☆ 第3部 「組織論」・・・その1

 ブログ「第3部」を始めるにあたって ~ 

 今年古希を迎え、人生のほぼ終了期の始まりとなりました。古代インドでの区分けでは、古希は、林棲期(家庭・仕事の暮らしを引退し森で暮らす時)から遊行期(人生の最後の旅)に向かう齢だそうです。現代の平均寿命からすると古希はまだ未練がある歳で、私も人生を悟ることはないのですが、そろそろ限界点が来るだろうとは思っております。

そこで、これまでの仕事の一定の整理をしようとの思いで「ブログ」を始めました。この中に自分の思考・実践したことを書くことで、もしかして後世の人に何かの役立つことがあれば幸いだとやや純粋に思えるようになってきました。

もし、このブログの内容を40歳台で把握していれば子供に伝授できたのですが、60歳台にやっと体系立てた叙述が可能となってしまいました。孫達に直接に「面授口説」で伝えたいと思うのですが、まだその歳にはなっていませんし、孫達がその歳になった時には私の方が怪しくなっています。そこで仕方なく「文授筆説」(?)としての「ブログ」ということになり、また、伝える人も孫世代の子供や彼らを導く親や指導者の多くの方にも拡げたいとも思うようになりました。

「ブログ」は提示する方も受け取る方も、互いに意見も感想もなしという状態にすることで、自由な関係が保たれるようです。本やCDなどでは、双方の関係が明確で押しつけがましくなります。(時には本をお渡しますが双方自由な関係は要りますね・・この紙をお渡ししても同様です) 

もしそういう自由な関係で、このブログを読まれようとする方は次のアドレスに来てみてください。

・・「goldenhillweb.wordpress.com」・・Googlです

   「思考力入門」(「学習論」「組織論」)です

なお、読みやすいのは「第3部」からです

                     金岡 俊信(goldenhill)より

第3部 「組織論」・・その1」  

・・なお、第3部のテーマは個別にしますが、内容は1部・2部と重なりますのでその点はご容赦ください・・また、その意味では、1部と2部は小難しいのでこの3部からお読み頂いても内容としては同等です・・

 

今回のブログ・・「組織の盛衰」から人事を考える

・・今回のテーマでは、『組織の盛衰』(境屋太一)、『人事破壊』(日下公人著)を参考に「H県K委員会人事交替劇」を考える・・ 

「会社は夢で始まり,情熱で大きくなり,責任感で安定し,官僚化でダメになる」

                                                                                      坂本幸雄(元 エルピーダメモリー社長)

この言葉と似たようなものとして,「築城3年,落城3日」というものもあります。私達人間は,人が互いに集まって組織を作りながら生き抜いてきたのですが、しかし,この組織が終末期になると、人を追い詰めていく。創成期の,活き活きとした人々の集まりが,それなりの混乱と内部対立期を経て,組織的発展をして成功するに従って,この成功体験にすがった指導層の硬直化で、組織の官僚化が進み、人が活き活きと生きられなくなってくるのです。先のこの言葉は、それをうまく表現していて、ある先生から聴いたときにすぐに耳に残りました。

様々な組織の関わる問題を考える場合にも,こうした組織の在り方の変化から検討してみることが必要と考えます。例えば,かつて私の所属していた「学校組織」では、いじめや不登校,各種ハラスメントへの対応,さらに外部からの危機への対策が、組織的な欠陥(内部連係の不足や形骸化した対応)により混迷に陥る場合があります。組織が有効に機能するようにするためにはどうしたらよいのか,組織の人間関係の「しくみ」(システム)とそこでの「人間存在」(文化・意識)から検討してみたいと思います。

「第Ⅰ話」・・・「組織とは」

~人はなぜ組織を作ったのか、そしてその組織がなぜ人を活かせなくなるのか~

 1:組織のはじまりから成長・発展

 人は孤立すると弱い。今、人口減少で多くの地方が孤立した老人問題を抱えている。それでも、現在は文明利器(この奥には「人間集団がある」)のお陰で、一人でも生き延びられる。もし、遙か昔、人間集団が文明の利器を生みだしていないときのことを想像すると、この自然の中で孤立して生き延びることは難しいと思えます。

「図式・・組織の成立と発展・人の意識」スライド4「説明」・・組織の始まりは、ただ集まっただけの「集合」段階で、そこでは人は「個人」としての自主性を持つがまとまりがなく、組織的決定や他の集団との競合では弱い。そこで自分をある程度抑えて一定のまとまりを持つ「集団」へと転換が行われる。さらには、この集団を明確なルールと約束によって機能的なものとすれば「組織」が成立する。この段階で組織は大きく成長し、人は「人材」として組織対応力を持つ。だがこのやや成功した段階では組織は保身的になりがちで硬直化が進みます。そこでは、上層部での専横が起こり、中間層は保身に、普通の組織構成員は自己防衛に走ります。組織の推定と崩壊の始まりです。

