第3部「学習論」・・その2

今日のブログ:学習論「学習の道筋」について考える 2

 中編 「学習改善・・学習のプロセス(習得の段階)」

・・今日は、学習の改善のために、そもそも学習とはどのようになっているのかについて考えてみます。

2:学習の改善へ・・(前回ブログからの続きです)

さて、ものごとの改革には、まずはそのものごとの状態を理解しなければなりませんから、私達の学習のプロセスについてみてみましよう。それは次のようなものです。

◎「学習の段階」・・その全体像

学習は、次の図のように、「習得」「探究」「統合」「活用」の4行程を経ていきます。それはちょうど、食事と身体との関係に似ています。食事を取る・・それをこなす(分解する)・・筋肉・エネルギーなどに再結成する・・それを身体育成に使う・・の行程と同じプロセスです。

*「学習プロセス」

☆ブログ用「知識学習 シート」

◎その1  「習得」・・足し算的学習

 ・・「自分の体験以上のものを知ることから人は賢くなった」・・

人がものを知るにはまずは体験からですが、それだけでは狭くて賢くはなれない。他者から教えてもらったことや本や雑誌、テレビやネットなどから得た間接情報や知識によって知識の量は増えます。そうして、人は、他の動物が自分の狭い体験だけでしか知識を得られないのと違って、数倍も知識を得て賢くなれます。・・ただし、それだけにそれなりの整理が求められます。

さて、幼い頃は、まずは知識の吸収です。脳にそれなりの知力のネットワークの仕組みはあっても中身がない状態です。とにかく体験することや見聞することを蓄積していきます。子供達は吸収力は旺盛ですし、蓄積力もあります。脳の神経細胞が活発なのだと思われます。(脳では海馬といわれる個所が働くそうです) 10歳頃まではこの「吸収」の時代です。ですから、小学校の低学年までは「習得」が学習の基本でしょう。この時代までは、未整理でも意味不明でも習得できて蓄積できます。この頃までに、漢文(論語や漢詩)や古典(和歌や散文)、英語(会話やストーリー)などを言葉だけで習得させることは可能です。英才教育としてこれらを行っている塾などがあるようです。習得時代の蓄積量が後の学習を決めることは頷けます。先ほどのAさんもこの量がかなりあったから、高校受験までは何とかなり、その地域では一番の難関校に入学できたのでしょう。

さて、そこで、この「習得」の段階での効果的な方法について考えてみましょう。

*「習得の方法シート」

 スライド8

(説明)・・「習得」のポイントは、①②は速くに自分で確認が基本で、③回数を多く、⑥印象を重視して行うことが重要です。ここまでが基礎的な習得学習の段階です。⑦の関連記憶では「相互比較」や「仕組み理解」のかなり上位の理解にまで至りますので、10歳頃からの脳の発達段階からの頃からとなります。その後は「構造把握」・「体験的了解」となりますが、これらはさらに上位の「探究」や「活用」の段階となりますので、「習得」の次の段階となります。

「ポイント」③の回数・・とにかく出会いの機会を増やします。そのためには、「張り紙」、「カード」、「音声」での繰り返しがよいでしょう。現在では、スマホの活用も工夫してみてください。・・これについては「カード」の例に付いて述べてみます。・・*後の「参考シート」

⑥の印象・・印象・イメージは、脳にとってはかなり原初的な基本の作用ですから記憶保存は効果的です。だぶん、生存に関わる情報は大切に保存されるのでしょう。「強弱の印象」「好悪の印象」「快不快の印象」「良不良の印象」は大切なものです。さらには成長すると発展して、やや判断の伴う「要不要の印象」「損得の印象」などもポイントとなります。

この印象・イメージ力を育成するには後述のようなやり方があります。・・*「参考シート」

⑦の関連記憶・・これはこれから脳科学が進んでくるともっと解明されるでしようが、脳の性向と合致した記憶のやり方が効果的であるということです。先ほどの印象もこのことと関係しますが、この記憶順応は脳自体にある記憶に残るリズム感などと関係することです。例えば、「音楽や詩吟・謡いなど」はそこにある歌詞は記憶の残りやすいということです。皆さんもご存じのように、リズム感を付けた語呂合わせなどの記憶法は実証済みです。古代ギリシア・アテナイのプラトンも「音楽は知識を溶け込ます酒のようなものだ・・よく入り込む」と考えて、音楽と幾何学を奨励したのです。文科系の漢詩や古典文などは詩吟や謡いなどで記憶が維持できます。理科系でも化学式なども語呂合わせで記憶を高めることが勧められていますね。・・これについては多くの実践があるので紹介は省きます。

