問題だ・・日本人への自信がないのか・・)

⑥学校教育理念を易しく表現した言葉と現役女子大生を使ったCM・・「誰かの役に立つ私に!」というフレーズをみたことがある、そういう学生の育成方針が良く伝わる・・

⑦大学生活の一コマを紹介するCMでも学習・活動を優先したもの・・やはり、学生の育成「科学合理」を中心としている学校だと思える

⑧ 同様なものだが、昼休みの学生の雑談や食堂のメユー紹介などを優先したもの・・本業の教育への自信の無さを大衆心理でごまかそうとするのかと思える

⑨「安さ」が一番・・というCM・・「安い・うまい・速い」(経済効率と心理的効果)中心なので、科学合理である健康・栄養面での心配もある・・(そこを乗り越えて科学合理に近づけようとしている企業もあり、その努力は賞賛される)

*CMは、基本的に「文化・心理的効果」を狙ったものであるだけに、科学合理を基軸にしたものは少ない。・・科学合理は理屈っぽくなるのでCMにしにくい・・上に挙げたCMも多くがそうであるが、誤った文化・心理的な傾向に訴えて合理性を隠すようなものは不適性であろう。

(3)「気候のFW」の活用・・科学合理のFW例(気候に関心のある人に)

・・「記憶力の教科・科目とされている社会科でも、科学合理・経済効率・文化効果の法則を使うことで単純記憶から抜け出て、思考を進めて答えを想定できることを学びたい」・・ここでは気候なので科学合理が中心だが、その他の社会現象・出来事でも、経済効率と文化・心理効果の法則を追加して使用すれば、推理と想定は可能なのだ・・(この法則が分かるとすばらしく学習能力はUPするよ)・・

「ねらい」

*社会科学習(地理もふくめて)は記憶事項も多いけど、その奥には科学合理で解明できることがある。中学生頃からは、理解を重視しよう。

*そこで、次の気候の要素(海や風・・そこから来る温度と湿度)の法則をつかんで地球上のあらゆる気候を推理しよう。

・・その5法則(ルール)・・「地球自転・太陽熱」(原動力)・「地球の形状・陸海の比熱差・地形(山など)・地球の傾き」(影響するもの)を理解すれば、記憶しなくてもその地の気候の状態を想定できる。

「試し問題」

*次の場所はどのような気候の特徴となるか?

 「概略世界地図」スライド7

「ヒント」

1:海流を描こう・・地球の自転の反対の流れだ・・「自転が原動力」

2:風流を描こう・・

①風の上昇は太陽の熱から起きる・・「太陽熱が原動力」

*赤道付近が一番熱い・・そこから上がった空気はN30度付近で下降し、そこでは乾燥した空気が溜まり、気圧も高くなる。N30度からは南北に空気は流れる。

②そこで・・N30度の高気圧から赤道に向かって吹く・・これは自転の反対向きの流れ、*N30度からはN60度に向かって吹く風は西から東に向かって吹く *北極からN60度に向かって東から吹く。

「これらは、地球の自転と地球が球状という形から起きている」

③地球は太陽に対して傾いている(約23度)・・そのため夏と冬とでは太陽に対しての傾きが逆になる・・太陽に対して北半球が傾くときが北にとっての夏、南はその逆・・これが季節変化の原因だ。・・そうすると、太陽が正面から照らす場所の変化も起きる・・北の夏には太陽が照らす位置が北にずれる・・最大はN23度(北回帰線)まで・・そこで、空気の上昇位置がずれて高気圧の位置もずれる・・N30度よりも北に来る(10度ぐらい北上・・23度までは北上しない)

④海と陸とでは太陽の熱に対しての反応が違う・・すぐに熱くなるのが陸(個体)で、海は遅れて熱くなる(液体)・・でも冷めにくい。これが季節による気圧の差を引き起こす。

⑤風は陸地では高い山脈がありその影響を受ける・・偏西風も陸地では弱まる・・海なら障害物がないので弱まらない。

「参考シートで学習しょう」・・数枚あるよ・・

 スライド3

スライド2

 

「解答・シート」

スライド8

A=暖流と偏西風の所・・風は西風・・でも夏は熱くなった大陸へ海から風が吹くので海(暖流)からの湿気で多雨となる。この季節風は偏西風よりも強い・・偏西風は大陸の高地・高山で防がれて弱まっているからでもある。夏の海が熱いと熱帯低気圧が発生し台風となる。冬は大陸から海に風が吹くがその風は冷たい・・「西高東低」。

B=寒流と偏西風・・風はいつも西風の偏西風・・西が海なので季節風よりも強い。寒流なので水蒸気は少なく小雨。台風などは発生しない。

C=寒流と東風・・小雨の地域・・海に近くても沙漠にもなる

D=暖流と偏西風・・季節風の影響も大きい・・Aに近い気候

E=夏にはN30度の高気圧が北上しこの地に来るので乾燥する・・地中海は夏乾燥するのはこのせいだ・・これは地球の傾きが関係するのでかなりな理解力が必要だ・・地中海の気候が分かると他の気候の理解もできていると思われる・・

さらに応用すると、気候と生活・文化まで含んだ大きな「気候・風土・社会・文化のFW」になる

 

「気候・生活・文化の総合FW」スライド1スライド4

 ☆ブログ用「気候 シート4」

「説明」・・「気候と風土・社会・文化の総合FW」・・これは相当なレベルの理解を結合したものなので、大きな「把握力」の段階の力といえます。・・(理解力が個々の事項のものに付いてのものであるのに対して把握力は全体的な理解と判断の能力です)・・

このFWは、地理的な気候とその気候に合った産業、またその気候から生み出される風土とそれに影響される文化状況などを関係させた「総合把握のFW」です。例えば、地理的には、わが国の気候は暖流と偏西風の地域であるが、季節風もあり、夏には太平洋からの湿った風で多雨となります。これが、稲作を可能にしますから、米(カロリー高く・連作可能)のお陰で多くの人が定住できます。そして、多人数で定住すると、独立心よりも協力心の方が社会を安定させますので、「和」の文化が育ちます。さらに、定住し農業し、栽培作業すると、繊細な仕事では男性よりも女性の方がこれに適しています。女性優位の文化が永らく続きます。万葉集などでも女性の文化が記されており、それは平安期にまで続きます。・・(一方、移動型で相互の競争の激しい地域では、男性優位の文化が早くに成立して、文化でも女性のものはみられません。・・中国大陸やヨーロッパでは古代の文化成立期にはすでに男性優位の文化となっていたのでしょうか、女性の文化の跡「詩歌・書籍・絵画など」がみられません・・ほとんど男性のものです。)・・ また、宗教でも、定住型では地縁性の神々が多く、移動型では天空性の神が出てきます。天の神はどこにいても見られるからでしょうか。この天の神は、人間を越えた超越神となり絶対的な性格を持ちます。一方、地縁性の神は、それだけに多くいて身近といえば身近で、雑多な神々となります。

・・この「総合FW」が把握できると、社会学や歴史学の理解がズーと進みます。

・・・ここで「学習論」は一応終わります・・また後ほど・・「組織論」の後で・・

 

 

 

◎第3部 「学習論」 ブログ3 「探究・統合・活用」

今日のブログ:学習論「学習の道筋」について考える3

  その後編 「探究・統合・活用」

 

・・前回からの続きです・・(番号もその順です)

さてここで・・~「ブログ「第3部」を始めるにあたって」(その思いの続き)~

  今年古希を迎え、人生のほぼ終了期の始まりとなりました。古代インドでの区分けでは、古希は、林棲期(家庭・仕事の暮らしを引退し森で暮らす時)から遊行期(人生の最後の旅)に向かう齢だそうです。現代の平均寿命からすると古希はまだ未練がある歳で、私も人生を悟ることはないのですが、そろそろ限界点が来るだろうとは思っております。

そこで、これまでの仕事の一定の整理をしようとの思いで「ブログ」を始めました。この中に自分の思考・実践したことを書くことで、もしかして後世の人に何かの役立つことがあれば幸いだとやや純粋に思えるようになってきました。

もし、このブログの内容を40歳台で把握していれば子供に伝授できたのですが、60歳台にやっと体系立てた叙述が可能となってしまいました。孫達に直接に「面授口説」で伝えたいと思うのですが、まだその歳にはなっていませんし、孫達がその歳になった時には私の方が怪しくなっています。そこで仕方なく「文授筆説」(?)としての「ブログ」ということになり、また、伝える人も孫世代の子供や彼らを導く親や指導者の多くの方にも拡げたいとも思うようになりました。

「ブログ」は提示する方も受け取る方も、互いに意見も感想もなしという状態にすることで、自由な関係が保たれるようです。本やCDなどでは、双方の関係が明確で押しつけがましくなります。(時には本をお渡しますが双方自由な関係は要りますね・・この紙をお渡ししても同様です) 

もしそういう自由な関係で、このブログを読まれようとする方は次のアドレスに来てみてください。

・「goldenhillweb.wordpress.com」・・Googleです

   「思考力入門」(「学習論」「組織論」)です

なお、読みやすいのは「第3部」からです        金岡(goldenhill)より

 

「学習論」・「組織論」への思い (ついでに~大人の人に~)

「学習論」では、学習を進化させていわゆる頭の賢い世代を育成したいとの思いが基本にあります。それは、いわゆる「できる子」を作りたいという勉強法と近いものとなりますが、本当のねらいは少し違います。

「組織論」では、「成熟市民社会」を希求し、そこでこの社会を担う市民・国民の条件を検討しますが、ここで、組織論と学習論が合体します。

20世紀初めの「競合市民社会」なら、競い合いが社会を進化させましたが、と同時に、競合が最終的な戦いである戦争にもなりました。互いに競い合うことは個々の生存保証として人のプログラムに組み込まれているのでそれを否定することはできませんが、その競い合いが双方の破滅につながることは阻止しなければなりません。幸いにも、21世紀「成熟市民社会」となった現在、その競い合いが共存型になる条件も整ってきました。「知的資源が優位、その知育の機会が拡大、知的有能者が増加」という条件のもとでは、「物的資源」の奪い合いは緩やかになるだろうし、その激化の回避も知的有能者の情報連携で防げるでしょう。またそれでも残る自己認知欲求は、成熟市民社会での多様な参加形態が可能となることで実現されることとなるだろと思います。

そうした社会的成熟度のために、学習の成熟が必要となりますが、これが「学習論」で学習の進化を求める理由です。「できる子」が互いに闘争だけするのでは、「バカな子」の平和の方がよいのですが、でも、「バカな人」では平和は実現できません。彼らはすぐに「悪い人」に騙されます。悪い人の悪さを見抜ける力がないからです。「衆愚化(ポピュリズム)」は現在に始まったことではなく、古代からずーとそうなのです。世界的(中国や日本も)なこれまでの歴史にみられるように、権力者の歪んだ権威的な説法に騙されたり、古代ギリシアのアテネのように、自ら決定者になれても「自分で考える学習」がないために多数派の勢いに飲み込まれ、ソクラテスを殺した民主派市民のようになります。(・・当時のアテネ(アテナイ)にもフィスト達の教える知識だけを学ぶ習得教育はありましたが、考える力の育成は弱いものでした・・)

現在のわが国では、誤った組織を改革する条件が整ってきています。ただし、それにはそれなりの市民・国民の成熟さが求められます。その成熟の1つが「賢い学習者」ということです。闘争を回避・昇華できる学力を持った人への期待です。

「学習論」と「組織論」とをともに思考するのはこうした理由からです。

 

◎学習プロセス・・その2『探究』 です

・・「その疑問、変えてみようよ、なるほどに!」(「広島教育の日に向けての小学生作品」より)

・・分解して確かめる段階「引き算型学習」

さて、学習プロセスの1の「習得」の学習は、とにかく知識を加えていくという学習方法です。しかし、やがて、その「加算型の学習」に限界が来ます。多くの知識や情報が入り込んで来るとその整理がないと必要な時に取り出されなくなります。必要な時に必要なものを提示できないと、まるで大きな部屋に買い物をため込んだままの「ゴミ屋敷の主人」状態となってしまいます。・・そこで、それらの分類・整理が求められます。この時の学習はため込んだものを「分解」し、不要なものを「除去」し、ポイント探し・「本質発見」をするという、いわば「引き算」的な学習となるでしょう。

○「初期分類」・・ここでは、色や形が同じとか大きさや重量が近いとかの「類推」の能力で対応できます。この「類推」も一種の引き算で、同類のもの以外を差し引いて同類のものだけを求めているのです。幼い子供でもこうしたことができますが、このままでは複雑な分類はできません。例えば、花の場合、色や形は同じでもその性質が異なっていれば植える場所が違います。日当たりを好むとかアルカリ性土壌が良いとか。食物材料では、熱に強いとか弱いとかの判断が煮物作りでは求められます。(・・実は私が煮物を作ったことないのですが・・)

 ○「発展分類」・・そこで、その事物の中身の検討が必要となります。それはちょうど、私達が食事をして食べ物を分解し、タンパク質かデンプンかに分ける作業に似ています。その後は、タンパク質もさらにアミノ酸にまで分解して検討します。

フランスのR・デカルトが数百年前に「解析学」を唱えたように、また、E・フェルミが近年「フェルミ推定」でも述べたように、ものごとはそれを細かい要素に分解して部分に分けると、そのものの仕組みが現れてきます。そうすると、その仕組みに応じての分類分けもできてきます。・・同じ魚で見た目には同じにみえても、魚の内臓機能まで分解・検討すると、海に住む魚と河に住む魚との違いが分かりますし、さらには川と海に住める魚の複雑な仕組みも分かり、より正確な分類ができます。また、磁石に付く金属と付かない金属の性質も、分子レベルにまでその構造を分解すると分かってくるのでしょう。・・(この自然科学的な探究は私の専門外なことなので深みはありませんが・・)

私の専門とする社会科学系での「組織の分類」ではその結合のあり方の分解・検討により、「利害・感情・理論」の内のどの要素が強いものかという分類ができます。たとえば、企業は利害、家族は情感、政党は理論(?)ということとなりますし、また学校でも、小学校では情感、高校・大学では理論の要素が強まるとの分析ができ、それに応じた分類ができれば組織改善にも役立ちます。・・こうした高度な分類ができると、これまで蓄積した知識を、精度の高い分類棚に整理することが可能となり、引き出しもスムーズに動くこととなり、「知識のゴミ屋敷」状態から抜け出て、いわゆる「できる人」だということとなります。 