◎「はじまり」 

組織は「利害・感情・理想」の要素を持つといわれますが、最初の組織はとにかく「生存という利害」から始まったと思えます。生き残りのために人は結びつかなければならなかったのでしょう。最初は、「自然・他動物」に対し、次いで、人口が増えると他の「人集団」に対して。その時に、「利害関係」だけでの結びつきではその組織・グループは弱いものとなります。特に、「人集団」との競合では、利害関係の切り崩しに合いますので、損得だけの集団は離合集散を繰り返します。

◎「成長」

そこで、結びつきを強めるために「情感」の要素が入ってきます。互いに好感情を持っていれば、少しの損害なら耐えてその集団にとどまります。血縁関係や地縁関係が重視されるようになります。その中で、特に強い関係を持つ集団が上層階級を作りました。古代からの王制や貴族制度がこれです。今でも、こうした集団はファミリーとして特権階級を形成しがちです。

◎「発展・・そして官僚化へ」

そして近代になると、人間の活動が大きく複雑になり、より大きなグループ・社会集団が必要となってきました。そうすると、小さな利害関係やファミリー的な情感だけでつながるわけにはいかなくなり、何かの「理論や理念・理想」により大きな集団をまとめることが不可欠となります。「GD」(グランド・デザイン)を持った社会集団です。この集団は、大きな利害関係からなっているのでときには小さな利害関係は犠牲になることもありますし、狭い情感も抑えなければならないときもあります。

大きくて高い理念がそこにあるので、小さな利害関係や感情のもつれからのいざこざは抑制されます。でも、「高い理念」ということは直接的な現場から遊離していることを意味しますので、ときには理念自体が独りよがりな動きを起こします。特に、その「GD」の奥に、何らかの特権的な集団の利害や情感が隠されている場合には要注意です。歴史上の悲劇のほとんどがここから生まれています。また、先の組織盛衰の言葉での「官僚化」の状態もこの頃に起きています。現場から離れた人材が理念に引きずられたり、理念を操る上層階層の指示に従ってしまうことによります。

◎「人材の硬直化」

組織は巨大化すると、それを維持するためにも、さらに他の組織と競合して勝ち抜くために、制度・システムを確立し、そこでの人材を育成する研修制度も整備していきます。システムは精緻になり、過ちなく、ゆとりなく運営されることになり、人は、組織人材として育成され、その職能に応じた責任を担うことを要求されます。それによって、この組織はさらなる発展をします。自由フラットな組織ではまとまりが付かないので、内部のいざこざの調整ができにくく、また、外部対応では競争・戦闘力が落ちてしまいます。そこで、秩序統制型の組織が求められます。これにより、一時は調整力のある機能的な組織になるのですが、組織の巨大化によって、秩序統制型の部門が大きくなり、さらに現場から遠のくことによって官僚型になっていきます。

また、組織が、それなりの発展をして形を整えますと、そこにいる人間を、「生の人間」から次第に「組織に適合した人材」として育成し、さらには、もっと組織的に動くように「組織に従属した規格人」として教育します。この「規格人」が官僚化を引き起こします。この「人材」は、その責任制度の中では自分の自主思考と判断で活動するのは危険度が高いことに気づきます。責任が「権限」としてではなく、処罰と連動した「義務」としての性格が強まると、人は自由判断をせず組織決定に従う「規格人」となります。この段階での組織で生き残るには、組織参加者は、自分の自主的な人格を抑圧し、「マニュアル」に従って生きる受動的な態度をとるようになるのです。「マニュアル」に従う行動なら、責任はマニュアル(それを作った人)にあることとなり、自分の責任回避が可能となります。

2:官僚型組織の問題

さてこのように、組織が初期の人間くさい夢やロマン、情熱の時期を経て、責任体制が確立する成功段階となると、システムの安定と人材の育成とがピークを迎えます。

「図:組織の変遷」・・夢・情熱・責任・官僚まで

☆ブログ用1「組織論超ポイントシート」

「説明」・・夢から始まり、情熱で成長し、責任感で大きくなり安定度も増した組織は、ここが頂点となるが、やがて、官僚化で衰退する。その決め手はやはり「人」だ。

多くの経営陣は、システムさえ整えれば組織は成長し繁栄すると思っているが、そのシステムの中で働く人間が鍵を握っているのだ。多くの経営陣は、「人」を「個人」としてではなく「人材」さらには「規格人」とみなして重視しないことがある。「人材」としては「業績」重視であるが、「人」であることを無視しての業績優位の人材活用では、その「業績」に「人」が押しつぶされることもある。「人」が仕事をするのは、またその組織に参加するのには「業績」の前に「夢・ロマンや情熱」があるからであり、それを無視しての業績優位だと、人はそれに反発するか、または巧妙に適応して、自己防衛のため自己責任を最小にし、他者との関係を切っていくこととなる。いずれにしても、これが官僚化の道であり崩壊へとつながる。