*「カード」スライド6

*「イメージ力の育成シート」

スライド14スライド15スライド16スライド17

*その他に、イメージをふくらませるに「言葉のダンス」の手法も効果的でしょう。

・・これは語りかけの工夫です。「用向き言葉」(・・しなさい)的な一方通行の語彙も単純なものばかりです。それに対して「言葉のダンス」では、「これはどこに置くのがいいのかな?このお花さんはどこが好きかな?」とか「このお靴は楽しがっている?悲しがっている?」というような語りかけを行うと、子供はイメージを湧かせて思考するというものです。

同じ「習得」でも、親や指導者からの押さえつけ的な習得方法と、子供達が自分たちの方から行えるようにもなるという方法との違いです。どちらが効果的かは問うでもありません。でも、私達は、とかく「用向き言葉」で行いがちです。

学校でも、解答の暗記試しの小テストで「用向き言葉」の手法をしたり、クラブ活動でも「用向き言葉」で指示します。生活指導となるともっと「用向き言葉」となります。そうすると、生徒や学生の自主的な能力は付きません。・・実は大学でも、中程度以下の所では「用向き言葉」での指導が好まれています・・こうして、学んでも学んでも学ぶほど能力がしぼんでいくのです。日本では、学歴は向上しても学力は高まっていないのです。このブログ「学習論」を読んで頂きたい理由です・・私自身の反省も込めて・・当初はその時代の環境に馴染んで習得以上のことをしなかった反省を、後半はその環境を改善・改革すべきと思いながらも十分な実践が功を奏しなかった悔いを込めて・・。

 

*「言葉のダンス」

スライド9

(説明)・・「用向き言葉」では、言いつけなのでそれへの反応は「イエス・ノ-:はい・いいえ」しかありません。イメージも語彙も増えません。「言葉のダンス」では、問いかけがあるのでそれにお答えようとしてイメージを湧かせ思考もしますので語彙も増えます。この時には自由な思考が大切ですから問いかけも自由で反応を強要しないことが大切です。特に小さいこの場合、「・・どうかな?」と言って返事がないなら「・・こうかもね」と言って自由でゆとりある言葉を述べてみるのです。返事をしなくても、子供はないかを考えています。

「用向き言葉」の段階での「習得学習」が改善されないままのレベルの学校や塾に行かせるのは当人の被害と社会的損失です。親や学習指導者の方々はこの改善に取り組む必要があります。

幸いにも、でもまだ少数だが、先進的な学校や塾・スポーツクラブでいくらかの改善が行われてきています。何より、文科省が「習得から活用へ」と打ち出したのは、遅きに失すとはいえ、またその徹底度も低いとはいえ、大きな前進です。

 

第3部 ◎ まずは「学習論」から始めます・・

「第3部」◎「学習論」(中高生 小学高学年生 OK)

・・ここから第3部に入ります・・

第1部のブログで述べたことは理論的で、2部ではそれを易しく説明しましたが、やはり連続した説明となりましたので、やはり読み辛い点があるようです。

そこで、この3部では、個別テーマで「一話ごとのまとまり」で話をすすめて行きたいと思います。

内容は、1部・2部と共通したものですが、切り口はかなり自由にしてみます。内容は同じですので、ここから読んで見るだけでもよいと思います。ですから、これまで1部・2部で充分習熟された人はこの3部は同じ内容なので新しい発見はあまりないかも知れません。

 

「ブログ開設の思い」

・・このブログは、皆さんに読んでもらうことでいくらかお役に立てればという思いと、私の年齢が重なることで脳が衰えるのをいくらか抑制できればと言う思いで続けておりますが・・(どちらかというと、こちらの方が本音です)・・最近は、これまで行っていた木刀素振りでも肩が浮いたようになり、細かい文字が書きづらくなるなどの高齢者の症状が出始めました。これが、やがては脳の活動に及ぶ日も近いのではと危惧します。