○「仕組みのルール・法則性の発見」

こうした分類を行うことによって、私達は次第に「法則性・ルール」を理解することとなります。そしてこの「法則性」が「FW(フレームワーク)」として成立すると次の「統合」の段階となり、やがては最後の「活用」の段階となるのです。

このルールの発見では、頭の働きはまずは「帰納法」(きのう・induce)のやり方で動いています。・・帰納法とは、いろいろな事例の中にある共通の事例をつなげて一定のルールを見つけるやり方です。・・例えば、「空を飛ぶ鳥には皆共通して羽尾を持つ」とか「朝から元気な子供は共通して朝食を毎朝食べている」などや「暮・幕・墓・・に共通の草冠の下にある日は何だろう・・日が草の下に沈む・・日暮れだ・さらには隠れるということか」と発見することです。

ただし、その帰納時に、単なる「類似」だけで共通だとするのではなく、もっと分析をして、その「しくみ・構造」から理解することが重要です。それが、精度の高い「ルール」なのです。そうでないと、「海に住んでいるからイルカは魚類だ」となります。このような誤りを避けて、一定のそれなりに信頼できるルールを発見したら、それを中心にして知識を結びつけて「知の構造・しくみ」(「仮説・FW:フレームワーク」)を獲得したことになります。

この高度な分析になると、下からの分析・共通事項の分類だけでの帰納法だけでは十分ではなくなります。もっと先の結論「構造や構想」を仮説として想定しながらそこから振り返ってから最後の高度な分類をしなければならなくなります。「○○のような構造になるかも知れないなら、このような分類が適切だ」という発想が求められます。その時には、これまで仕入れた「FW」を使うこともあります。いわば、後の項目で述べる演繹法的な思考方法が要るのです。

例えば、

*1:「帰納法・分解して共通ルールの発見」・・F・ベーコンの帰納法

肉が腐らない・・「雪の中・氷の中・寒い空気」=共通=「冷温」

・・16世紀のイギリス、彼はこうした実験をしながら「冷温が肉を腐らさない」ことを発見した・・その実験での風邪が命取りになったが・・この当時は科学黎明期、まだ冷温による細胞の状態まで分析検討はできていないのです

ついでに・・彼は科学的方法を「蟻・蜜蜂・蜘蛛」に分類している。

○蟻=ただ識を集めるが整理がない状態・・知識の寄せ集めです。・・ですから、「知識の加算」=「知識ゴミ屋敷状態」となります・・

○蜜蜂=いろいろな花を廻るが、そこから「蜜」という共通項を集める・・花の中の蜜以外のものは捨てている・・つまり、「知識の分解・検討」・・「引き算的思考」・・引いた後の共通項・ルールの発見となります・・

○蜘蛛=蜘蛛が自分の中から糸を出すように、法則「FW」から蜘蛛の糸を引き出すように思考を紡ぎ出す・・でも、この思考方法では、最初の「FW」が誤っていればそのまま誤ったものが引き出されてしまい、全てが誤りとなります。この当時のヨーロッパでは、キリスト教が支配的で最初のFWは「神のFW」となってしまう心配がありました。ベーコンが「帰納法」にこだわったのもこの「神のFW」を排除したかったからです。

*2:「演繹法・FW」を使った分解の仕方・・R・デカルトの方法

もし最初に真理をつかんでいれば、そこからものごとを解いていけます。それは論理的で誤りが少ないものとなります。「冷温がものを腐敗させない」という真理が分かっていれば、ベーコンも風邪で死ぬことはなかったのです。しかも、その真理を理論的な思考で発見できれば最善の道です。デカルトはそう考えました。彼は、究極の真理を探究しそこから論理的に明確で飛躍のない思考をつなげていくいことで世界を理解しようとしました。その究極を「神」ではなく、「論理思考する私」に求めました。「われ思う、故にわれあり」の言葉は有名です。

さて、現代では科学的探究・実験や思考が積み重ねられて、多くの「FW」が発見されていますので、その「FW」を利用しての「演繹」が可能です。

例えば、それほどの科学的な「FW」ではないものの、探偵ものの犯人捜しでの「FW」では、合理的な思考で到達した「最後に得するものが犯人」という結論が成り立ち、そこから演繹して犯人を推理します。このように、結果を想定してから、その結果から逆算して推理思考するやり方は日常的に行っていますね。

・・その例・・「小学校5年生算数の平均値の求め方」・・

3、5、7、9 の平均値を求めるのに、これらを足して個数で割る方法に対して、先に結果を6と想定して、それとの差を、3(―3)、5(-1)、7(+1)、9(+3)のように計算して平均値を求める方法もあります。このやり方が逆算思考で演繹法に似ています。

「ベーコンとデカルト」(図)・・やや高度ですので中学生は理解できなくても、その後高校生になると分かるようになります。

スライド3スライド4

「説明」・・・帰納法には事例の中からの共通性の発見ですが、事例を完璧に集めることはできないので、100例集めても101例目で例外があるかも知れない不安があります。演繹法では、法則から出発するので例外は出ないのですが、そもそもの法則が誤っていると危険なのです。この2つの問題点を直観的に述べたのが孔子です・・さすがです。ですから、帰納法と演繹法は両方を行うことで正しい思考方となります。

◎学習プロセス・その3「統合」法則のまとめ「FWの結成」

・・「ルールを理解したものが、そのゲームを支配する」・・

探究によって、事物を分解しながらその仕組みの中にルールや法則性を発見すると学習はさらに段階を上げます。これは学びの段階を「現象」の学びから「本質」の発見への道といえます。・・現在では、帰納法的な思考でこのルールを見つけ出さなくても、このルールや知の構造そのものを、学校授業や書籍やネットを通して学ぶことができます。・・自然科学・理科的にはそれなりの多くのルール・法則があります。・・私は文科系なので、この領域は弱くて入れません。地理学習での「FW」のところで幾分か自然科学的なことを述べますが、その程度ですので、ここは、それなりの科学や理科の専門家の人や先生に学んでください。・・

文科系的には、歴史事例から多くの「FW」を学ぶことができますし、「四字熟語」などや「短歌・俳句」などは文科的思考の「FW」のかたまりといえるでしょう。

・・例えば「面従腹背」には、強いものに逆らえないときには従ったフリはしているが、心(腹)の中では背いているのだという人間心理のルールがあります。また、「一月三舟」という言葉には、月は一つでも舟の動きが異なればその動きによって3様にみえる・・という深い言葉(仏教用語)もあります。私達は、1つの「事実」でもそれぞれの立場で受け止め方「解釈」が違いますね。そんな現実をこの用語で理解できます。このように、「FW」を多く持てば、文科系・社会科系でも推理力が増すのです。

この時に、最重要なのがこの「FW・知の構造」という本質まで学びを至らせるということです。でも現実には、多くの生徒・学生がこの時の本質理解をサボってしまい、その後の学力が伸びない状態となっています。・・それが先の「Aさんの失敗」です。

さて、こうした「FW」をたくさん持つと、それを高度な理論整理棚に収納しておきます。この棚の高度理論的知識(「概念・コンセプト」など)は、「FW」として「知の構造」となっていますのでかなり膨大となっても収納できていますし、引き出すときも、関連がある糸口から次々と整理されたものが出てきます。

ここでこの「知の構造」となった段階を図で確認しておきましょう。

 

*「知の構造」☆ブログ用「思考力1の②シート」

 スライド7
(「説明」)・・私達の知識の認識は、そのことを「知ること」(事項認識)・「それらの関係を知ること」(関係認識)・「それらの構造の仕組みを理解すること」(構造認識)・「それらの構造の意味や価値を把握すること」(本質認識)となります。ここでの「構造認識」・「本質認識」は「FW」として活用できます。最初の関係認識ができるのは探究が行われ、事項の相互の関係を分析・分類するからです。そして、構造認識の段階では、帰納法的なやり方だけではなく、演繹法的なやり方である、他の「知のFW」からの援用(活用)も必要です。

 

◎学習プロセス・・その4「活用」・・FWの援用

・・「知ること」・「解ること」・「できること」・・このつながりが学習の本道です・・

さて、めでたく適切な「FW」をたくさん持つことができると、今度はそれを使う場面です。もちろん、その途中にも、現在の「FW」を修正・改善して新しい「FW」にしなくてはならないことも多くあります。というか、私達はいつも学習していますから、学びが深まると賢くなってきて、新しい「FW」を学ぶ機会もあります。また、そもそも全世界的に「FW」が変えられることもありますから。

そうして、より適切な「FW」を持ってくると、新しく出会ったことや知識に対して、その「FW」を適応して、それを解明・解決しようとします。これが「活用」の段階です。以前に提示した「学習プロセス図」では、右側の「下りの道」です。これは、「演繹法」(えんえき・deduce)という思考の道です。

・・「演繹法」とは、「繹」(糸巻き)から糸を「演」(引き出す)という意味で、「FW」のルールを引き出して、この事例に対してどう対応するかを考えることです。・・例えば、「空を飛ぶものが羽を持つ」のなら「あの飛んでいる虫も羽を持っているだろう」と推理することですし、「あの子は毎日朝食を取っているので、朝から元気だろう」と仮定すること、さらに「草冠に日・・このルールからすると、砂漠の『漠』は水が地下に隠れてしまうことなのか」と想定することです。・・もちろん、現実には、こんな単純な演繹の推理では解決できないことが多くて、何回もさまざまな「FW」の適用の仕方を考えてみることとなります。

そして、このような思考法ができることとなると、知識を学ぶ姿勢が違ってきます。そして、その知識を他の知識とつなげようとして共通の糸を発見し「FW」を作ろうとします。知の道は、単純な知識の暗記だけでは終わりません。その後の学習が大切です。ですから、学校授業でもこの段階に達した学習姿勢の生徒・学生はよく質問します。質問がないという人は、単純「習得」段階だということです。先のAさんも、学習とは「受容」(覚える)することであり、「問うこと」(「能動」)ではないと思っていたのです。もう少し早く、彼女がこの「学習のプロセス」を理解していれば良かったのにと悔やまれます。

・・10歳頃からは、学んだことを問いながら、考えながら、覚える頭になってきているのです・・学習の「コペルニクス的転回」の時です・・

Aさんが、学習を「3R」(受容)から「3X」(能動)へと展開できていればもっと学習効果が高まったのですが・・。

*「3R・3X」

☆ブログ用「思考力2①シート」

(「説明」)・・難しい表現がたくさんありますが・・「研修用講座のシート」ですので・・、でも、ここでは「習得」の3Rから、「探究・活用」になると「3X」(探究・表現・共有「相互交換」)になり、学習活動が能動的・深みになることで、自分で考えて解答を思いつく力が付くことを理解できればよしとしましょう。中でも、「探究」(explore)が思考力を伸ばします。(もし、さらにこの図で言葉が気になる方は第1部や第2部などを読んでください・・でもここでいくつか説明・・

*日本はこれまでのマネ時代から創造の時代に移り、それだけにも3R(先進国から学ぶ)にとどまっているわけにはいかないのです。

*TLはティーチ・ラーニングで教え・学ぶこと、ESはエデュケーション・スタディで自分の考えを引き出し・そのために学ぶことです。もちろん、ESの方が学習形態としては主体的で、学力も向上します。

*ロボット脳と人間脳とは、事項の積み上げからインプットされるだけのロボット脳と自分で構想「FWなど」を考えながらそこから事項を想定する演繹型の思考ができる人間脳との違いを述べたもの・・ただし、これからはロボット脳も演繹の思考ができて人間脳に近づいています・・構造認識にまでは達していますが本質認識にまではまだ達していないようです・・本質認識は意味や価値など主観的な要素が入り曖昧なものでもあるからですが・・でもいつかはここまで来るのも・・)

 

・・ここで、このブログは終わります・・中学生には難しかったと思いますが、でも、いつか2・3年後には学ぶことですから、早く賢くなったと思ってください・・

次のブログは、「活用」のための「FW」について考えてみましょう。

 

第3部「学習論」・・その2

今日のブログ:学習論「学習の道筋」について考える 2

 中編 「学習改善・・学習のプロセス(習得の段階)」

・・今日は、学習の改善のために、そもそも学習とはどのようになっているのかについて考えてみます。

2:学習の改善へ・・(前回ブログからの続きです)

さて、ものごとの改革には、まずはそのものごとの状態を理解しなければなりませんから、私達の学習のプロセスについてみてみましよう。それは次のようなものです。

◎「学習の段階」・・その全体像

学習は、次の図のように、「習得」「探究」「統合」「活用」の4行程を経ていきます。それはちょうど、食事と身体との関係に似ています。食事を取る・・それをこなす(分解する)・・筋肉・エネルギーなどに再結成する・・それを身体育成に使う・・の行程と同じプロセスです。

*「学習プロセス」

☆ブログ用「知識学習 シート」

◎その1  「習得」・・足し算的学習

 ・・「自分の体験以上のものを知ることから人は賢くなった」・・

人がものを知るにはまずは体験からですが、それだけでは狭くて賢くはなれない。他者から教えてもらったことや本や雑誌、テレビやネットなどから得た間接情報や知識によって知識の量は増えます。そうして、人は、他の動物が自分の狭い体験だけでしか知識を得られないのと違って、数倍も知識を得て賢くなれます。・・ただし、それだけにそれなりの整理が求められます。

さて、幼い頃は、まずは知識の吸収です。脳にそれなりの知力のネットワークの仕組みはあっても中身がない状態です。とにかく体験することや見聞することを蓄積していきます。子供達は吸収力は旺盛ですし、蓄積力もあります。脳の神経細胞が活発なのだと思われます。(脳では海馬といわれる個所が働くそうです) 10歳頃まではこの「吸収」の時代です。ですから、小学校の低学年までは「習得」が学習の基本でしょう。この時代までは、未整理でも意味不明でも習得できて蓄積できます。この頃までに、漢文(論語や漢詩)や古典(和歌や散文)、英語(会話やストーリー)などを言葉だけで習得させることは可能です。英才教育としてこれらを行っている塾などがあるようです。習得時代の蓄積量が後の学習を決めることは頷けます。先ほどのAさんもこの量がかなりあったから、高校受験までは何とかなり、その地域では一番の難関校に入学できたのでしょう。