◎「初期段階での課題」

人間くさい状態のときには、組織の問題はその人間くささから起きます。人間くささとは、素朴な人間関係から来る人情の暖かみがまだ存在していることですが、それと表裏一体で、夢とロマンの暴走や情熱のあまりの逸脱、さらには人間つながりでの情実の問題が起こります。これらは、初期段階の家族的結合の組織状態で起きます。時代的には、古い組織や古い体質を持つ保守的組織で起こりやすいものですが、人間の情感は根源的なものなので、後述するように、これが近代化を経た組織の中でも形を変えて問題を引き起こします。 

◎「成功段階の課題」

*システムの硬直化・・この問題の改善を行い、合理的な組織形態にしたのが近代的組織です。前述したように、制度やシステムの合理性と人材採用と育成の合理性を行いましたので、大きな組織がスムーズに運営されることとなりました。成功段階といえます。しかし、これがやがては、システムの硬直化と人材の規格化を引き起こすのです。

システム硬直は、合理性と精緻さを求められることから起こります。対応の幅がありすぎるとそこに情実が入りやすく・・忖度もこれか・・なりますので、できるだけ画一的な対応がよいこととなります。組織システムの規則が重視され、法規法令遵守が求められる法治主義となっていきます。

*人材の硬直化・・上層部の硬直化と参加者の規格人化・・それと同時に、対応する人間も、人によって対応が異なってはいけませんので皆同じように対応することが求められます。そして、この法令遵守ができる人材育成を行いますので、組織としての信頼は増しますが、人間くささはなくなります。

「上層部の硬直化」・・上層部が固定化するのは、組織の継続性という願望や必要性があるからです。確かに、組織の信頼性を考えればトップ集団の継続性は求められることです。

前近代型での継続性は、「人」要素での継続性ですが、この組織の成功段階での継続性は「法」要素での継続性です。ここでいう「法」要素とは、制度、規則やきまりのことですから、人の属性に関わることからは自由なので、硬直化とは無縁にみえるのですが、逆に制度や規則に縛られるという硬直化を起こします。「制度や規則重視」の人材が登用されることとなり、堅い集団となります。それがさらに問題化するのは、制度・規則重視の学校系列や職場系列への傾倒が起こり、これが硬直化をさらにすすめるからです。これは、前近代的な血縁・地縁の系列ではないにしても、やはり似たような状態になります。言わば、現代型硬直化ともいえるでしょうか、この制度や規則を守るのはこの学校での学習・この職場での任務や研修を経た者達が適任であると考えることにより上層部人事が固定化され堅くなって来るのです。

(参考までに)・・組織の継続性は必要なことであり、それは組織上層部の継続性と関わります。それは、仲間や後継者の人選のときに、現在の上層部との関係性を重視することにみられます。その関係性とは、血縁・地縁、学校系列、職場系列などですが、それが文化的継続性(学校・職場などの第二次集団重視の傾向・・仏教でいう「法脈」)であるならば、継続性の中でも、人事対流や交流が起こり、硬直化にはなりにくいのですが、そこに、ある意味では人間くささというか弱さというか、血縁的な継続性(血縁・地縁の第一次集団重視の傾向・・仏教でいう「血脈」)に傾くと人事の固定化がさらに進みます。これは、第二次集団は、個が独立してからの自由な結合関係から成り立ちますが、第一次集団は、個の出生や出身など個の自立性とは無関係なことから成り立っており、そこには人事対流も交流も起こりえないからです。この典型例は、身分制社会での人事固定化ですが、これは、第二次集団からの組織人事運営を行ったヨーロッパ諸国が、第一次集団型の人事を行っていたアジア・アフリカ諸国を支配下に置いたことで勝敗はついています。封建的身分制度の国々が、近代的な人事変革を遂げた西ヨーロッパの国々(中でも先進的なイギリス・・名誉革命でのシステムと人事革新制度)に負けてしまうのは歴史的道理です。卑近でも、経営層が親族系列の人事で失敗したことは分かっていることなのですが、それでも、組織が成功すると、経営層の中には無批判にこの轍を踏んでしまう人もいます。人間的情感の強さというか人材育成の資や視野の狭さというか、でも多くの組織でもまだみられるところですね。

また、近代型の組織での硬直化は、第二次集団の重視の中で起きています。学閥や職場閥というものです。文化伝統を担う学校での学習優秀者や職場経験者からの人事を優先しがちです。これも人事の硬直化のはじまりです。ですが、時としてこれは、一番合理的でなければならない戦闘集団である軍隊でも起こりますと、このピラミッド型の組織故に改革の声も上がりにくく大きな問題となります。これについては、堺屋太一氏の批判をはじめ多くの識者の指摘するところですが、この硬直化した軍隊が敗戦を招くのです。このような人事の硬直化は一定の成長と成功を迎えたほとんどの組織で起こります。その改革は、人事の硬直化が進んでいるだけに行われにくいのです。