実は、もっと早くに現在の「学習論」の展開レベルにまで達していたら、我が子の中高生時代(20年前)に間に合っていたのですが、当時は残念ながら断片的な気付きにも至らない段階でした。そのころ、私が教師として学習指導をしていた生徒達にも、現在のような系統的な学習改善の指導は行えませんでした。申し訳ないことです。その時期に、研修で出会った言葉・・「教師は教えることを惜しめ」(この言葉は東井義男先生のものですが、当時の私は、これは誤植ではないかと思ったほどです・・でも、その後に「惜しんで惜しんで、機が熟して後に教えよ」との言葉があり、誤植ではないと分かったのですが)・・この言葉にヒントをもらって、その後「研究会」での先達の教師に導いて頂き、学習改善の道(「教える」から「学び」の誘導)へと向かいましたが、周辺での動きは、いかに「教え込む」かに傾注しており、「学び」に向かう改善には理解がなく、さらには批判的でさえあり、なかなか教育界としての進歩はありませんでした。それもあり、協力者も少なく、また私の力不足もあり、今日まで大きな論として展開できませんでした。やっと十数年前ぐらいから提示できる論が可能となりました。

この論が、後世の人たち(孫の世代も)にいくらかでもお役に立てればと願っております。古希を迎えこれからさらに歳をくわえますのでいつまで続くかと思いますが、それまでは、老化防止のブログを続けてみます。

執筆責任  金岡俊信

 

今日のブログ:学習論 1 「学習の道筋」について考える

    「現在の学習状況について考える」

 

さて,生徒・学生の皆さんは、学校で、「習得から活用へ」という言葉を聞いたこともあるかも知れませんが、詳しく言うと、学習は、「習得」「探究」「統合」「活用」のプロセスを経ます。そしてこの段階によって、学習の方向が異ってきます。

しかし、現状の学習では、そのプロセスを知らずに学習をしているために、同一方向に進み、多くのムダと誤った頭の使い方をしているのです。ですから、学習を行うには、この学習のプロセスを理解して、頭の使い方を知ることから始めましょう。・・はじめは「習得」(知識を取り込むこと)、次には「探究」(その知識の理由や仕組みを知ること)、さらには「統合」(理由や仕組みを構造「FW・フレームワーク 」として把握すること)、そして最後に「活用」(その仕組みの「FW」を利用してものごとを解明すること)・・の順になります。

・・学習の方向は、「習得」(積み上げ)から「探究」(掘り下げ)へよ学びの方向が違ってきます・・

これは、10歳を超えた頃から、私達が普段に行っていることですので、よくよく考えれば当たり前のことで、難しいことではないのです。気を楽にしてこの記事を読んでみましょう。・

それでは今日は、その筋道の最初の様子から考えてみます。

1:学習の現状

◎「学習プロセスを知らなかったAさん」・・暗記にこだわった学習

これまでにも述べた「Aさんの学習法」ですが、彼女の学習法がもっと早くに変わっていればよかったのにと悔やみまれます。実は、私が本格的に「学習論」を書こうと思ったのもこのAさんの告白からです。

*「Aさんの学習」(図)・・このシートの後段の「説明」は難しいことを述べてしまいましたので、ここでは飛ばして、「探究」段階の後にもう一度読んでください。・・スライド1

スライド2

 

「説明」  これはY大学での「思考力育成講座」での学習アンケートの際に彼女が記述したものですが、彼女の悔いは第一志望の大学に入学できなかったことが第一ですが、その理由が、折角 志望のY高校に進学し、そこで学習に秀でた同級生の「学習方法」を知ることができたのに、それを深く考えなくて、「学習量」のせいだけだと思って改善しなかったことにもあります。もしかして、優れた指導者がいてそのことに気づかせてくれたらという悔しさもあるのかも知れません。

◎「Aさんを生みだした学習環境」

でも、長年学習指導をしてきた私は、その時に、たとえそうした指導者がいて彼女にアドバイスしていてもたぶん彼女は応じなかったのではないかとも思います。それだけ、この学校教育界では「学習はその量が決定だ」という定説がはびこっていましたから、「学習は質だ」という声は届きません。それはちょうど、数十年前のスポーツ界で行われていた「根性練習」の状況に似ています。もちろん、質が大切だといっても練習量が不足しては話にならないのですが、その練習に科学的検討がないとムダで時には害のある練習をしてしまうのです。それでも当時は、過大な練習量をこなさい者に対しては、「根性なし」の批判が行われたものです。そうして身体を壊した選手も多くいます。・・学習については、古い言葉に「四当五落」(四時間しかねないものは合格し、五時間も寝るものは落ちる)という言葉もありました。根性だけの時代です。