さて、そこで、この「習得」の段階での効果的な方法について考えてみましょう。

*「習得の方法シート」

 スライド8

(説明)・・「習得」のポイントは、①②は速くに自分で確認が基本で、③回数を多く、⑥印象を重視して行うことが重要です。ここまでが基礎的な習得学習の段階です。⑦の関連記憶では「相互比較」や「仕組み理解」のかなり上位の理解にまで至りますので、10歳頃からの脳の発達段階からの頃からとなります。その後は「構造把握」・「体験的了解」となりますが、これらはさらに上位の「探究」や「活用」の段階となりますので、「習得」の次の段階となります。

「ポイント」③の回数・・とにかく出会いの機会を増やします。そのためには、「張り紙」、「カード」、「音声」での繰り返しがよいでしょう。現在では、スマホの活用も工夫してみてください。・・これについては「カード」の例に付いて述べてみます。・・*後の「参考シート」

⑥の印象・・印象・イメージは、脳にとってはかなり原初的な基本の作用ですから記憶保存は効果的です。だぶん、生存に関わる情報は大切に保存されるのでしょう。「強弱の印象」「好悪の印象」「快不快の印象」「良不良の印象」は大切なものです。さらには成長すると発展して、やや判断の伴う「要不要の印象」「損得の印象」などもポイントとなります。

この印象・イメージ力を育成するには後述のようなやり方があります。・・*「参考シート」

⑦の関連記憶・・これはこれから脳科学が進んでくるともっと解明されるでしようが、脳の性向と合致した記憶のやり方が効果的であるということです。先ほどの印象もこのことと関係しますが、この記憶順応は脳自体にある記憶に残るリズム感などと関係することです。例えば、「音楽や詩吟・謡いなど」はそこにある歌詞は記憶の残りやすいということです。皆さんもご存じのように、リズム感を付けた語呂合わせなどの記憶法は実証済みです。古代ギリシア・アテナイのプラトンも「音楽は知識を溶け込ます酒のようなものだ・・よく入り込む」と考えて、音楽と幾何学を奨励したのです。文科系の漢詩や古典文などは詩吟や謡いなどで記憶が維持できます。理科系でも化学式なども語呂合わせで記憶を高めることが勧められていますね。・・これについては多くの実践があるので紹介は省きます。

*「カード」スライド6

*「イメージ力の育成シート」

スライド14スライド15スライド16スライド17

*その他に、イメージをふくらませるに「言葉のダンス」の手法も効果的でしょう。

・・これは語りかけの工夫です。「用向き言葉」(・・しなさい)的な一方通行の語彙も単純なものばかりです。それに対して「言葉のダンス」では、「これはどこに置くのがいいのかな?このお花さんはどこが好きかな?」とか「このお靴は楽しがっている?悲しがっている?」というような語りかけを行うと、子供はイメージを湧かせて思考するというものです。

同じ「習得」でも、親や指導者からの押さえつけ的な習得方法と、子供達が自分たちの方から行えるようにもなるという方法との違いです。どちらが効果的かは問うでもありません。でも、私達は、とかく「用向き言葉」で行いがちです。

学校でも、解答の暗記試しの小テストで「用向き言葉」の手法をしたり、クラブ活動でも「用向き言葉」で指示します。生活指導となるともっと「用向き言葉」となります。そうすると、生徒や学生の自主的な能力は付きません。・・実は大学でも、中程度以下の所では「用向き言葉」での指導が好まれています・・こうして、学んでも学んでも学ぶほど能力がしぼんでいくのです。日本では、学歴は向上しても学力は高まっていないのです。このブログ「学習論」を読んで頂きたい理由です・・私自身の反省も込めて・・当初はその時代の環境に馴染んで習得以上のことをしなかった反省を、後半はその環境を改善・改革すべきと思いながらも十分な実践が功を奏しなかった悔いを込めて・・。

 

*「言葉のダンス」

スライド9

(説明)・・「用向き言葉」では、言いつけなのでそれへの反応は「イエス・ノ-:はい・いいえ」しかありません。イメージも語彙も増えません。「言葉のダンス」では、問いかけがあるのでそれにお答えようとしてイメージを湧かせ思考もしますので語彙も増えます。この時には自由な思考が大切ですから問いかけも自由で反応を強要しないことが大切です。特に小さいこの場合、「・・どうかな?」と言って返事がないなら「・・こうかもね」と言って自由でゆとりある言葉を述べてみるのです。返事をしなくても、子供はないかを考えています。

「用向き言葉」の段階での「習得学習」が改善されないままのレベルの学校や塾に行かせるのは当人の被害と社会的損失です。親や学習指導者の方々はこの改善に取り組む必要があります。

幸いにも、でもまだ少数だが、先進的な学校や塾・スポーツクラブでいくらかの改善が行われてきています。何より、文科省が「習得から活用へ」と打ち出したのは、遅きに失すとはいえ、またその徹底度も低いとはいえ、大きな前進です。

 

第3部 ◎ まずは「学習論」から始めます・・

「第3部」◎「学習論」(中高生 小学高学年生 OK)

・・ここから第3部に入ります・・

第1部のブログで述べたことは理論的で、2部ではそれを易しく説明しましたが、やはり連続した説明となりましたので、やはり読み辛い点があるようです。

そこで、この3部では、個別テーマで「一話ごとのまとまり」で話をすすめて行きたいと思います。

内容は、1部・2部と共通したものですが、切り口はかなり自由にしてみます。内容は同じですので、ここから読んで見るだけでもよいと思います。ですから、これまで1部・2部で充分習熟された人はこの3部は同じ内容なので新しい発見はあまりないかも知れません。

 

「ブログ開設の思い」

・・このブログは、皆さんに読んでもらうことでいくらかお役に立てればという思いと、私の年齢が重なることで脳が衰えるのをいくらか抑制できればと言う思いで続けておりますが・・(どちらかというと、こちらの方が本音です)・・最近は、これまで行っていた木刀素振りでも肩が浮いたようになり、細かい文字が書きづらくなるなどの高齢者の症状が出始めました。これが、やがては脳の活動に及ぶ日も近いのではと危惧します。

実は、もっと早くに現在の「学習論」の展開レベルにまで達していたら、我が子の中高生時代(20年前)に間に合っていたのですが、当時は残念ながら断片的な気付きにも至らない段階でした。そのころ、私が教師として学習指導をしていた生徒達にも、現在のような系統的な学習改善の指導は行えませんでした。申し訳ないことです。その時期に、研修で出会った言葉・・「教師は教えることを惜しめ」(この言葉は東井義男先生のものですが、当時の私は、これは誤植ではないかと思ったほどです・・でも、その後に「惜しんで惜しんで、機が熟して後に教えよ」との言葉があり、誤植ではないと分かったのですが)・・この言葉にヒントをもらって、その後「研究会」での先達の教師に導いて頂き、学習改善の道(「教える」から「学び」の誘導)へと向かいましたが、周辺での動きは、いかに「教え込む」かに傾注しており、「学び」に向かう改善には理解がなく、さらには批判的でさえあり、なかなか教育界としての進歩はありませんでした。それもあり、協力者も少なく、また私の力不足もあり、今日まで大きな論として展開できませんでした。やっと十数年前ぐらいから提示できる論が可能となりました。

この論が、後世の人たち(孫の世代も)にいくらかでもお役に立てればと願っております。古希を迎えこれからさらに歳をくわえますのでいつまで続くかと思いますが、それまでは、老化防止のブログを続けてみます。

執筆責任  金岡俊信

 

今日のブログ:学習論 1 「学習の道筋」について考える

    「現在の学習状況について考える」

 

さて,生徒・学生の皆さんは、学校で、「習得から活用へ」という言葉を聞いたこともあるかも知れませんが、詳しく言うと、学習は、「習得」「探究」「統合」「活用」のプロセスを経ます。そしてこの段階によって、学習の方向が異ってきます。

しかし、現状の学習では、そのプロセスを知らずに学習をしているために、同一方向に進み、多くのムダと誤った頭の使い方をしているのです。ですから、学習を行うには、この学習のプロセスを理解して、頭の使い方を知ることから始めましょう。・・はじめは「習得」(知識を取り込むこと)、次には「探究」(その知識の理由や仕組みを知ること)、さらには「統合」(理由や仕組みを構造「FW・フレームワーク 」として把握すること)、そして最後に「活用」(その仕組みの「FW」を利用してものごとを解明すること)・・の順になります。

・・学習の方向は、「習得」(積み上げ)から「探究」(掘り下げ)へよ学びの方向が違ってきます・・

これは、10歳を超えた頃から、私達が普段に行っていることですので、よくよく考えれば当たり前のことで、難しいことではないのです。気を楽にしてこの記事を読んでみましょう。・

それでは今日は、その筋道の最初の様子から考えてみます。

1:学習の現状

◎「学習プロセスを知らなかったAさん」・・暗記にこだわった学習

これまでにも述べた「Aさんの学習法」ですが、彼女の学習法がもっと早くに変わっていればよかったのにと悔やみまれます。実は、私が本格的に「学習論」を書こうと思ったのもこのAさんの告白からです。

*「Aさんの学習」(図)・・このシートの後段の「説明」は難しいことを述べてしまいましたので、ここでは飛ばして、「探究」段階の後にもう一度読んでください。・・スライド1

スライド2

 

「説明」  これはY大学での「思考力育成講座」での学習アンケートの際に彼女が記述したものですが、彼女の悔いは第一志望の大学に入学できなかったことが第一ですが、その理由が、折角 志望のY高校に進学し、そこで学習に秀でた同級生の「学習方法」を知ることができたのに、それを深く考えなくて、「学習量」のせいだけだと思って改善しなかったことにもあります。もしかして、優れた指導者がいてそのことに気づかせてくれたらという悔しさもあるのかも知れません。

◎「Aさんを生みだした学習環境」

でも、長年学習指導をしてきた私は、その時に、たとえそうした指導者がいて彼女にアドバイスしていてもたぶん彼女は応じなかったのではないかとも思います。それだけ、この学校教育界では「学習はその量が決定だ」という定説がはびこっていましたから、「学習は質だ」という声は届きません。それはちょうど、数十年前のスポーツ界で行われていた「根性練習」の状況に似ています。もちろん、質が大切だといっても練習量が不足しては話にならないのですが、その練習に科学的検討がないとムダで時には害のある練習をしてしまうのです。それでも当時は、過大な練習量をこなさい者に対しては、「根性なし」の批判が行われたものです。そうして身体を壊した選手も多くいます。・・学習については、古い言葉に「四当五落」(四時間しかねないものは合格し、五時間も寝るものは落ちる)という言葉もありました。根性だけの時代です。

そのような状態が実は現在の学習環境にはまだ多くみられます。スポーツ界に比して学習界の方が遅れているのです。例えば、未だに「在宅学習時間調査」を行ったり、こなせないほどの「週末課題」を出したり、長期休みの「補習」で後追い学習を追加したりしています。「学習時間調査」は、その時間が多いほどよいとされるのですが、それこそ矛盾だらけなのです。同じ課題を学習するのに速いほど効率がよく、学習も進むということですが、それでは学習時間は増えないのです。学習が進まない者ほど学習量が増えて「良し」とされるのです。これでは将棋の藤井さんは浮かばれません。彼は、かなりなレベルの授業を遅いと思うほど学習効率が速いのです。「週末課題」も多く出せばよいと思われています。多く出せばそれだけ賢くなると単純に信じています。でも、質の転換のないままでは、まるで「ママチャリ」を懸命にこぐようなものです。そして、ついにこげなくなって隣の生徒・学生の自転車に引っ張ってもらうのです。私が実際に見た光景では、英語の課題ノートの解答はびっしり書かれているのに課題英文には何らのマークもなされていないのです。おそらく、課題英文は読まずに友達から解答を写したのです。先生のチェックに合わせるだけの学習なのです。「補習」でも、出欠を厳しく管理しますので、生徒・学生はとにかく出るのですが、そもそもが受け身ですから質疑はありません。出席することに意義があると考えているのです。このような学習状況が特別なことではないところが悲しい現実です。

◎「Aさんの問題点」

初期の暗記型は「習得」の始まりとしては必要なことであったのですが、Aさんは、そこにとどまりすぎたことが問題でした。彼女がそこから進んで、この後の学習論で展開する「探究」「統合」「活用」の学習を経ていれば高度な思考と判断力を持ってくることができたでしょう。それは、高校生の段階では可能なことなのですから、残念なことです。そして、その原因は、彼女にあるだけではなく、現在の学習環境にあるのです。それは、ここに挙げたシートにあるように「よく分かる授業」論なのです。受動型の生徒・学生を前提として彼らによく「分からせる」ために、懇切丁寧で非能動的で、学習責任を問わない授業を良しとするものです・・(問われるのは学習指導者のみ)。彼らの俗に言うニーズに応える学習は「解答与え」となります。学習力(学力ではなくその前提とされる関心・意欲などの学習態度)がない生徒・学生にとっては、解答を導き出すプロセスは不要であり、自分で考えたり理解することがが求められますから不人気です。でも、現実には「授業アンケート」(生徒・学生が行う)などでそれに応えることが求められています。ですから、学習力が強くなくその結果学力も低い生徒・学生の多くいる学校で、彼らのさしあたりの欲求・ニーズに応える授業を懸命に行っても間違いなく学力は伸びません。・・現実には、こうした学校・大学が多くあるのです。・・現在の日本が、高学歴でも学力が低いのはこのためです・・

*「シート・・Aさんの問題点」

☆ブログ用「Aさん学力図解」

「説明」・・Aさんは、知識記憶だけはあるのだが、その理解が足らないために、ただ知っているだけ。そして、その知識の位置づけも他の知識との関連付けもできないので、広がりようもなく、引き出すきっかけもない。さらには、大きな構図の中で捉えることもできていないので、その意味や意義も考えることもできない。

*「よく分かる授業」が問題・・・パッシーヴラーニング(PL)を前提とした学習

Aさんを育てた「よく分かる」授業についてみておきましよう。受け身で知識の記憶だけを求める生徒・学生に「よく分かる」と感じさせるには、まずは「答え」をしっかりと教えることです。答えにいたる「プロセス」は難しいのでよく分からないと思うでしょう。余分なことは・・実はこれが重要なのだが・・教えないのです。また、途中まで教えて、そこから自分で考えて学ばせることもさせないのです。それでは「よく分からない」状態に置いておくことになり、教師・学習指導者を恨みます。・・こうして「よく分かる」授業が成立します。小学5年生頃まではめでたしめでたしです。でもその後に変更がなければ悲惨です。スライド10