・・少し整理・・「人事の硬直化」についての法則について考えると、固定化の強い順は・・「身分制」・「門閥制」・「学閥制」・「職場閥制」となろう・・

「参加者の規格人化」・・システムとして法規遵守を求め、人事としても上層部が制度やきまり重視の特定集団から選出されることとなると、その組織の参加者は、次第に主体性を失っていきます。自分で考えて主体的な判断をしたところで、精緻な法規法令に合致しないと拒否されるし、上層部からは批判され、疎外されるだけということとなります。そういう状況になれば、多くの参加者は、責任を問われないために、自主性を捨てて組織の動きに合わせるだけの人になります。規格人の誕生です。彼らは規格から外れないことで組織の仕事をこなしていきます。これは、きまりの遵守という長所の一方、改革改良もしないという欠点を持ちます。さらには、自分の責任以外の仕事への関わりを捨て、「見ても見えない、知っても知らない」という無関心層を形成します。

以上、システムの硬直化と人材硬直化(上層部と参加者)から、この成功段階の組織はやがて衰退へと向かいます。今日、一定の成功に達した数多くの組織で起きている不祥事、危機管理不足などの背景にはこのような状況があると考えられます。

「図:2つの段階でのシステムと人の状況の比較」

スライド5

「説明」・・成長段階の「人間くささ」から来る問題行動と成熟後の「官僚的仕組や文化」の中で問題行動とでは、その正確が異なり対応も違ってくる。この対応を誤ると、対応の指導や研修が効果を現さないし、逆な結果も引き起こす。俗に言う「やんちゃや非行」と「陰湿な脳内非行」にも似たものである。組織が成長段階での「やる気のある前傾姿勢でオープンな時代」のルール違反はそれを抑制すればいいのだから「法令遵守」の研修が求められるが、組織の成功期から衰退段階での「自己防衛的で陰湿な時代」のルール違反は水面下での行いが多く、その動機にも暗いものが混じっているので、これには抑制的な研修ではなく 「掘り下げ型の研修」が適している。

それでも、ここまで歪むと修正が難しいので、その前に、組織システムや文化での改善・工夫が求められる。後に触れる「重層柔構造」(自由組織と秩序組織の合体・その結合としての柔軟的な内部組織の整備)がその対応策である。

 

・・第1話・・終わり

 

「学習論 3部」・・ブログ活用編

「教育は静かな市民革命である」

・・この言葉は数年前に大先輩の方から聞いたものだが、今、成熟市民社会の成立を願う時改めて深いものだと思う。現在、民主主義社会に至らない多くの国は、大衆の教育不在の社会であり、民主主義社会に至った国でもこの教育不在が怪しい指導者の専横を許しているのである。多くの民衆・大衆が、適正な教育を得て主体的な学習を行えることこそ民主主義の成熟が可能となる。教育はその鍵を握っているのである。多くの教育機会がある中で学校教育は中核となるものであるのだからそのことを深く考えなければならない。

・・「習得」から「探究」・「活用」への道を、文科省が示したことは適切である。これまでの社会は、身分制度による教育機会の制限により、庶民は学習の機会を奪われ学ぶことができずにいた。その後、上層階級だけの知的独占では、複雑な社会の維持が困難となり、また他国との競合に勝つためにも、大衆教育への道が開かれた。しかし、大衆が自ら考える力を持つことを好まなかった上層階級は、彼ら大衆には必要なことを「習得」するだけの力をすすめるだけであった。

・・しかし、21世紀のこの多様で複雑な社会に対応できる人材育成となると、習得能力だけでは不足であり、事項の探究や活用能力が必要となる。大衆・庶民が主役となるのが民主主義であるが、いよいよ本当の市民としての成熟さが可能となる時となったのである。

・・「習得」だけでは、誰かが与えた知を学ぶだけであるが、「探究」はその奥を探りルールや仕組みを発見し、「活用」はそのルールを使ってものごとを主体的に解明することとなるのである。そういう時代となってきたのだ。さまざまな場面で教育という仕事を行う人は、この変化に気づき改革・改善を行わなければならない。

・・今、T(ティーチ)、E(デユケート)、F(ファシリテート)、P(プロジェクトプラン)、C(コーディネイト)の5つの役割が、教育指導者の彼らに求められるのはこうした理由からである。「探究」・「活用」力の育成では、「開かれた学び」が求められることから、F・P・Cの役割への転換が特に必要である。・・「学習」を「教室」から「学校」へ、「学校」から「地域」へ、「地域」から「地方」へ、「地方」から「全国」へと広げ、横にも縦にも成長の芽を伸ばしていくことに貢献できるような教育環境の早急な整備が求めれます。・・具体的には、小学校の児童生徒でも、関心のあるテーマについては中学校との連携、さらに高校や大学との連携ができるような体制つくり、さらに地域や地方での人材活用できるシステムの整備も求められます。