そのような状態が実は現在の学習環境にはまだ多くみられます。スポーツ界に比して学習界の方が遅れているのです。例えば、未だに「在宅学習時間調査」を行ったり、こなせないほどの「週末課題」を出したり、長期休みの「補習」で後追い学習を追加したりしています。「学習時間調査」は、その時間が多いほどよいとされるのですが、それこそ矛盾だらけなのです。同じ課題を学習するのに速いほど効率がよく、学習も進むということですが、それでは学習時間は増えないのです。学習が進まない者ほど学習量が増えて「良し」とされるのです。これでは将棋の藤井さんは浮かばれません。彼は、かなりなレベルの授業を遅いと思うほど学習効率が速いのです。「週末課題」も多く出せばよいと思われています。多く出せばそれだけ賢くなると単純に信じています。でも、質の転換のないままでは、まるで「ママチャリ」を懸命にこぐようなものです。そして、ついにこげなくなって隣の生徒・学生の自転車に引っ張ってもらうのです。私が実際に見た光景では、英語の課題ノートの解答はびっしり書かれているのに課題英文には何らのマークもなされていないのです。おそらく、課題英文は読まずに友達から解答を写したのです。先生のチェックに合わせるだけの学習なのです。「補習」でも、出欠を厳しく管理しますので、生徒・学生はとにかく出るのですが、そもそもが受け身ですから質疑はありません。出席することに意義があると考えているのです。このような学習状況が特別なことではないところが悲しい現実です。

◎「Aさんの問題点」

初期の暗記型は「習得」の始まりとしては必要なことであったのですが、Aさんは、そこにとどまりすぎたことが問題でした。彼女がそこから進んで、この後の学習論で展開する「探究」「統合」「活用」の学習を経ていれば高度な思考と判断力を持ってくることができたでしょう。それは、高校生の段階では可能なことなのですから、残念なことです。そして、その原因は、彼女にあるだけではなく、現在の学習環境にあるのです。それは、ここに挙げたシートにあるように「よく分かる授業」論なのです。受動型の生徒・学生を前提として彼らによく「分からせる」ために、懇切丁寧で非能動的で、学習責任を問わない授業を良しとするものです・・(問われるのは学習指導者のみ)。彼らの俗に言うニーズに応える学習は「解答与え」となります。学習力(学力ではなくその前提とされる関心・意欲などの学習態度)がない生徒・学生にとっては、解答を導き出すプロセスは不要であり、自分で考えたり理解することがが求められますから不人気です。でも、現実には「授業アンケート」(生徒・学生が行う)などでそれに応えることが求められています。ですから、学習力が強くなくその結果学力も低い生徒・学生の多くいる学校で、彼らのさしあたりの欲求・ニーズに応える授業を懸命に行っても間違いなく学力は伸びません。・・現実には、こうした学校・大学が多くあるのです。・・現在の日本が、高学歴でも学力が低いのはこのためです・・

*「シート・・Aさんの問題点」

☆ブログ用「Aさん学力図解」

「説明」・・Aさんは、知識記憶だけはあるのだが、その理解が足らないために、ただ知っているだけ。そして、その知識の位置づけも他の知識との関連付けもできないので、広がりようもなく、引き出すきっかけもない。さらには、大きな構図の中で捉えることもできていないので、その意味や意義も考えることもできない。

*「よく分かる授業」が問題・・・パッシーヴラーニング(PL)を前提とした学習

Aさんを育てた「よく分かる」授業についてみておきましよう。受け身で知識の記憶だけを求める生徒・学生に「よく分かる」と感じさせるには、まずは「答え」をしっかりと教えることです。答えにいたる「プロセス」は難しいのでよく分からないと思うでしょう。余分なことは・・実はこれが重要なのだが・・教えないのです。また、途中まで教えて、そこから自分で考えて学ばせることもさせないのです。それでは「よく分からない」状態に置いておくことになり、教師・学習指導者を恨みます。・・こうして「よく分かる」授業が成立します。小学5年生頃まではめでたしめでたしです。でもその後に変更がなければ悲惨です。スライド10

「説明」  生徒・学生がBレベル、教師授業がB段階というのが「よく分かる」組み合わせだが、これが問題だ。生徒・学生の「安心・安住」・・そして・・「停滞」の形態なのだが、一見「良し」と思えうことで一般受けしやすい。学習のプロなら、学生・生徒A×教師Aが最で、BとBは大きな問題だと分かるのだが、一般にはわかりにくい。文科省も「よく分かる」を推進しているために、余計に問題である。また、教育のプロである教師の多くもこれに気づいていないことが悲惨なことである。さらに、「生徒・学生授業アンケート」なるものが流行っているが、これでは多くの受け身の学習者(つまりB状態)が多い学校・大学ほど、B対応を好むので、ここでは学んでも学んでも賢くはならない。