「説明」  生徒・学生がBレベル、教師授業がB段階というのが「よく分かる」組み合わせだが、これが問題だ。生徒・学生の「安心・安住」・・そして・・「停滞」の形態なのだが、一見「良し」と思えうことで一般受けしやすい。学習のプロなら、学生・生徒A×教師Aが最で、BとBは大きな問題だと分かるのだが、一般にはわかりにくい。文科省も「よく分かる」を推進しているために、余計に問題である。また、教育のプロである教師の多くもこれに気づいていないことが悲惨なことである。さらに、「生徒・学生授業アンケート」なるものが流行っているが、これでは多くの受け身の学習者(つまりB状態)が多い学校・大学ほど、B対応を好むので、ここでは学んでも学んでも賢くはならない。

AL=アクティヴラーニング  PL=パッシーヴラーニング  NL=ノンラーニング のことです・・なおミスの修正を・・このシートの内の「「月光」~「学校」にしてください

◎「改善への希望」・・「教える」から「学ぶ」へ

それでも現在では、この状況を抜け出た学習を行う学校はあります。残念ながらこれらの学校はやはり一歩進んでいる、俗に言う超進学校とされている部類に属する少数派の学校ですが、しかし、そのやり方は、学びの本質に基づくもので、決して他の普通の学校ができないものではありません。例えば、そこでは「在宅学習調査」はありません。その代わり、学習の目的や面白さについて考える講座が行われています。先輩達を招いてのお話講座や実際に仕事に業務している人たちからの実践講座もありますし、インターンシップでの研修もかなり本格的に継続的に行われています。自分の選択した研究テーマや職種については2年間にわたる研究課題を行わせます。また、「週末課題」は自分で選択します。そこには、量だけではなく質も加味した課題があります。私が見学した頃には数種類のペーパー課題が廊下に掲示してありましたが、現在ではそれぞれの講座でのネット掲示だそうです。そこから自主選択します。その学習が始まる頃に、彼ら生徒・学生が自分の学習計画(「学習のグランドデザイン」)を立てているから、それに合わせての選択ができるのです。その「学習GD」は自分の「将来構想」を思考し、教師と相談しながら4月中に立てています。その時には、どの学習をどの段階までやるかについておおよその想定をしています。ですから、「補習」でも自由参加が可能なのです。生徒・学生は、自分が出たい補習の講座を登録します。これは指導者がおおよその状況を知るためのもので、出欠を取るためのものではありません。自主的に参加することですから出欠は取りません。さらには、ある学校での「補習」は講座ではなく、「質問相談教室」となっています。「教える」ではなく「学ぶ」ことが効果的だと分かっているからです。彼らは、学校に登校して「図書館」などで自分で学習しながら、理解できないことや学びの意味などについて疑問を持つと指導者がいる部屋に出向き相談するのです。理解できない問題についての質問や、時には、なんのためにこの課題や問題を解決するのかなど、学ぶことの意義や目的についても相談することもあるのです。

この学校では、「教師は教えることを惜しめ。惜しんで惜しんで・・・機が熟してから教えるのです」(東井義男)の言葉が活かされています。

*「学習デザイン」スライド5

(説明)・・「構想」(企画・計画)はなにごとにも重要で大切なものですから、学習でも「学習デザイン」は必要です。右が活動的研修、左が知識的学習の図です。でも、このデザインがあまりにも精緻で堅いものであると、楽しい夢がみられなくなり、自分の学習が窮屈になります。そして目標達成がノルマとなり達成できても喜びがなく、達成できないと欲求不満になります。そうなると、学習デザインがあることが却って学びの喜びを奪ってしまいます。

そうならないためには、学習デザインをゆるやかなものとして、学習の目的を楽しい夢として拡げて、達成目標も自分の成就感となるようにしましょう。そして、この学習デザインで今取り組んでいる課題で学ぶこと自体を楽しむようにしますと、一歩でも成長したらそれが喜びとなり、学習に弾みがつきます。学ぶことは自分が成長し、学びの輪が広がることで面白いことだと実感できます。参考までに・・孔子も「これを知るものは、これを好むものに如かず、これを好む者はこれを楽しむものに如かず」と言っています。

・・「学習デザイン」は必要だが、その作り方や使い方には、「ゆとりと自由度と広がり」を持つことがとても大切です。・・

◎「AさんからYさんへ」・・探究に目覚めたYさん

*「シート・・AさんがYさんへ変貌」

スライド6

・・「教えてもらい」かた「学ぶ」段階に成長してYさんは、後に述べる「探究」・「統合」により「知のFW」を獲得しており、そのために「活用」力も高くなっている。・・先のシート「Aさんの問題点」(説明)をここでまた読んでください。

・・次のブログから、この「FW」を応用しての「活用」による学習改善の道について考えてみましょう。

組織論第2部・・その4

~「お知らせ」・・・「2017年9月27日」から第2部(普及版)です~

第1部は、やや研究論的ですので、第2部から読んでいく方が馴染みやすいです。

なお、この回で第2部は終わりまして、次回からは第3部での、「個別テーマ」での自由な記述をしていく方針です。関心がある方は、第3部でもお付き合いいたしましょう。

 

☆「組織論」(高校生でも?・大学生・大人用)

「第2部・・その4」・・今回も第1部を易しくしたものです

今回のブログ・・「最適組織『重層柔構造』の具体の検討」

・・前回では、「重層柔構造」の組織構造の制度とその運営の理論的な展開を行いましたが、今回のテーマでは、「重層柔構造」の「自由・フラット組織」と「秩序・統制組織」2つの組織の融合的な接合のための具体的な工夫について考えてみます。・・

 

◎「重層柔構造組織」の具体的展開  

○ 組織の仕組み ~「ロマンなき仕事は作業である」~

同じような意味の言葉に,「神は細部に宿る」と言う西洋の諺があるようですが、これは、構想理念がいくら適切であっても、それが現場での具体的な動きに結びつかないことが多いことへの警告です。どのような活動にも「構想理念」とつながることが理想です。現実には、日々の仕事はその場しのぎであることもありますが、それは哀しい現実でもあります。その現場のしのぎが「構想理念」とつながるには、現場と中枢がつながるような組織が求められます。その組織のあり方を検討して、それが「重層柔構造」が最適であるとしたのがこれまでのブログでの結論です。そして、その組織の中で、「理念」「制度」「文化」「個人意識」が現実に機能していくための具体的な工夫が求められます。いわば、身体体系での「脳」としての「組織理念」と「身体構造」としての「制度構築」、それに「精神構造(神経系と血流)」としての「文化・意識」の整備がポイントです。(理論としては、例のマッキンゼーの「7S」とも近い)

スライド1スライド2

ここではその具体的展開について、特に「精神構造」に当たる組織文化と文化環境と個人メンタルの具体的育成の工夫などの検討を行います。それは「内発」の提言・提案にかかわることとなるでしょう。「外発」ではとかく「強制」的なこととなり、個々人の内的なエネルギーは期待できません。「内発」では、個々人の「思い」(価値観)がでます。それが是認されると、「納得」した活動となります。ただし、個人の内発には「そのままの欲求(我欲)」が含まれていますのでそれをそのまま是認したのでは、我欲の衝突の混乱で組織は成立しません。「自由フラット型組織」が組織の体をなさないのはこのためです。成立の基本は,組織の「責任制度」と「自由思考」との両立であり,そのためには「単純我欲の素の欲求」を高めるための研修が必要です。その研修には、フォーマル的研修とインフォーマル的研究の併存が求められます。それには、特に「PT」(プロジェクトチーム)と「TP」(サードプレイス)での取り組みが大切です。これを基本としながら,私の見聞した具体的な展開の工夫について述べていきますが,読者の皆さんのさらなるご検討をお願いします。

○ 組織の仕組み・その具体的展開 ~「具体なき理論は空論である」~

この言葉のように、理論や理念は重要だがそれが実現されなければ無意味であると言うことも事実です。思いは具体化されないと力を発揮しません。さらには、現場での具体的実践の検証なしでは理論の適正が検討できません。極端な場合には、誤った理論により不適正な実践がなされて多くの被害を生む可能性もあります。理念と具体実践とは同時進行であることが求められます。

そこで、ここからは「具体事例紹介」を行います。

・・「教育関係での具体的な事例」を紹介します・・私の経歴からしてここが中心となりますが、皆さん方の専門分野でも応用していただければ幸いです。

・・いずれも,私の見聞した「内発」型のプロジェクトです・・ご参考になれば・・

ここでは、特に「重層構造」の2つの構造をつなぐための工夫の事例を紹介します。これまでの幾度も述べたように、人は元来は「自由フラット集団」の中で、皆が平等に自由に行動できるのを好みます。しかし、これではまとまりが付かず、内部争いも頻発し、何ごとも決まらず実行できないままとなります。そこで「責任秩序型組織」が必要となります。これは、事をなすときの役割分担や権限を秩序立てて整備したものです。不自由となり、また階層制が入るので平等性も壊れます。だから、この2つの組織は相反する性質のものです。しかし、現実に組織運営をするには、この2つを融合しなければなりません。そのための工夫が求められます。

~実は,組織参加者が公的な「制度」(システム)を心の内面から承諾することは現実には困難なことで,多くの場合「面従腹背」の心理状態なのです。それだけに,この公的な状態で行われる「情報交換」(「報・連・相」)や「公的研修」は,必要なことではありますが,その内実はそれほどの深みや真実味も少なく,信頼度も低いものです。「責任・秩序制組織」だけではどうしても外的で形式的なものとなります。

それを是正するには,非公式に自由に自分の思いを出せる場(「内発の場・その文化」)が必要です。「TT・シンクタンク」がどうしても公的になりがちなので,「PT・プロジェクトチーム」(自発立ち上げてのエントリー方式によるプロジェクトチームの結成)や「TP・サードプレイス」での自由意見からの活動の充実が求められます。

ポイントは、責任制という器の中で、いかに内発の内部自由流動化があるかということです。そのためには、責任制は、守り型のクローズド「閉鎖的責任制」((「責任回避の責任制」)ではなく、オープン型の「積極責任対応型」」のものとなることが必要です。その中で、流動的に、「人」(人事対流・人事交流)と「意見」(開かれた報連相)が行われることです。

・・ここでは,その具体的展開として・・

 

(1)「PT」(プロジェクトチーム)・・日常での個人の提案や「TP」でのグループ提案などにより企画が造られます。それにより、個人・数名の発案でのプロジェクトの結成と実践が行われます。その自由な「内発」が組織を活性化します。

・・その「数例」・・

*空き地での野菜畑プロジェクト~学生・生徒が自発的に校内の空き地を畑にした・・当初は許可なく行っていたが、「企画書」を提出で認可・・

*前庭花壇プロジェクト~生徒会が新入生歓迎のチューリップを植えた

・・発案・実行も生徒会執行部・・有志が手伝い・・

*金魚育成プロジェクト~ある学校では10年来の育成を誇る

・・「10年飼育」の奥にある職員・生徒・保護者の参加とその尽力・・

*「間引き苗」育成計画~障害児学校での花壇作成・・

・・植え付け時に,指導の庭師が不出来苗を選別して捨てるよう指事・・生徒達が涙する(「私達みたいだ」)・・そこでこの苗を育成するプロジェクトを結成・・

*夏休み花壇水遣りプロジェクト~小学校生徒(児童)・保護者が夏休みに輪番で学校花壇に水遣りに・・その時に家のクーラー電源は切って外出の約束・・

*家庭クラブ弁当作成プロジェクト~地域農家との共同により弁当の販売

・・学校行事の時に、参加者から注文を受ける・・地産地消の弁当造り・・

*卒業生残し靴・体操服の援助ボランティア・・生徒会が実行 ・・残された靴やジャージの再活用・・途上国への支援へ・・

☆ブログ用「組織論2②シート」

 

*「エントリー制 掃除担当」・・割り当て義務ではなく、学校への愛情から掃除場所を自分たちで選んで自主的に実施する・・

*「学校ネコ」や「学校犬」などの飼育・・有志責任グループによる飼育を前提として責任を持たせる。(C生徒会からの自由発案時に・・)

*「生徒作品オークション」・・生徒達の作品を売り出し・・保護者や地域の人が購入・・生徒会費に納入(アメリカンスクールでの発案)

 

(2)「TP」(「第3の場」・・ややインフォーマルな場での自由な内発発案で,具体的な工夫が可能・・この中からプロジェクトプランを選出・作成・・こうしたアイディアを募集する「場」の設定・・文章でもイラストでもOKとする。ここから多くの「PT」ができあがる。(「補足」・・内発案プランにはイラスト化などの工夫が良いとされる・・『旭山動物園の作り方』参考)

・・ここではもっと自由な発案が期待され、組織のベースからの内発力が高まる・・

・・こうした取り組みが、見えにくい内奥の問題を浮き彫りにする文化を創るのではないか・・

・・その「自由な場」作りの具体例の紹介・・

*「組織内ニックネーム」=「公式ネームプレート」の横に「ニックネーム」を記して,一定日・一定時間には自由な人間関係でのコミュニケーションを行う「場」作り・・R製薬。

*「自由喫茶室」や「コーヒーの立のみ場」=保護者・OB・OGなどの自由参加の場や組織員の自由発言が促される「場」の設定・・S区W中学校。

*「自由発案行事」・・「職場対抗運動会」(D工業)・・綱引きチーム結成

・・職種・階層を超えたグループの結成・・職場の風通し進む「場」の設定

*「誕生会ミニ行事」(B企業など)・・発表と祝い(チョコ程度)

・・職場ムードの改善・・内発の自由発言が進む「場」つくり・・

*「黙示啓発・内発(教育)」=事業所・学校での,玄関・庭園・廊下などに,自然物・文化物などを設置や掲示したりして,「ものは言わない」(「黙示」)がそれとなく雰囲気として啓発するもの。花木や俳句・川柳,絵などの展示。それには, 建前的なものではなくより内面的なものに。(G高校では売店が主催する「売店川柳会」)・・そういう自由な内発の「場」の設定

*「理想の職員室」プラン・・教師の希望プラン(「図を参考」)

・・フォーマル(集団の場)とインフォーマル(少人数談話室)の「場」の調和が良い・・

*その他、「『誉めカード』発行」・「『さしすせそ発言』プレート」設置・「『インフォーマル組織4カ条』プレート設置」・「職場川柳大会」・「いいたいこと飛行機大会」などによる相互承認と内発発言を促進する「場」を設定している。