「学習論」では、このことについてもいつか触れていきたい。・・(すでに第2部では触れていますが・・)

・・なお、もし質問があれば次のメールに来てください、お答えします・・氏名など不要です・・「生徒か学生か大人か」は解ると対応しやすいのでありがたいです・・ toshibo170@gmail.com   です

第3編・・このブログ:「探究・統合・活用」の発展としての「FW」の検討

 

◎「中・高生でもOK 版」

~ 中高生も理解できるように工夫してみます ~

・・「FW」による思考力の進展 ~その例示のいろいろ~

「FW」があると、それを活用しての分析力とさらには統合力が高まるので、ものごとの対応が、大きく、深く、素早く、正確になります。・・例えば、『「3秒で選び2秒で決める」思考術』(コクヨ 中経出版)のようなことが可能となります。ここでは「型」があるとこれが可能になるというのですが、この「型」がいわゆる「FW」です。こうした「FW」を3秒で数種思い浮かべると、2秒でそこから選択して対案が出せるというものです。

本日からのブログでは、そのような「FW」の具体例を提示します。現在、「思考力」が求められていますが、この基本は、探究力で、それは分析(部分に分ける)・分類(関係でつなぐ)から始まります。その時に効果を発揮するのが「知のFW(仕組み・法則・ルールの集合体)」です。これからのブログはどれからでも適当に選んで読んでください。

第3編・・このブログ:「探究・統合・活用」の発展

・・「FW」による思考力の進展 ~その例示のいろいろ~

 

今日のブログ1・・そうした思考がどこまであるか、やや遊び心で「演習問題」をしてみましょう

 

◎「分類」・・問題に挑戦してみよう(これまでの第2部と同じ問題です)

 

1:次の分類問題に答えよう。

①「花の分類」・・次の分類はどれが一番むつかしいか・・

a:季節による花の分類 b:花の色分け c:価格による分類

d:贈答花の選定

「ヒント」・・現象(見た目)での分類か本質(性質など)での分類か ・・

②「魚のネーミング」で次のうち一番容易なのは・・

a:鱈  b:鰯 c:鯖 d:鮭

「ヒント」・・これも、現象は?本質は?・・での分類

*「解説・解答」 ・・高校生には易しすぎるか・・

①「花の分類」答え・・難しいのは・・dまたはc(d=分析が2つとなる・・花の性質分析・相手の気持ち分析、c=「市場状況」の分析・売り手と買い手の関係を考えるので)・・易しいのはb(目に見える色分けだから)

②「魚のネーミング」・・c(色での命名・・「現象」) bはむつかしい(他の魚と比較して弱いという性質・またはこの魚の腐敗しやす弱い性質・・「やや本質」に近い)

*「活用頭」の最初は、「探究」すること=それはそのことを掘り下げて「分析」すること・・です。この探究で、そのことの「基本・本質」が分かれば、そのことを成り立たせている「ルール・法則」がつかめるので、そのルールを使えば「活用」ができることとなるのです。分析して基本を知って分類すると間違わない。そうでないと、単純な類似で分類してしまう。(例:サメとイルカは同 じとなる)・・・学習が進むと・・ 「現象系(見た目など)の分析から本質系(しくみ)の分析へ」が可能となる。

・・「現象と本質」・・この2つの違いを見分けることができるようになると、脳が成長して来ているのです・・ 

2:次の問題は、毎日気にしている天気(その奥にある気候)の問題です

(1)次の地図上の地点の気候や天気はどのような特徴を持つでしょうか、気候のルールを想定して答えてみましょう。(記憶が不要と言うことの証明問題です)

 

スライド6

「ヒント」・・天気・気候は、温度と雨量で決まる。それは、地球上の位置と海流の状態(水蒸気が出やすいかどうか・・雨の源泉は海の水だ)、それに風向き(これはいつも吹く風と季節で吹く風とがある)、さらには地形(高山があると風の吹き方が違う)・・そして根本は・・そもそも海流を動かすのは、風を起こすのはどういうエネルギーかを考えてみること・・それは太陽の熱と地球の自転

「解答」・・実は、ここは大陸の東岸で日本に近いところ(正確には中国の海岸天津付近)・・温暖で雨量多く、夏には海からの風が雨を降らす、天気は基本的に西から変わる(偏西風の吹く位置なので)が冬には陸地から冷たい風が吹く

・・これは地理や地学の学習となりやや難しいので後の話題で詳しく説明します・・

 (2)次の関連問題・・これは易しい・・でも思考の訓練にはなります

この家の問題点はどこでしょう・・(ただし、ここでは太陽と風だけの問題とします・・家族構成、道路とか近隣の施設は考えないこととします)

