「組織論」のはじめ・・その動機

~この「組織論」は、大学生か実務上の仕事をなされている方を読者対象と考えています。中高生は読者として想定していませんので、「学習論」の方だけを読んでください。~

「ブログ・・はじめの動機」

・・理屈っぽいですが、それなりに思いのある人に勧めます。

人類がここまで繁栄してきた・・繁栄し過ぎかも知れないが・・、それにしても、どうしてだろう?・・・直立し2足歩行で、脳の拡大と手の解放による作業の高度化によるといわれるが、それと並んで、人間同士の互いの関係性の進歩が大きな要因であろう。もし、拡大した脳と器用な手がある相当な能力がある人間同士が、競争・対立と相互の衝突だけしかできないとしたら、とうの昔に人類は消滅しているだろう。

人類の歴史をみると,人が集まり「集合」しただけの段階から,何かの仕事をするために,目的を持った「集団」として結合し,さらに,そのために機能的な役割分担と人の配置を行った「組織」を結成してきたようです。それは、人間の脳の中に、相互の人間関係力が備わっているからだと思われます。人間の脳には,これまでいわれてきている「自己保存」能力とあわせて、「集団保存」能力があるからここまでの成長をしてきたのでしょう。この集団保存能力が、DNAレベルのものか、その後の人類の生存の歴史の中で成長してきたものかは議論と探究のさなかですが、この2つの能力が存在し、互いに相克しながら現在までのこの社会を作ってきたのです。

さて、組織の発達は、「集合」レベル・・「集団」レベル・・「組織」レベル・・と発展してきましたが、それに応じて、人も・・「独立個人」・「集団一員」・「組織規格人」へと変化しました。人は本来、「自由な独立人」ですが,この段階では、個々人の「人」要素が強く,自由を旨とし,その人たちの数だけ「個別・多種・多様」となりますが,これでは,緊急事態や大きな事業への対応力は弱いものです。そこで,それに対応するために「制度」要素の強い「集団」として人を編成してきました。しかし,これは同時に「人」を,組織に従属した独立性の弱い「人材」として扱うこととなります。そして,さらに,「制度・文化・意識」を組織的に統制する「組織」となり「一斉・一律・平均」の性格を持つようになってきたのです。この段階では、人は組織を窮屈な抑圧機関と思ってしまいます。私達が、時としてあこがれる「自由人」・・旅をして知らないところで少し一人生きる・・自然の中で数日過ごす・・さらには、自由業で自分を活かす・・などのことに憧れるのは、逆接的にいえば、私達が組織から全く独立することもできないからなのです

それでは、まるで私達の衣服の様になったこの組織を、かしこまった制服やがんじがらみの防衛副服でもなく、かといって、ぼろ服に下着のように役不足の状態でもなく、適切なものにするのはどうしたらよいのでしょう。

この「組織論」での課題は、私達にとって、必要不可欠なこの組織をいかにして、再活性化して、人が活きるものにするかということです。次回からの「組織論」では、これについて自分流に思考したことを述べていきます。

「下左」=「組織の変遷のイメージ」   「下右」=「組織内個人の意識の変化」

スライド1

☆ブログ用「組織論 シート」

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