・・*「さしすせそ発言」=(さ「さすが・・」、し「知らなかったよ」、す「すばらしい」、セ「センスがいいね」、そ「そうなんだ」)

・・*「インフォーマル組織4カ条」=「来るものこばまず、去るもの追わず、悪口言わず、みんなが主役」・・インフォーマルな組織でも、とかく真面目な指導者達がそろうと寛容性がなくなり、硬くなり、面白くなくなり、解体してゆく事例を身近にもよく見受けられます。現在の日本社会では、「TP」(サードプレイス・第三の組織)のはずなのに、まるで企業の公式の組織のような運営を行う真面目な人材が多くいるのです。そんな人たちに見せたいプレートです。

・・*「言いたいこと飛行機」は自分の本音を書いた紙を飛行機にして飛ばす大会です。「夢・希望」「困ったこと・訴えたいこと」「感謝したいこと」などを書いて飛ばすのです。匿名も自由とします。もちろん訴えたい時には自分が分かるようにすることもあります。飛行機を回収するのは企画担当教師です。教室での「アンケート」調査よりも本音が出せ、広い気持ちにもなれるのではないかと思われる。もちろん、このための教師信頼度の維持は大前提です。

スライド4

「ついでに・・補足」・・賢い組織の具体的な運用例

「ある重層柔構造組織 でのAさんの活動から考える」~

Aさんは,昨日から気にかかっていた問題につい自分なりに考えて,まず,朝の顔合わせで,同僚のBさんに,昨日の課題について疑問点と自分の感想と意見を述べて,自分の対応について相談しました。その際に,彼女も同僚のBさんも,まずは組織のルールを意識しての公式的な対応を想定しながら思考して一応の解決策を出し,空き時間に上司であるグループ長のCさんに報告し,午後のグループミーテイングにそれを提示し,グループ内での共有化を図ることにしました。

そのミーテイングでは,当初では,皆がそれを妥当だとして承諾しょうとしましたが,Eさんが「ルールではそうなのだが,何か腑に落ちないのよ」と言い,自分の疑問を述べ始めたのです。実は,Aさんも,心の底では自分の出した対応策に納得はしていなかったのだが,当事者としてはそうした疑問を言い出しにくかったのです。この件は,組織のルールのあり方に関わることにもなり,この日のグループ会議では結論が出せず,「シンクタンク」に検討を提起するよう,グループ長のCさんは執行役員のDさんに報告と相談に出向くこととなりました。そこで,翌日「シンクタンク」の会合が招集されました。

このシンクタンクは,組織内の人事配置・性別・年齢構成をある程度考慮して形成されており,組織のミッションの作成や検討を担い,またマネジメントのやり方についても現場からの提言を受けながらそれを検証する権限を持つものです。この「シンクタンク」からの提言はトップ層も尊重して,組織改善に努めます。この任期は基本的に3年です。実は,Aさん自身も昨年からこの会の若手メンバーに選出されて,これまで様々な研修や研究を行ってきております。Aさん自身は,自分の専門は言語学ですが,歴史的な古典的な文献や将来予見に関わる本を紹介されて読んできました。そのお陰で,幾分視野が広がったようにも思いますが,まだ30歳代の始め,仕事経験はある程度はありますが,人生経験は充分ではないために,それほどの確信があるわけではありせん。そのため,ついつい先輩の理論と経験からの判断に追随しがちになるのですが,その「シンクタンク」には,この組織外からも2名のメンバーが来ており,とかく内向的・主観的な議論になるところに外部からの客観的な視点から議論を大きく広げるための意見を出しますので,Aさんも別な思考と判断について知ることが可能となっております。現状の勤務の関係で,現役者を2名そろえるのは困難で,そのうちの1名はすでに退職して勤務はフリーな人ですが,それはそれなりに時間軸を広げる役目を担っております。

また,この組織では,「シンクタンク」だけでは,どうしても思念型になりがちなので,現場からの実践とそれによる提言を明確にできるよう,「プロジェクトチーム」の育成も推進しています。これは,日常の業務の中での改善策や新しいアイディアの試行を行うものですが,これにはそうした策やアイディアを提唱した人が中心となり賛同する人がメンバーとなり結成されたものです。ここでも,組織の既存のルールにも挑戦する思考も許され,実践については執行役員の許可を得れば試験的に行うことも可能なのです。Eさんは,自分でこのプロジェクトを立ち上げた人で,現場での自分の思いや感性を重視するタイプの人です。

この組織が画期的なのは,「建前議論で人を縛らない」ことを重視していることです。「参加者がそれを納得する過程が組織の強さである」そして,「建前だけでは本当の納得ではない」ことにも気付いています。ただ,それには,当然その前提として,「建て前」としての組織のミッションの意義と役割を尊重し,そのミッションが空洞化しないためには,その内実を充実することが必要だという組織的意思が組織のトップ層にあるのです。彼らは,自分たちの組織が行う仕事が社会に持つ意義と役割をいつも検討して,そのための組織制度はこれが最善であると自信を持てるだけの日々の検討を繰り返しているのです。この執行役員たちトップ層のこうした自信の裏には,先ほどの「シンクタンク」や「プロジェクトチーム」の活動との連係があるのです。

実は,この組織も,ここまで来るのにはそれ相応の道程がありました。組織の建て前のミッションさえなく個々人の思い思いで,参加者の「数の論理」でものを決めていた時期。その後,その反動で,トップ層が「専一的」に判断・決定し,トップダウンしていた時期。この「2つの痛い失敗」(「大衆迎合型」と「トップ専横型」)があったのです。

しかし,その後,この組織はこれらの失敗を糧にして堅実・健全な組織改革を行い,数々の工夫もしてきました。大きな組織改革はこれまで何度の述べた「重層柔構造」の制度と文化です。そして,この重層柔文化を日常に定着するため,つまり,「組織と自分」の両立を意図して,組織員のネームプレートにも工夫をしています。それは,公式職名と併せて組織内ニックネームを併記するものです。公式の仕事関係は役職名と本名で呼び合いますが、「TP」の「場」では、組織ルールとは異なっていても自分の「本音」からの思いを述べますが、その時にはニックネームで呼びかけます。時々混同も起きますが,最近は大分定着したようです。「TP・第三の場」としての喫茶室では,ニックネームを使っての自由な意見交流・対流が行われていまので、そこでは,「実はこんな場面を見たのだけど・・」「皆は000だと言っているが,本当に皆そう思っているの?」「今こういうことだけど、もっとこうしたら良いのでは・・」などの,気付きや意見が出しやすいのです。そして,案外とこうした会話が,組織内の常識的見方や「無理やり合意」(これにはトップからの抑圧と同僚からのピアープレッシャーによる自己抑制から起こります)の問題点を明らかにします。このお陰で、裏で行われていた陰湿な仲間外しも明らかになりましたし、数人の下積みの努力も顕彰されました。

そして,こうすることによって,「第一の場」(公的職場)での討議が,逆に明確になってきました。この場では,職名と立場を明確にしたうえでの議論となるのですが,「第三の場」での本音トークによる一定の納得の上での組織ルールの是認となっていますので,これまで以上にこの組織ルールの尊重意識は高まってきています。もちろん,ルールや組織決定への疑問があればまた,それなりの本音トークを行い,一定の方向が出れば,公的なルートで「シンクタンク」での検討を進めます。このような柔軟組織運営が保証されていることから,組織への愛着と信頼はこれまで以上に高まっています。

そして,こうした組織の制度と文化は,他の下部組織(「企業なら関連組織」,学校なら「生徒会組織」・「保護者組織」)にも適用します。そうすることで,この下部組織が活性化し,そこから新しい提言が出てきますので,組織全体としては大きな力量アップになりますし,外部対応の機能化はもちろん内部敵対行動や不祥事などが事前に解消したり防止できたりして,危機管理能力が高まります。

さて、遅くなりましたが、先の話の続きですが・・提案を受けて、「シンクタンク」は,これまでの組織ルールでは充分な対応ができないことと判断し、一部の組織改革を行うことにしました。それにより、Aさんも現場対応の活動が撮れるようになりました。

 

 「おまけ」・・「VSOP表」の作成・・この組織では人の育成表を作成しています。

~ VS段階では,「人材」育成レベルであるが,OP段階となると次第に「人(人格)」育成の要素が強まっていく ~

「参考資料」・「教職の仕事力の成長『研修から学習・研究』へ」

・・生活と学習・経営領域での検討・・

成長段階 職員資質成長課題 生徒指導・生活文化,生徒会の育成力を身につける 学習文化の育成力を身につける 組織経営力・他組織との連携力を身につける
Ⅳ期

50歳台

人間性・大きな見地から仕事に取り組む

◎「生活文化習熟」

講話・説話ができる

◎生徒には「許す・「受け止める」内面的な対話力」・・「心の背景へ」*問題生徒の受容と指導*後輩教師の指導

「学問からの発想」

◎真理探究・仮説設定力などの「学習文化」を育成する・「学習講座」が開ける

◎「自作参考書」「学習指導書」の発刊

◎「長期展望人間育成からの発信」

*人が育つことが実績に繋がることの把握・発信

*「組織論」「人間論」に関わる著述・講師を務める。

Ⅲ期

40歳台

グループのリーダーとなれる

◎「生活文化指導」

茶と華の基本指導

◎生徒には「諭す」・「つながり作り」「心へ」

◎「生徒育成の理論と実践」の指導 *主任的な役割・研究会・研修の講師に

「学問探究と学習の合体」

◎学習理論の奥行き作り

理論研究の推進

*「自作問題集」の発刊

*「研究誌に小論文を」

「学習研究会」の立ち上げ・リーダー

◎「経営全体からの発信」

*経営理念とマネジメントの力量=「理念・組織制度・人・環境」の総体から考え,組織総体での改善策を提示することができる。

*研修のチーフとなる。

Ⅱ期

30歳台

専門職の意志と技能を深化

◎「生活文化修得」

「叱る」・「語れる」

*生徒への対応・・明確なnoとyes

「態度への関心」

◎「生徒会・クラス育成理論を学ぶ」

*理論的研修=読書,先輩・上司と連携

「教科10年の後期」

◎「学問探究」の継続

教材開発力と学問研究の一致

*「自作サブノート作成」

「教え方・学び方研修」

*学習心理・評価・組織論の研究,質問できる勇気

◎「経営合理からの発信」

*理念構想の検討を行う。(組織総体のあり方の研修・古典の智恵・他校研修)*経営的視点=投下量と成果関係を理解(「マネジメント系の理論研修」)

*講師として,問題点の改善案を提起できる。

Ⅰ期

20歳台

職業への情熱と先輩・同輩から学ぶ姿勢

基本的な職業技能を修得

◎「生活文化修養」

礼儀・清掃文化の修養・校歌習得

◎生徒の中に入る「率直に怒る」・「共に汗を流す」*生徒に率直

「行為への関心」

◎「生徒会・クラス育成の実践研修」

*実践しながら理論を

「教科10年の始まり・とにかく学ぶ」・・教えることは学ぶこと

◎「勉強と学問との両立を」・学問を忘れない

*大学時代の書物を保持*教科書・参考書を徹底学習

先輩教師から学ぶ・・徹底質問できる素直さ

◎「経営への関心・発信への意欲」・・仕事の構造を理解する

*組織は,「理念・目標・制度・人・設備・資金」からなることの理解

*仕事と職場を好きになる

*現場への溶け込み・学び

      V:vitality   S:specialist   O:organizer   P:personality

 

「参考文献」・・「おもな参考・引用文献のみを掲示」

堺屋太一『組織の盛衰』PHP出版,2007。

野中郁次郎『失敗の本質』ダイヤモンド社,2012。

久繁哲之助『日本型スローシティ』学陽社,2008。

郷原信郎『「法令遵守」が日本を滅ぼす』新潮新書,2008。

稲盛和夫『アメーバ経営』日経ビジネス人文庫,2012。

童門冬二『情の管理・知の管理』PHP文庫,2001。

岩田松雄『ついていきたいとおもわれるリーダーになる51の考え方』サンマーク,2012。

山本誠二『行動科学入門』生産性出版,2,005。

林 總『成果が出ないのは,あなたが燃費の悪いアメ車の働き方だからだ』中経出版,2014。

遠藤功『現場論』東洋経済,2014。

ベン・ウエイバー『職場の人間科学』早川書房,2014。

ピーターセンゲ『学習する組織』英治出版,2013。

オットー・シャーマー『U理論』英治出版,2014。

S・R・コーヴィー『7つの習慣』キングベアー社,2003。

・・なお,「まんがでわかる 7つの習慣」宝島社,2014 もお薦め

毛利 豪『最強チームの作り方』マイナビ新書、2017。

 

・・第4回ブログの終わり・・

組織論 第2部 その3 「重層柔構造の検討」

~「お知らせ」・・・「9月27日」から第2部(普及版)です~

このブログは、「学習論」・「組織論」の2つになっております。私が、この2つを同時に考える方が自分の思考力が増すと思うのでそうしていますが、皆さんは、適宜どちらかを選んで読んでください。

「学習論」は中高生を思い浮かべて書いております。小学生でも、5・6年生ならもしかしたら理解できるかも知れません。・・分かる範囲での参加をしてみてください・・(分からないからと言って全部捨てるのではなく、分かることだけを拾って学習するのが成長の道です。次第に分かるようになります。)

また、この「組織論」は、大学生以上の大人の方を読者と想定していますので、高校生でも挑戦しようと思う人以外には難しいかも知れません。

 

 なお、多くの方々は、この第2部(「9月27日」)から読んでください。第1部は「理論編」となっていますので、それなりの研究意識がある人への対応となります。

・・第2部からでもOKなのは、結局は、この第2部は第1部の論述の多くを取り入れているからです・・

・・それでは・・

 

☆「組織論」(高校生 ?・大学生・大人用)

「第2部・・その3」・・今回も第1部を易しくしたものです

今日のブログ・・「最適組織 『重層柔構造』の検討」

ここで、どうしてこの組織論を書くこととなったのかについて改めて確認しておきましよう。それは・・

 「理由の検討」

1:現在、組織の成長過程を無視しての対応が行われ、多くの失敗と悲劇を生んでいるからです。

・・組織は、成立・発展・成功・崩壊という過程を取りますが、その成長段階において、それぞれ異なった対応が必要なのですが、それを見事に無視して、画一的対応を行っているのが多くの現状です。この失策を何とかしたいという思いです。(実は数年前まで私もそれに気づかずにいました。)