・・その解決法は・・

スライド9

「ヒント」・・太陽の熱との関係(東西南北)で考えると・・太陽が暖めるところは暖かい・・人の居心地はよい、でも虫が湧く、腐敗しやすい。

・・科学的な思考と文化的な思考(必ずしも合理ではないことも)とで考えてみる・・

「解答」・・トイレは温度の上がらない北向きがよい、虫が発生しにくい・・でも寒い・・しかし永くはいないのでOKか。台所も食材の腐りにくい北向きがよかったがそこは寒い。昔は寒いところで炊事(時間は永い)をして、暖かいところに運んで食事をしたようだ・・でも、冷蔵庫の普及が台所の位置を変えた。暖かく日差しのよい南向きが仕事も団らんにもよい。居間や寝室が寒い所にあるのも問題。玄関の南向きはもったいないし、東向きがよいとも・・太陽を迎えるから?・・北向きは北風が入り気温が下がる・・西向きは日没で機運が悪い?・・偏西風帯なので風が入りやすい・・いい風ならよいが悪い風ならよくないので避けるか・・。客間はもったいないか・・それほど客は来ないし、よい客ばかりではない?。

この太陽や風の問題は、昔は「風水の説」が取り扱ったものです。この科学的思考にその後、文化的?な解釈などを付けて、それが迷妄なものも混じって問題となりましたが、「風水」の基本は科学と正当文化だったときもあります。

 3:それでは、さらに、もう1つ次の問題に挑戦してみよう。

「ネコに小判」という言葉がありますが、それはどういう意味だろう。もし「ネコに鰯」ならネコはどうするか・・当然、前者はネコは食べられないし、使えない、後者の鰯なら食べられる。・・

①それでは「小判と鰯」とどう違うのか考えてみよう。

「ヒント」・・次の語句を使ってみよう・・「抽象」・「具象」、「直接」・「間接」

②それではネコの能力がどこまで高まればいいのだろう・・人間では何歳頃の能力までになるのか。

「ヒント」・・小判の本質「仕組み」(小判が何匹かの鰯に変わること)はネコには解らない。人間でも、これが分かるのはいつ頃だろう?

③さらに発展・・同じような諺に「豚に真珠」がありますが、やや意味合いが違います。その違いを説明すると・・

「ヒント」・・ネコの何を問題としたのか、豚の何を問題としたのか

 

☆ブログ用「第2部-3学習 シート」

 

○「解説・解答」

これも、現象と本質に関わる問題です。小判は、抽象物で間接的なものです。直接には食べられませんが、鰯と交換できます。それが分からないから「ネコ」なのです。人間は、「抽象」と「間接」が理解できるようになるのは10歳頃かな。でも、貨幣の発達史を見ると、物々交換からはじまり、小判の登場までには時間がかかっている。その後の「不換紙幣」までにはさらに道のりがあります。背後に「金銀」の保証付きの「兌換紙幣」を経てからですから・・「活用頭」もそう簡単にできたわけではないのですね。先人の永い思考と試行錯誤の後で「仕組み」ができあがってきたのです。これを学ぶことで私達は理解が早まります。ただし、この時に肝心なのが、この道のりを理解せずにその結果だけを知っているだけのことが多いのです。それでは、「小判の使い方を知っただけのネコ」になります。

小判の仕組みの理解が必要なのです。この道のり(ルール)が分かれば、貨幣というものの本質が解ります。「ビットコイン」の本質も分かりますね。

(・・私は、パソコンの仕組みを理解しないまま使い方を知っているだけですので、パソコンが通常の動きでなくなったちょっとの変化にも対応できません・・仕組みから理解することが求められているのですが・・この歳だからとごまかしていますが・・「パソコンについてはネコ状態」です。)

さて、最後の2つめの諺ですが、「豚に真珠」はその見た目での「現象」だけを述べたものですね。「ネコに小判」はやや本質的なことの諺ですから、こちらの方が意味深いですね。・・ついでに、「豚に真珠」には身分差別的な意味があるとのやや深い説もありますが・・

*それでは、次回から、さまざまな「FW」の例を紹介しながら、「探究」と「活用」について考えてみましよう。・・(私のものはどうしても文科系のものとなってしましますので、読者の方はこれを参考にして自分の得意な分野で自分なりの「FW」を作ってみてください。なお、第1部の「知のFW 研修」にはかなりなものを入れております・・でも小難しいです・・)

*それでは、次回から、さまざまな「FW」の例を紹介しながら、「探究」と「活用」について考えてみましよう。・・(私のものはどうしても文科系のものとなってしましますので、読者の方はこれを参考にして自分の得意な分野で自分なりの「FW」を作ってみてください。なお、第1部の「知のFW 研修」にはかなりなものを入れております)

 