AL=アクティヴラーニング  PL=パッシーヴラーニング  NL=ノンラーニング のことです・・なおミスの修正を・・このシートの内の「「月光」~「学校」にしてください

◎「改善への希望」・・「教える」から「学ぶ」へ

それでも現在では、この状況を抜け出た学習を行う学校はあります。残念ながらこれらの学校はやはり一歩進んでいる、俗に言う超進学校とされている部類に属する少数派の学校ですが、しかし、そのやり方は、学びの本質に基づくもので、決して他の普通の学校ができないものではありません。例えば、そこでは「在宅学習調査」はありません。その代わり、学習の目的や面白さについて考える講座が行われています。先輩達を招いてのお話講座や実際に仕事に業務している人たちからの実践講座もありますし、インターンシップでの研修もかなり本格的に継続的に行われています。自分の選択した研究テーマや職種については2年間にわたる研究課題を行わせます。また、「週末課題」は自分で選択します。そこには、量だけではなく質も加味した課題があります。私が見学した頃には数種類のペーパー課題が廊下に掲示してありましたが、現在ではそれぞれの講座でのネット掲示だそうです。そこから自主選択します。その学習が始まる頃に、彼ら生徒・学生が自分の学習計画(「学習のグランドデザイン」)を立てているから、それに合わせての選択ができるのです。その「学習GD」は自分の「将来構想」を思考し、教師と相談しながら4月中に立てています。その時には、どの学習をどの段階までやるかについておおよその想定をしています。ですから、「補習」でも自由参加が可能なのです。生徒・学生は、自分が出たい補習の講座を登録します。これは指導者がおおよその状況を知るためのもので、出欠を取るためのものではありません。自主的に参加することですから出欠は取りません。さらには、ある学校での「補習」は講座ではなく、「質問相談教室」となっています。「教える」ではなく「学ぶ」ことが効果的だと分かっているからです。彼らは、学校に登校して「図書館」などで自分で学習しながら、理解できないことや学びの意味などについて疑問を持つと指導者がいる部屋に出向き相談するのです。理解できない問題についての質問や、時には、なんのためにこの課題や問題を解決するのかなど、学ぶことの意義や目的についても相談することもあるのです。

この学校では、「教師は教えることを惜しめ。惜しんで惜しんで・・・機が熟してから教えるのです」(東井義男)の言葉が活かされています。

*「学習デザイン」スライド5

(説明)・・「構想」(企画・計画)はなにごとにも重要で大切なものですから、学習でも「学習デザイン」は必要です。右が活動的研修、左が知識的学習の図です。でも、このデザインがあまりにも精緻で堅いものであると、楽しい夢がみられなくなり、自分の学習が窮屈になります。そして目標達成がノルマとなり達成できても喜びがなく、達成できないと欲求不満になります。そうなると、学習デザインがあることが却って学びの喜びを奪ってしまいます。

そうならないためには、学習デザインをゆるやかなものとして、学習の目的を楽しい夢として拡げて、達成目標も自分の成就感となるようにしましょう。そして、この学習デザインで今取り組んでいる課題で学ぶこと自体を楽しむようにしますと、一歩でも成長したらそれが喜びとなり、学習に弾みがつきます。学ぶことは自分が成長し、学びの輪が広がることで面白いことだと実感できます。参考までに・・孔子も「これを知るものは、これを好むものに如かず、これを好む者はこれを楽しむものに如かず」と言っています。

・・「学習デザイン」は必要だが、その作り方や使い方には、「ゆとりと自由度と広がり」を持つことがとても大切です。・・

◎「AさんからYさんへ」・・探究に目覚めたYさん

*「シート・・AさんがYさんへ変貌」

スライド6

・・「教えてもらい」かた「学ぶ」段階に成長してYさんは、後に述べる「探究」・「統合」により「知のFW」を獲得しており、そのために「活用」力も高くなっている。・・先のシート「Aさんの問題点」(説明)をここでまた読んでください。

・・次のブログから、この「FW」を応用しての「活用」による学習改善の道について考えてみましょう。