2:多くの組織論が、システム論を重視したものであり、組織の基本である「人間」についての検討があまり成されていないことから、表層的な対応となり、組織改善がうまく成されていないからです。

・・組織はシステム(「制度などのしくみ」)が重要なのですが、その際に、「人」の掘り下げ検討をしないまま「人材」(「組織に都合よく動く人間」)とみなして、その上にシステム論を立ち上げていることから基盤が怪しくなってきます。ここの掘り下げから再検討することが必要と考えます。(実はこれも、私も数年前までは「人」をいきなり「人材」と規定し、その定義を押しつけることが研修だと思っていました。)

 

さて、この2点を課題として、この組織論を展開することとします。

 

今回のブログ 「重層柔構造」の検討・・

その1:「組織内部の人的要素から考える」・・・

今回も・・次の言葉から考える・・

「会社は、」夢で始まり、情熱で大きくなり、責任感で安定し、官僚化でダメになる」

                      坂本幸雄「元 エルピーダメモリ社長」

これまでの2回のブログでは、組織のあり方を、「集合」・「集団」・「組織」への変化として考え、その中での人間を、「自由人」・「組織内人材」・「組織従属規格人」として捉え、それに応じての組織変化を、「自由的組織(集合)」から「秩序的組織」への変化として確認しました。

さらに、これからの最適組織は「自由と秩序」の共存型である「重層柔構造」であることも提示しました。

今回の第3のブログでは、この「重層柔構造」組織の検討に入りますが、この検討のポイントを,組織形態やシステムの点からではなく。その組織の構成要素である「人」の面に置きます。これまでの組織変化の検討からも、組織の構成要素である「人」の「意識」(「夢・志から日々の心情・気持ちなど」)の変化がポイントであることが分かります。

・・ここでは、その「人」の問題を「課題解決型」の手法で検討してみましよう・・

 

1:「人の意識変化」・・「自由的組織」と「秩序的組織」

これまでの検討から、「自由組織」(実は組織以前の集合段階)では,人は「独立自由人」であり、「秩序組織」では「組織人材」であり、さらには「組織従属規格人」となることが分かりました。

今回も、先のブログの「SL理論の応用版」(夢・情熱・責任・官僚)を基に、それぞれの段階での問題と課題について、「人の意識」に焦点を当てて検討してみます。

「図」・・「組織の変遷」

☆ブログ用1「組織論超ポイントシート」

 

○「自由人」の段階・・「夢から情熱」の段階

・・「どうも、内の会社は自分勝手な者が多くてまとまりがつかない。こちらが言ったことを、適当に聞き流して、後は自分流にするのだから、クレームがあった場合にもその当人しか対応できない。確かに、その反面自分の仕事には思い入れがあって、勤務時間も気にしないで納得いくまでよく働くことは認めるが、組織としての統制がつかないのは困りものだ」・・(A社部長)・・

かつて、私も、学校教師は、「職人か職員か?」と考えたことがありますが、この「夢・情熱」の時代は、職人の要素が強いのです。会社でも、創成期は「職人」の要素が強いことは、本田宗一郎氏の物語から理解できます。彼自身が職人だからあそこまでのこだわりを保ち続け、ことを成したのだと思います。

彼ら職人達が働きやすいのは、自由な雰囲気で規制がない状況です。そこでは自分の夢を膨らませ、情熱ある仲間と集うことができます。ここで、夢と情熱がある人が伸びていきます。そして、その思いを持った人々を組織化し大きな力となっていきます。それが、動物との違いですし、人類をここまで繁栄させた原動力ですが、これが「組織」という宿命を背負うこととなります。

また、もう一つの理由からも、組織化が求められます。この初期の段階では、自由な競争があるのですから、問題としては、夢ある人が互いにその夢を追求することで、「弱肉強食」の「自然状態」(「万人の万人に対する闘争」)となることです。この状態では、ものごとの決め方も組織的なルールがなく、数々の闘争を経た後で決まるということとなりますし、弱い人間や弱小集団では闘争に負けて生き残れないこともあります。つまり、「自由」ということは、強者にとってのことであり、弱者にとっては「不自由」であり、また、ルールなき競い合いは、集団としてのまとまりもなく、結果的に組織化した集団には負けてしまうこととなります。・・歴史的に見て、部族長連合社会は組織的統一社会に負けています。暴力団でさえ組織化を行います。

○「組織人材」での段階は・・「情熱から責任・安定へ」の段階

「一定の秩序制度」で組織化された社会の人のあり方で、自由人の段階よりも、ルール化された結合となります。この組織では、「弱肉強食」の動きも、一定のルール(*「組織保持のルール」)により緩和されます。また、物事への対応も、組織的なルールにより検討するので、責任分担も明確となり、素早い実行となります。「自由」から「秩序」へという動きは、合理的な法則でどうしても避けられないものです。

でも、初期のこの段階では、まだ組織創立期の「夢と情熱」が引き継がれており、「職人気質」の人材もおります。自分の「夢や思い」で走りたいと思いながらも、組織のルールを意識して、自分勝手なやり方を自制することも可能となっております。いわば、「自由」と「秩序・責任」のバランスのとれた理想の状態です。でも、このバランスは微妙な関係から成り立っていますので、崩れやすいのです。

*「組織保持のルール」・・全く自由に内部闘争が行われるとしたら、勝者は敗者を殺すかも知れないし、それに対して、敗者のグループは復讐し、血で血を洗う悲劇となる。そうして、双方とも、それなりの有能な人材を失うこととなる。組織全体からすると、結果的には損失である。何らかの、敗者存続や復活のルールが求められるのである。近代ヨーロッパ、とりわけイギリスが世界制覇をしたことの裏に、近代民主主義での政権交代のルールが敗者の存続を許し、それがその国の組織力を高めたことと深く関わっていることを改めて考えさせられる。

それに比して、現在でもアラブ世界やアフリカの一部の世界では、未だに血で血を洗う悲劇が続き、多くの有能な人材が失われております。自ら組織力を弱める愚行を行っております。個別的な闘争能力はあっても、組織的な対応能力は未熟です。

日本は、近代ヨーロッパの知恵に学んで成熟してきましたが、元来が、組織的な共存思考を基底に持っていたので知恵が身についてのですが、これからもこの思考を大切にして、決して、自らの組織力を失うような「闘争」型の愚行を真似ることがあってはなりません。

 

この時の「秩序」化の根底には、「利害」関係の調整が必要なこととなります。

人は、自己保存の強い思いがあり、これを無視しての「調整」(秩序の始まり)はあり得ない。しかし、時には、自己利益を譲らなければならないこともあり、その時には「情感」のルールが持ち出されることとなります。・・親族・同郷・同窓・朋友などでの妥協による調整が行われます。

さらには、大きな集団間での調整では、「理念」が必要ともなります。「共通の思い」ですが、これも基本は、当初は「共通利害」です、その後は「共通感情」(共感文化)」へと発展し、さらにそれが純化されて「真善美聖」レベルの「観念」となります。この「理念」は、初期には*「共同幻想」ですが、やがては体系化した「宗教的」な色彩を帯び、さらには、合理的な「構想」(ミッション・グランドデザイン)となっていきます。・・組織では、企業の「社是・社訓」・学校の「校是・校訓」、国家レベルでは「憲法」などが、この理念の顔を表していますが、その奥には何らかの思想的な思い入れがあります。・・

このように組織が大きくなり安定するには、「利害」「情感」「理念」の3要素が、それなりの組織の性格によって、それなりのバランスを保つことが求められるのです。初期の段階では、「利害」や「情感」が目立ちますが、高度で大きな組織には、どうしても「理念」が求められます。でも、この理念が、組織を強化すると同時に、組織文化を硬くし、人の意識を内面から縛ります。「利害」ならば、割り切れます。「情念」ならば、状況変化で変わります。しかし、「理念」であれば、「正義面」(真善美)をしますので、逆らいづらいのです。・・(「正義」論を言う人が敬遠されるのは、こうだからなのです・・知識人・評論家・教師など・・私も忸怩たるものがあります・・)・・でも必要なのですから、できるだけ「最善のもの」(この発想もちょっと知識人・教師っぽい?)・・できたら「ましなもの」にするのが、知識人達の仕事なのです。それには、もちろん「思念」だけではなく「現場」実践とつながった学習・検討・立案が求められます。

*「共同幻想」・・原始社会から抜け出る場合に、部族の統合~部族間連合~大部族統合~クニの成立~クニ連合~国への統合 となります。その際には、統合の象徴としてのシンボルが必要となります。古代の銅鐸・銅鏡や銅剣・銅鉾(部族連合・統合段階)、さらには古墳・ピラミッド(クニから国レベル)などがそれです。後には、巨大な建築物(神殿・王宮)や当の人物そのものが象徴となります。その象徴思想を支えるのが、古くは神や天の存在を認めてその「依り代」(仲介者・物)を想定する考え方である。組織をまとめるには、別な言い方をすると「人の意識をつなぐ」には、どうしてもこのような象徴が要るようです。現代でも、わが国は「象徴天皇」制であるし、どの組織にもそれらしい「人」(レジェンド・カリスマ))や「物」(「三種の神器」など)があります。

この初期の「共同幻想」の成立状況について、分かりやすく理解するには、今選挙での「Kb党症候群」を検討するとよいでしよう。それまで属していた「M党」の理念も象徴も弱くなったので・・つまり共同幻想が崩壊したので・・あらたに別な共同幻想に寄りついたのであるが、そもそもが初歩的な「共通利害」での寄り合いのためのそれであったままで「観念」レベルには至らず、象徴らしき人物への幻想が減退すると崩壊してしまった。古代の組織成立でも、このような試行錯誤を幾年も経ながら、それなりに成長して組織的展開をしてきたのだろう。

 

○「組織規格人」の段階では・・・「責任から官僚化」へ

・・「どうも、内の学校では、指示待ち型の職員が増えてきたように思える。決められたことはやるのだがそれ以外のことへの関心がない。職員同士の会話でも、当たりさわりのないことでのお喋りはあるが、互いの仕事については口をつぐんでいるようだ。この前のちょっとしたトラブルも、隣のクラスの先生は気づいていたはずだが、それを該当クラスの担任には知らせていないし、教頭先生にも報告していない。『報・連・相』が大切だとは分かっているはずなんだが・・」(B校校長)口

 

組織が、一定の制度化により成功して来ると巨大になり、制度も精緻になっていますので、そこに属する人間は、その制度の中の階層と役割分担に割り当てられ、「00部00課00係」での仕事を行うこととなります。そして、その範囲での権限と責任とをになうこととなります。先に述べた「自由と秩序」のバランスが崩れ、「秩序」的要素が強まり、人も「職人から職員」への移行が進みます。

彼ら「職員」をまとめているのは、基底では「利害」関係で、小集団では「情感」の共有もありますが、これほどの大きな組織をまとめるのは「理念」的な構想(「ミッション・ビジョン」)によります。このバランスが整うと、組織は最盛期を迎えます。この時には、「利害」調整がうまくいき、互いの「情感」も信頼でき、「理念」は理想を示しております。

しかし、内部状況の変化により、「利害」関係が変わり、その調整の失敗が、相互不信「感情」が引き起こし、それらをまとめるはずの「理念」が有名無実化して理想を持てなくなると組織の危機がやってきます。本来なら、状況の変化に対応するように「理念」の柔軟な変化が求められるのですが、それが組織の硬直化でできなくなるからです。

それは、1つには、純粋な集団が「理念」を純化しすぎて、現実の利害関係や情感を無視することから起こります。これが、トップの政策立案グループの純化ですが、これは、体制が安定して来てその体制保持のために、現場を離れた思考レベルでの有能集団(「机上ペーパー試験有能者」)を育成することに起因します。理論的思考は必要不可欠ですが、それが「思考のための思考」に陥り、現場対応のできないものとなる危険性があります。・・この失敗の例は歴史にいくらでも見いだされます・・古くは「巫女や神官集団」の過ち、その後は宗教集団の純化(内部論理への拘泥)と特権化、近年では特定学歴集団の純化と特権化、さらには選良である議員の純化と特権化などなど・・

2つには、この純化が、特定の利害集団が権力を握り「理念」を操作することで起こることです。つまり、自分たちの「私的利益」を「公的な正義」の顔をさせて「理念」を操ることです。これまでの多くの現実では、この2つが絡み合って起きています。しかし、内部でそうした変化が起きては居ても、この段階では組織の強大化が続いており、歪んだ理念の力は強いもので、最盛期を続けております。

そして、この肥大化した「理念」に合わせて、組織参加者を順応・順化させる動きが起こると、「組織従属規格人」が誕生します。彼らの意識は、組織への「忠誠」という純粋な側面と、「理念」を握るトップ集団に迎合しての「自己保存」の側面とを併せ持ちます。彼らが、なぜ組織順応を行うかといえば、「自己の仕事分担」を「権限」として積極的に捉えるよりも、「責任」として消極的に、つまり、自己防衛的に考えてしまうからです。組織の成功時のはじめには、この「仕事分担」を「権限」と捉えて積極的に仕事に取り組む人間が主流でしたが、しかし、最盛期も後半となると、「責任」は回避すべきものとしての「限定責任」の意識へと変わってきます。

もちろん、そう考えるにはそれなりの理由があります。1つには、組織が大きくなりすぎていますので、自分の仕事分担が全体像との関わりでみえないため、縮んでしまうこと。2つには、組織トップ層の夢と情熱が伝わってこないために、仕事にロマン・情熱を感じられず、前向きになれないこと。補足すれば、このトップ層自身にも、夢と情熱がなくなり(本人の意志後退や世代交替など)、経営は運用マネジメント中心となってしまい、将来展望を意識したリーダーシップは弱体化し、従業員には前を見ないで足下だけを見させてしまうこととなっているのです。3つには、組織が成功したことで、その運営が精緻になり、ミスが許されない状態となったことから、安全志向が強まり、規定以外の発想が抑圧され始めたこと。法令遵守(コンプライアンス)は、安全と安定には不可欠なものですが、それが効き過ぎると、現状の規定の問い直しさえできなくなり、改革はできなくなります。