☆今日のブログ2:「FW」による思考力の推進 

(1):「知力の仕組みとその変化」のFW

・・「学びの仕組みが分からないと、自分の学習状態が分からない。そして、学習は停滞し混迷する」・・

「ねらい」

*人間が持つ知力の種類とその変化について知ると学び方が分かってくる・・自分たちの学習状態が今どの段階かを知ることは大切なことだ・・

*そうするとこれまで述べたAさんのような学習停滞が起こらなくなる・・中高生は、次第に「知識記憶」中心から「理解>知識記憶」に移る頃だ・・

*こうして主体的な思考ができる人が増えることで「成熟市民社会」が実現する・・やはり、世の中がうまく行くには「賢い学習者」が増えることだ・・

「知力変化の図式」

スライド1

 

「説明」・・知力は、これまでにも述べたように、「習得・探究・統合・活用」となります。

幼い頃は、とにかく「習得」です。身の回りのことからの体験や親たちからの指導による学び、先輩達のマネからの学びです。幼い状態のグループも、より発展した隣のグループからの習得から始まります。わが国は、古代には中国・朝鮮からの習得、ヨーロッパ人が来始めると彼らの先進技能やキリスト教などの習得、明治以降は西洋やアメリカからの習得が続きました。中進国・先進国に学びながらも幾分か自分流にそれを転換しながら賢くなってきました。

「探究」は、習得事項が一定度に達したら、それらを整理するために自然に起きてきます。でも、この整理の方法を意識的に行うことができれば効果的なものとなります。その方法がこれからの学力です。これには、分析するための「メス」としての理論が数多くあります。・・それは数々の「FW」(仕組み・ルール)で多大なものですが・・これを学ぶのが10歳以後の学習の中心となります。法則とか構造・構成などの仕組みとかを理解するのが学習の中心となります。それまでは「記憶>理解」であったのが「記憶<理解」になります。先のAさんのターニングポイントがこの時だったのです。ですから、この頃の歳になると学習方法も変化させなければなりません。

「FWに統合」は、探究することでその事項の仕組みやルールを知ることになりますが、その仕組みやルールを「知のFW」として統合したものとして理解します。やがてこの「FW」が「活用」段階で利用されますし、先の「探究」段階でもこの「FW」が分析のメスとなります。できるだけ上質な「FW」をできるだけ多く理解して保持しましよう。

「FW」には、自然科学では科学的な法則が中心です。文科的には歴史や経済的なルール的なものや言葉でそれらを凝縮した熟語(四字熟語)もルールらしき役割を果たします。これらのルールには、理論として「長短分析」(メリット・デメリット)、「SWOT分析とクロス分析」(内外の長短分析とその組み合わせ)、マトリックス分析などが有効です。これらがあることで分析が素早くまた正確に行われます。

また、「FW」にも質の差があります。できるだけ「現象」の奥にある「本質」(原理・ルール)にまで掘り下げたものが上質となります。例えば、地理の学習で「フェーン現象」の「FW」を理解したとしても、風は、高地を越えると登り口の高さと同じ位置までおりると降り口では気温が上昇するということでの理解でも一応は役立つのですが、さらにその理由まで掘り下げて、そこに水蒸気が関係して気化熱や液化熱の法則まで掘り下げることが求められます。・・水蒸気があると登るときの気温降下が液化での熱の発生で緩やかになり、下りは水蒸気が少ないので平常通りの気温上昇となるからフェーン現象となる・・ことの理解までくると根本の理解となり応用力がもっと進みさらに多くの現象を解明するものとなります。

「活用」は、その人が対応する事項の解明を行うについて「FW」を利用して分析・検討することです。この時には、その人やグループが、質の高い「FW」を多く所有していることが求められます。質の高い「FW」は、実は「深い掘り下げ」が行われていることです。この掘り下げが浅いとその「FW」は単なる知識のまねごとになっています。

例では、組織論の「FW」で、人の結合に「納得・説得・強制」があり、人が自分の力を一番発揮するのは「納得」であるが、素早い対応を要する時には仕方なく「強制」が必要となる・・との理論があります。それをさらに掘り下げて、人は「強制」の時には自分の力をあまり発揮しないのであるから、「強制」を基本とする組織は永続しない・・との「FW」までになるとその「活用力」は大きくなる。この段階のFWとなると歴史的な事例の分析・検討が可能となり、「秦」と「唐」との違い、「信長」と「家康」違いが解明できます。・・前者が「強制」的で後者が「説得」的(納得ほどではないが)とういうこと・・そのため「唐」「家康」政権は文治政治となり文化・学問をかなり利用します・・狡猾といえば狡猾ですね)

・・ちょっとこれは大人向きですか?・・でも高校生なら理解可能かも・・

(2):「理解の基本のFW」・・事項の仕組みの3層

・・「分析は、分けることから始まる。ものごとは、この3つから分析できるというのがこのFWだ。私も、これを理解してから、分析力が早くなり説明力も向上した」・・

「ねらい」

*社会の出来事は「科学合理」「経済効率」「文化・心理的効果」の3層からなる

・・この3つが調和すると最善・・

*科学合理が基本の基本である・・しかし、これだけでは理論的すぎて、コスト高になるとか扱いに不便とかの問題も残るが・・そこで・・

*現実には、経済効率が労働軽減や手間暇の省力化に役立つ・・ただし、をコスト面での効率(コスとパフォーマンス)が重視されすぎると科学合理が抑えられることも多い・・

*実際の行動は人が行うので、「文化・心理的効果」も大きな影響力を持つ・・ただし、科学合理や経済効率を隠すこともある・・いわゆる「見てくれ」でごまかされることも多い