さらに悪いことには、こうした意識が「自己防衛的な心情」となり、他者への無関心を引き起こすことです。他者の過ちを見つけても、それを注意することも改善の助言をすることもしなくなります。「組織従属規格人」は、組織がそれを「注意しろ、助言しろ」と言うまで自らは動きません。自分は、組織を動かすものではなく、組織によって動かされるものなのですから。だから、彼らは、当たり障りのない会話はしますが、意見や提言はしません。それは、自己責任枠を拡げることになり、広がった責任が自分の首をしめるかも知れないからです。こうした意識の特徴は官僚制の弊害そのものです。

 

2:「意識変化への対応」・・「自由人」と「規格人」

組織の変遷が、組織自体の成長論理(自由発想から責任・秩序制)とその組織人の意識変化(自由意識から責任意識、従属意識)から起きているのですから、これへの対応も、変化に合わせたものとなります。

○まずは「自由人」への対応・・「夢と情熱」の人間への規制

彼らは、自己内部の思いとその表れである行動とが一体化しておるので「一重人格」といえよう。彼らへの対応は、それだけに単純で、自由すぎる発想と行動とを規制して、集団での調整に合わせるようにすることです。その際には、自由であることの利点を残しながらも、いかにして集団や組織に馴染ますかが課題となります。抑制しすぎると、改革・改善・工夫の芽を摘むこととなります。自由的要素がポイントである芸術・スポーツ集団では、抑制が効くとそのグループの力がなくなります。通常の組織においても、このような自由人のエネルギーは組織の活力を高めます。ですから、自由の促進と抑制とは実際には微妙なものであり、組織経営の要でもあります。でも、次の「規格人」への対応に比べればみえやすいものといえるでしょう。

この段階での対応としては、「自由奔放」への「規制」であり、組織的な法規法令への順応を進めることだといえるでしよう。その際の、規制の適度さがポイントです。

 

○そして「規格人」への対応・・「組織従属意識」への迫り方

前述したようにこの「規格人」は、組織の論理(「理念」やしくみの現実)に自分を合わせていますが、内面での自己(「利害」「感情」「理念」)も当然保持しています。それが一体化しないときには、「面従腹背」した「二重人格」となります。それだけに、対応も複雑となります。

組織の「「研修」で、彼らに組織の理念や現実システム運営を学ばせると、彼らは、理念は深めるのではなく形として戴くものとして考え、システムはただそれに従うものとして捉えます。内面との整合性は次第に感じなくなるのです。「自分は00だから00したい」という内面的な思いを抑制し、「自分は00だけれども、☆☆と言われているので、ここでは☆☆だ」としていくのです。これを繰り返していくと、それが自然にできることとなり、規格人となります。この段階で、組織がうまく経営されていれば、彼らは素直で有能な人材となり、最盛期を迎えます。

しかし、前述したように組織の衰退が起こり始めると、彼らは「自己防衛」に入り、組織の崩壊を早める人材となります。「見知っていて気付きなく」、「感じても感情なく」、「思っても提言なし」の人材になるからです。そして、悪いことには、それまで一応戴いていた理念を疑い、単純に従っていたシステムやルールを軽視し始めると、「組織従属規格人」(「社畜」とも言う人が居る)は、夢と情熱を持たない「自己保存のためだけの後ろ向きの自由人」となります。昨今、多く見られる新タイプで、彼らは能動的なエネルギーは持たないが、崩壊的な隠微なエネルギーを持っています。

この解決策の1つには、このような規格人達やそれが崩壊した虚無的な群れの中に、かつての自由人のような「自己感情」や「熱い思い」を持った人間を登場させることも考えられます。・・先のブログで触れたニーチェの「英雄時代」への憧れも、当時のドイツ社会の危機感から来ているのかも知れません。一般に、「実存哲学」のグループは、20世紀初頭のヨーロッパ社会の組織的硬直化への批判を原動力としています。確かに、*「自由人」との触れあいが、「規格人」達の蘇生には、刺激とはなりますが、でも、これだけでは、また以前の「自由人」の善と悪を背負い込むだけとなります。いわゆる、単なるアンチテーゼとしての「反組織運動」として一過性で終わります。

組織で生きるものにとっては、組織との整合性を保知ながらの解決策として別な方法が必要となります。それが2つめの方策です。それは、彼ら「規格人」の、殻を緩めて内奥にある内面の思いを呼び起こしながら、しかもそれが、孤立的・利己的なものではなく協力・共存的な組織化ともつながるものとするものです。内面の思いを呼び起こすには、先ほどの「熱い自由人」との出会いが必要ですが、その気持ちを組織内で保持するには、当初の反応に次いでそれを踏まえた上での対応する姿勢が求められます。組織の「秩序・ルール」の中で、どこでどれほどの「自由」を出せばよいのかを思考しながら対応できる「学習」が求められるのです。もちろんそれには試行錯誤のある程度の許容も必要です。

この「学習」と「試行錯誤」を抜きにして、いきなり過ちを許さない「法規法令の遵守」の「研修」を行うだけではこの問題は解決しません。彼らは、自己防衛的になり、自分の思いを抑圧して鬱積させるだけです。

ここでのポイントは、「上からの研修」ではなく、「内面の掘り下げ学習(探究)」が、組織的な協働活動として行われることです。「上からの研修」は「結論」からの発想で、そこに向かわせるものであり、どうしても「結論ありき」となります。研修受講者は「イエス」というしかないので、時には仕方なくそうしているだけかも知れません。これでは「面従腹背」の強化でしかありません。

ですから、組織が内面的にも強くなろうとするならば、組織員のできるだけの「納得」を得る努力をすることです。それが「掘り下げ学習・探究」による、内面の発露からの学習です。もちろん、この内面には、利己的野心や破壊的エネルギーもありますので、その発露そのものを是認したのでは組織崩壊となります。だから、学習が求められるのです。これには、組織トップ層・中核層の「掘り下げ」への意志が欠かせません。彼らの、組織の継続的進化への思い(「夢と情熱」の想起です)が要となります。原点・基底まで「掘り下げ」てからの「ボトムアップ」が必要です。それに、周辺層の中からどれだけの人材を向かわせられるか、そしてそのために、周辺外層からの刺激をいかに活用できるかがポイントとなります。

「図」・・「積み上げ研修と掘り下げ研究(探究)」

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これらの課題に対応できるのが、本論での中心テーマである「重層柔構造」です。この「自由」と「秩序」の2つの構造の融和とそのつなぎを果たすのが,「TT:シンクタンク」「PT:プロジェクトチーム」「TP:サードプレイス」などの柔軟的なサブ組織がですが、これについては、次回のブログでさらに検討しましよう。

 

*「自由人」からの刺激・・私達が、自由な芸術作品に触れて、その自由さに感動したり、有能なスポーツ選手の自立した個性に憧れるのは、日常生活での組織的順応に疲れを感じているからかも知れない。日常では、建前と本音の二重生活を送らざるを得ないのですが、それは意識の疲労でもある。それを解消してくれるのが、彼ら「自由な英雄達」である。・・彼らの活躍は、気持ちをリフレッシュさせますね・・(負ければいらいらするけれど・・)

また、それほどの英雄ではないが、組織の枠組みに入らない少し変わった「自由人」(「ヨソ者・若者・馬鹿者」)は、あこがれとやや軽蔑を含んだ対象である。でも、日常的には、彼らの存在が、組織の硬直化を緩和する役割を果たす。

 

「図」・・「組織人材構造図」

☆ブログ用「重層柔組織・人材図」

「説明」・・組織の構成を「夢・情熱・責任・・官僚化」の移行に添って分析してみましよう。夢途と情熱を持った人たちが「中核層」を形成します。彼らは、創成期の段階での種々の対応とリスクを経験するので、柔軟対応力を持っています。その後、この組織が安定(法人化とか株式場上など)してくると、安定志向の人材が集まり「周辺層」を形成します。さらに、組織が拡大するとさまざまな人間を吸収し始め、その中には、異質な思いや能力を持った人材も居て、組織は総合的な力を持って来ます。

ここで各層の検討を行ってみよう。

*中核層・・夢と情熱・・さらに柔軟な対応力を持つ意。しかし、成功により、初期の夢や情熱を失うことも危惧される。特に、世代交代による夢と情熱の減退は避けられない。

*取り巻き周辺層・・安定と責任を担う意識は高い。しかし、その責任意識が、組織のために向かう時には良好だが、自己防衛に向かい始めると、自己責任は組織的無責任へと転化する。忠実な忠臣が佞臣になり、組織崩壊時には逃亡する人間となる。

*周辺外層・・ハズレ層ともいえるこの層には、多種多様な人材がいるので、組織の総合力は強化される。しかし、元来が自己意識が強く独立性の高い性格なので、組織のまとまりを弱くする危険性がある。

この層は、「スグレ・ハグレ・コボレ」の3層に分析され、「スグレ」の中には先ほどの「自由な英雄達」も含まれるよう。「ハグレ」は対立的な意見を出す人材で「野党」的な存在である。「コボレ」は能力・勢力でも劣っているようにみえるが、それだけに問題点の発見能力や「掘り下げ(探究)力」は高い。総じて、この層の存在は、平時には必要性は感じないが、危機的な状況では求められるものである。

・ちなみに、中国の「春秋戦国」期での「食客」(孟嘗君「田 文」の例が有名)がこれらの多様な人材に近いものと思われる。彼らは、平時よりも非常時にその能力(時に異能)を発揮する。

 

◎「学習論」・・第2部(中高生版・・小学高学年生もOK)・・その4

◎「学習論」「第2部・・その4」・・今回も第1部をやさしくしたものです

今日のブログ・・「思考力について考える・・その4」

今日のブログ・・「学力のしくみと学習」  

さて前回は、AさんとYさんの学習方法を比較して、「知のしくみ・FW」が大切であることを述べました。また、Aさんの学習も「知識習得」からさらに進んで、「知識と知識の関連」にまで進めばよかったことも説明しました。

そこで今回は、そもそも「学力」はどのような「しくみ・構造」となっているのかについて考えてみましよう。

まずは・・しくみを・・

◎「学力のしくみ」

・・学力は、「知識の習得」(「レンガ」を知る)~「その知識の探究・掘り下げ」(「レンガの性質・結合の方法」の理解)~「その知識と他の知識との関係つくり」(「」ができる)~「建物のデザイン」検討~「知識の構造化(知識群の構成)」(「壁と壁」をつなぎ「建物」となる)~「その知識構造の意味・意義の検討」(「建物の意味の検討」~「知識の構想化」(「建物が教会」としての意味を持つ)  となります ・・

それは、次の「図」で示されます。

「教会のたとえ話」(以前にも掲載)・・・「補足の図」

☆ブログ用「思考力1の②シート」

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「説明」

教会を建てるには、レンガやセメント(漆喰)が必要です。そのレンガが一つ一つの「知識」です。それを組み合わせて「壁」にして、その壁が構成されて建物になるのです。その時には、レンガの特徴や組み合わせの仕方についての「探究」が必要です。そうでないと、レンガどうしがうまくつながりません。この図では、その探究が表されていませんが、「レンガ」が「壁」になるにはこの探究が要ります。さらに、「壁」が「建物」として構成されるには、「建物の設計図・デザイン」が必要です。これでめでたく教会の「建物」はできたのですが、この建物が「教会」としての意味を持つためには、教会という「GD・グランドデザイン」が必要です。教会なら、「祈り」ができると言うことがそのポイントです。・・この思考の方向は、もう皆さんはお分かりのように、「積み上げ」的思考です。でも、実際には、「教会のGD」があって、建物を設計し、壁(もちろん窓も)の位置を考え、それに応じたレンガを入手するのです。この思考方法は、結果からの「逆算」的思考です。現実には、積み上げの現場からの工夫や修正を経ながら、その奥では「GD」に誘導されながら教会は建てられるのです。

 

○「知力の習得」・・まずはレンガを入手します

現実の学習では、「レンガ」としての知識を、個別・個別に学びますが、どのようなレンガが良いのかは、それがどのような壁になり、どのような建物になるのかというデザインが分かっていた方が、レンガ集めも賢くなります。さらには、もっと高度な「GD」(「何をどうして分かろうとするのか、作ろうとするのか」)をつかんでいれば、もっと広くて深い観点から「レンガ」の検討進みレンガが理解できて良好な集め方ができるでしよう。

でも、その「GD」がつかめない段階では、学習者が低年齢の場合か学習能力が低い場合には、指導者が選択した「優良知識・レンガ」を示して、類似のものを集めさせます。それを何回かいくらか繰り返していく内に、年齢を重ねると脳の機能成長とあわせて、種々の経験により脳が対応力を付けてくることにより、「GD」まではないとしても「SD?」(スモールデザイン?・・こんないい方はありかな?)を理解し始め、「壁のデザイン」を意識したうえでレンガを集めることができるようになるかも知れません。

 

○「デザインを意識した習得学習」・・「壁の構築」

本当は、レンガ集めの段階から、先の「SD」(「壁」の理解)やまた「MD」(ミドルデザイン・・このいい方もありか?・・「建物」の理解)、さらに、「GD」(グランドデザイン・・「構想」までも理解)までの「先見・予見」の思考を持っていれば、習得学習はスムースに、充実したものになるのです。レンガは他のレンガとつながり、一連の「壁」になって役割を果たしますが、この接合には、AのレンガとBのレンガの性質や位置づけを理解することが必要です。単純に積み重ねるだけでも、下のレンガと上のレンガの関わりを理解しなければなりませんし、もし曲線や傾斜がある壁となるとレンガの性質探究は欠かせません。・・もちろん漆喰もですがここではレンガの性質に集中して述べます・・その時には、そのレンガの素材や他のレンガとどこが同一でどこが異なるのかを知らなければなりません。それが探究ですが、その探究は同時に、そのレンガが「壁」の中でどの位置になるかの理解(「デザイン」)とつながったものとなります。

例えば、「明治維新」についての学習で、尊皇攘夷・公武合体・倒幕の戦い・新政府樹立・四民平等・国民軍設立・国民教育・廃藩置県・・・等々の個別知識も、維新の原動力が誰であり、かれらがどういう「GD」を持っていたのかを考えると良く理解できます。・・もちろん「GD」は、すでに完成されてあることは少なく、試行錯誤しながらできあがるものですから、レンガ集めにも失敗もあります。でも、この維新勢力の「始原」である原動力は、「新国家」樹立の必要性と「対外防衛」の整備であることが把握できていれば、彼らの行動を理解しやすくなります。「新国家」は「身分制国家」ではなく「国民国家」であるべきで・・そうでなければ、国力は劣るし、防衛力も弱い・・「四民平等」(身分制は身分間の連携ができないため不合理)も「国民軍」(武士団ではなく平民集団の武装)も「廃藩置県」(「統一国家」)もこの路線から理解できる。欧米と競争力のある国民(労働者・兵士)の育成のためには、「国民教育」が要ることも理解できる。国民レベルの向上が「富国・強兵」となることが彼ら維新政府には分かってきた。・・それには、英米などヨーロッパモデルが参考となった。そうすると、自分たちの一族や階級の保全のために、自国民の学力を落とし、武装力を弱体化してきた幕府体制(「身分制社会」)が変革されなければならない理由が分かり、当時の維新勢力がその遂行に懸命であったことが了解できます。それるとともに、この幕藩体制のような旧体制を20世紀になっても変えられなかった中国や朝鮮半島のその後の運命も想像できることとなります。

「図」・・「明治維新」

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・・ここで休憩「コヒーブレイク」・・かなりの学習となりましたね・・次へのために、すこし頭を休めておきましょう・・それでは・・

○「習得から探究へ」

このように「D:デザイン」(実はFWでもある)があると学習が進むのです。この「D:デザイン」を持つにはどうしたらよいのかについて、前回のブログでも学習しましたが、それを再度復習しながら、より具体的に検討してみましよう。

・・「探究のやり方の法則性」(これまでのブログの復習とまとめになります)

その1:「分解・分析」からの検討

・・ものごとは、全体をそのまま見たのではわかりにくいのですが、性質や要素から分析的に見ると、みえやすくなるのです・・

①:「科学的合理・経済的効率・文化的(心理的)効果」の原則

*「科学的検討」・・「焼き魚と皿」では「保温」がポイント。

・・「気候」では温度と空気密度の関係、密度と飽和水蒸気の関係がポイント

~基礎的な理科的な理解が必要・・これがないと、その後の学習の軸が弱くなる。特に、小学高学年・中学時代の「理科」学習は重要・・

~(「ついでに」・・私は化学的理解が少ないので困ることも多い・・分子とイオン性質などの理解が物質の理解には必須であるが、それがないので、生物と薬品などの理解が不足している。本論でも、その理科的例示が不足しています。「地理」学習では、分子式まで要らないので何とか例示と説明をしていますが・・)

*「経済的検討」・・「焼き魚と皿」では「便利さとコスト」がポイント。

時に、科学性より経済性が優位になれば、保温力は落ちても安い磁器皿になることも・・。

・・「気候」では、それに合わせた産業形態の成立となる。雨量が多いところではそれに合う産業(稲作など)が経済的にも有効であり、科学的合理性もあるが、米の価格が下がり果物が人気となると、経済的な効率からして、雨を避ける工夫(土地の地上げやビニールハウス)をしてでも果物つくりをする。つまり、科学的合理を変容して適用する。

*「文化的(心理的)検討」・・「焼き魚と皿」では「伝統文化や心理的要素」がポイント。所によっては、伝統文化で魚用の皿が決められていることもあるかもしれない?・・魚ではそんなことはないかも。でも、ビールは日本では、文化的にも心理的にもグラスと決まっている・・保温効果はないから科学的にはアウトで、経済的にもダメ(グラス形状の扱いや整理の不便)であっても、グラスだ。・・日本以外でもそうかも・・でもドイツには磁器か陶器のグラスがある・・。つまり、ドイツ以外では科学も経済も無視されることもある。でも、やはり無理なので、合理性・効率性への変化も出てくる。紙コップやプラスチックコップなど。

・・「気候」では、そこに合う食べ物生産(科学的に合理・経済的にも効率だ)でも、文化的にダブーとなると受け容れられないこととなる。また、優越文化が違う風土に流入して、そこに合わない文化が成立して、科学や効率を抑圧することもある。その一例は、日本の夏の背広とネクタイである。ヨーロッパ風土には適していても、日本の風土には合わない。・・これも無理がありすぎるので、最近は、「クールビズ文化」と称して、「風土」適応となって、大分よくなってきた。やはり、科学合理性に反することには無理がある。この「クールビズ文化」は、まだ何かしら「例外」としての扱いであるが、これを日本の風土と結びつけた文化(つまり、科学合理を裏付けたもの)として「正常」なものとできないだろうか。

 

「図」・・「3つの分析・・科学・経済・文化」(以前にも掲載)

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②「性質・要素による分析」・・その例として・・

A:「組織論への応用」・・利(利害)・情(情念・感情)・理(理性・理論)

・・組織での人の結びつきを3要素から検討するもの

*「利」・・自己保存のためには、利害関係は大切であり、結びつきの原初的なものといえる。歴史的にも、最初はこれであり、いまでもこの関係が基本といえるでしよう。

*「情」・・結びつきが、信用され永続するためには、相互に何らかの信頼が必要。その最初のもの「情」でしよう。肉親の情、同郷の情などがあるところでは、「利害」だけで人は動かないとの信頼があります。

*「理」・・組織が大きくなると、「情」ではつながらない者どうしが結びつくことが必要となります。その時には、同じ理想や理論(思考方法)を持つ者がつながります。この結合の仕方はやや高度なものですから、子供より成人者、原始的な社会でなく文明・文化国で見られるものです。

(ついでに)「組織論」的な補足・・現代のように高度に発展した組織では多くがこの形態ですが、その内部には「情」、その基底には「利」も必ずありますので、良好な組織経営は、この3要素のバランスを活かすことです。・・でもこれは、とっても難しくて、多くの経営者が失敗しています。私も、経営の末端を担ったことがありますが、良好とは行きませんでした。「利」を先立てると人は「狡猾」になり、「情」は「縁故」と「贔屓」(ひいき)を引き出しやすくなり、「理」に走ると「怜悧」になり、人間関係は冷たくなります。・・これは組織論のテーマですのでこの辺で終わります。・・ここでは学習の「分析の例」での学習ですから)

「図」・・「組織論」(利害・情・理論)

 

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B:その他、対象によって、いろいろな分析方法があります。「陰と陽」・「頭と心と体」(「知徳体」)・「心的要素・物理的要素」・「過去・現在・未来」・「業績要素・人要素」(「PM理論)などなどですが、分析すると、そのことの内実がよく見えて検討しやすくなりますね。

 

(ついでに)・・分析余談・・「デカルトの分析論」・「フェルミ推定」)

近代フランスの哲学者・数学者デカルトは次のようなルールを述べています。(「方法序説」より)1:真理とは明晰判明なこと(つまり証明されないことは信じないし) 2:検討する課題を、できるだけ多数の小部分に分割すること(分割して検討する=分析) 3:分割して理解できたものを、単純なものから順次積み上げて複雑なことを完成すること(いきなり飛躍して無理な空論に至らない)

また、20世紀のイタリアの物理学者 エンリコ・フェルミ(「フェルミ推定」で有名)も、難問にみえる問題も、要素分解していけば、簡単に推理できるものとなると主張した。

~「分析」は、思考力の基本だ ~

 

その2:「始原(始まり)からの思考」

問題が複雑にみえるときの処理方法として、先の「分析」と並んで利用しているのが、この「始原」思考法です。(「ゼロベース思考」に近いかも知れません)

何ごとも、複雑になる前は単純だったはずです。だから、その端緒を探れば答えが見つかるだろうという思考方法です。だから、人間を解読するには、猿を研究することが賢明だろうし、近代組織の検討も原始的な組織の解明が役立つのだろう。複雑(「コンプレックス系」)なものも単純(「シンプル系」)なものの組み合わせでできており、それは時間的な進化で行われているので、この単純な「始原」にまで遡る思考法は効果的です。

・・次に、その例を数例見てみましよう。・・

①「エネルギーの始動」からの解明・・例「気候のしくみ」

*地球の自転からの反転エネルギーからの分析

・・赤道の海流と風は、自転の反対方向である西へ流れる

暖流が西に流れ、陸地に当たり北上(北半球)・・黒潮に・・多雨に

*太陽エネルギーが気温上昇のエネルギーに

・・赤道付近の上昇気流~ここで上昇して30度付近で降下する

・・初夏の陸地での上昇気流~海からの季節風を呼ぶ(夏の海風)

~始まりである「エネルギー」を知れば、その後の現象が解明できる~

 

②「組み合わせの順序」からの解明・・例「漢字の成立」

・・漢字成立の歴史で理解する・・(先のブログに「構造図」あり)

*最初は形から真似る・・「象形」・・特徴を際立たせる

*形で示せないものは「位置」などを示す・・「指事」

・・上下中など、―線より上に点で示したり、ものの真ん中を示したり・・

*複雑なものは「象形と象形」を組み合わせる・・・「会意」

・・集=鳥と木の組み合わせ、相=木を見る(木の生命力が見る人にも影響する・・相互関係)等々

*発音と組み合わせると多くの字ができる・・「形声」

・・字が多くなると、この種類が多くなる・・作りやすいのだろう?

 

「その他」・・スポーツでも、複雑なプレイも、その始まりは単純な動きの組み合わせであり、スランプに陥ると、当初からやり直す方が良いといわれているのはこの「始原」ルールからだと思います。

~「始原」は「基礎・基本」です ~

 

○「探究から構築・・構造へ」

ものごとを探究してその「しくみ」のを解明できると、その構造がわかり、大きな「知の構造・FW」がつかめることとなります。先ほどの例では、すでに、探究段階でその構築「知の構造」に近づいていました。

ものごとが成立するには、「科学合理・経済効率・文化効果」の3要素が必要なのだと言うことが分かりましたし、人の行動のしくみは、「利・情・理」の要素があることもつかめました。そして、それらは、最初は単純で次第に複雑になるというルールで成立していることも理解しました。科学合理もシンプルから複雑になることで性能が増すのだろうし、利害にも単純系から複雑系への移行があるのだろうから、人間社会は複雑だ。この世界のものごとは、こうして成立しているのだから、その「しくみ」を、こうした理解を通してつかんでいくと、賢くなるのでしよう。「しくみ」を知り覚えただけでは、分かったことにはなりません。・・当初は、「知ること」(習得)から始まりますから、知ることは大切です。そして、この「知る」だけでは深い「理解」ではないと気づくことが、その後の成長の道です。そういう人が伸びます。

この「知ったこと」(知識)の「しくみ」を分析・理解して、再構築してはじめて賢くなるのです。ちょうど、私達の体が、食物を摂取して、それをそのまま体に送り込んで、さっき食べた肉が筋肉に貼り付いているのではなく、まずは、分解・分析し、栄養素に分けてから吸収して、そこで再構築しているのと同じプロセスです。

こうして、「知のしくみ・構造」(FW)を得たら、今度はこれを活用して、応用・適用して、新しい問題を解明することとなります。

 

○「構造から構想へ」・・「理念・問題意識」による構造のまとめ

さて、「知のしくみ」(FW)が「構造」段階であれば、客観性を持ちある意味科学的で普遍妥当なのです。自然現象であれば、先の気候の例でも、そのものはルールの理解で解明できます。しかし、人間の行為が関わることとなると、どうしても、「理念」(目的や意味・意義、あるいは「問題意識」)が付いてきます。人間は無意識・無目的には行動しないからです。例えば、先の「教会」の話では、教会で祈ることは良いことだという意味がつきますから、教会に意味を持たない人からすると、造ることを良しとしません。自然科学でも、人間と社会とに関われば、それなりの「理念」(「問題意識」)を持たねばならなくなります。例えば、医学の発達でも、どこまで治療するのかが問題となります。遺伝子の解明と操作が人の生き方とどう関わるのかとか、もっと単純なことでは、医学の目的・理念は、人の死を防ぐのだということとなると、どのような状態になっても医学的対応が求められます。ですが、これは不可能な上に悲喜劇を起こします。・・老人加療での「スパゲティ症候群」の例もあります・・

人間社会現象ではどうしても、この「理念」を考察しての「知のしくみ」となります。これを「構想」ということとしましよう。先の「図」の「GD」が構想となっているのはこの故です。文科系的な学問では、どうしてもこの「構想」の検討が求められます。でも、これは、科学的合理的には解明できない物事も含みます。自然科学者からすると、合理性がなく法則性のないものだから客観・普遍性がないものとして軽視されます。しかし、現実の出来事は、「構想」を行動の原動力として起きてきます。その中核となる「理念」」は「真・善・美・聖」に関わるもので、多くの人は、最終的にはこれを求めます。人をまとめるための「構想」には必ずこれが入っています。ですから、これも検討しなければならないのですが、実際には、何が「真・善・美・聖」なのかは、文化様式や思考方法が異なれば違ってきますので、これの探究は大変なことです。これは文科系での学問の探究課題ですが、とても本論での検討では無理です。皆さんが、これからの人生や学習で思考してください。

理科系的な学習も、物質の解明など、探究の道はとてつもなく遠いものだと思います。宇宙はもちろんのこと、生命でも細胞・DNAの深さなど、こちらに進む人は、その深さへの関心を持ち続けていきましよう。

文化系でも理科系でも、関心を持ったことを追求・探究することで、その中で自分なりの気付きや発見に出会います。それはしんどい中にも面白く楽しいもので、人生を豊かにしてくれます。「勉強・学習」を「やらされるもの」ではなく「やってみたいもの」とするためにも、学習を、関心と探究の道筋へと進めてください。面白くなります。

 

・今回は、少し長すぎて難しかったかも知れませんが、ここまで来ると、かなりな「思考力」が付いたと思います・・

・・ここまで読み切った「中学生」がいたなら超激励です。高校生でも、本当にスゴイと思います・・私自身がもし中高生だったとしてもここまでは来れないだろうから・・でも世間は広く実際にここまで来る中高生もいるようです・・

次回からは、探究と活用の学習のいろいろについて事例の検討をしてみましよう。

・・なお、「学習論」の前回のブログ「第3話」での「習得」については、その後(「10月22日」)に補足しましたので、補足以前に読んだ人は、再度また見てください。

追加のなお・・もしもこのブログを読んだ人で、「質問」がある場合にはメールで答えますので、次のメールに質問をください。感想と意見は不要ですし、名前も要りません。ただ、中学生か高校生か、大学生、さらには大人のか方かについては、返事の仕方について思慮致しますので、お知らせください。

 Gメール ~ 「toshibo170@gmail.com」 です