「ものごとの3層構造」・・お皿から考える

☆ブログ用「思考力1 シート」

「説明」

1:科学合理性・・物事の成り立ち、私達の脳の仕組みはこの科学合理に基づいているから、思考の基本もこれが第一。

2:経済効率・・労働や活動の投入量や資金の出費に見合う効率が求められる。これで、手間の工夫やスムーズな動きへの改善が行われる。

3:文化・心理的効果・・人間の感性面での受け容れがものごとを決めることが多い。

以上の3点から、この例「お皿と食べ物」について考えてみよう。

*焼き魚は、熱い方がおいしい・・皿は保温性があるもの~「科学合理」・・そこで、保温性のある陶器皿(粘土に空気が含まれているから)となる・・

~磁器やガラス皿は密度が濃くて熱を伝えやすいので保温効果がない~

*しかし、陶器皿は分厚くて重くて、かさばる・・そこで、日常では磁器皿が多用される~「経済効率」・・(余程高級な店でないと、陶器皿で焼き物が出ることはない)

*また、ビールを冷たく飲むためには、科学的には保温性のある陶器ジョッキがよいのだが、これでは冷たさと色合いが伝わらないので、ガラス製のジョッキが好まれることとなる~「文化・心理的効果」・・このグラスジョッキは、科学的にも経済効率でも問題である・・暖まりやすく場所を取り壊れやすいなど・・でも、これが文化となった。

☆「補足説明」・・「科学合理」が一番の基本だ・・だから中学生では「理科学習」が大切になる。「経済効率」が分かるのはその後の高校生か。さらに「文化・心理効果」が理解できるのはもっと後か・・文化的なことは合理的な意味がないこともあるので歴史的なことや感性の理解が必要なので・・。

(全く科学的に問題がなく、すぐに使えるので効率がよくても、「ネコが舐めた皿」だと分かると価値が下がるのが文化・心理効果だ。逆に、普通のものでも「文化的に価値づける」(?)ことができれば、科学的合理や経済効率も通過(ネグレクト)できる。・・(「超有名人の誰かが舐めた、使った皿」だと価値が上がる)・・ということで、有名人やカリスマ、美人・イケメンなどを多用するCMのやり方があると、その製品・施設などに科学合理の弱点があると考えられます。・・逆に考えれば、自分の製品、施設の自信がある場合にはCMはあまりしないようだ・・大学では、Ws・K0、DsなどのCMはあまりみないか、また、CMにしても、製品では科学合理のCM、学校・大学では教育の本質(育成の仕事)のCMになるのだろうと思う。

「応用問題」 

1:あなたの今日の服装は、どれを優先しているか?

①科学合理・・防寒優先ならこれだ、当然 防災服も(着ることはマレか)・・寒さ暑さのときには科学が優先される・・

②経済効率・・普段着は安くて汚れても気にならないことが大事だ・・日常はこれが基本だね・・

③文化・心理効果・・人が集まる場では見た目も気になるね・・イベント・行事のときにはこれだ。・・普段でもこれを優先する人は、ちょっと「自己中」?かも

2:次の「CM」なら、その製品・場には何が書けていると思うか?

①有名人がパフォーマンスをするだけの商品CM・・商品の科学合理性に自信がないか、より高く売ろうとするか・・

②可愛い女子大生の横顔をアップした入学案内ポスター・・大学の教育自体が科学合理だが、これに大学自身も自信がなく、世間の信頼がないときに可愛いだけのものになるのかな・・

③目新しい綺麗な施設と規模を誇る学校案内・・上と同じ、さらに質よりも規模(量・・大衆性)で勝負したい思い

④安全性や走行性能を説明する自動車CM・・科学合理への自信がある、買い手の質を高めたいとき

⑤製品の上品さを出したいのか白人男女のモデルを多用する衣料CM・・製品に科学合理がないとき、または経営陣に人種的偏見があるとき(文化・心理面での問題だ・・日本人への自信がないのか・・)

⑥学校教育理念を易しく表現した言葉と現役女子大生を使ったCM・・「誰かの役に立つ私に!」というフレーズをみたことがある、そういう学生の育成方針が良く伝わる・・

⑦大学生活の一コマを紹介するCMでも学習・活動を優先したもの・・やはり、学生の育成「科学合理」を中心としている学校だと思える

⑧ 同様なものだが、昼休みの学生の雑談や食堂のメユー紹介などを優先したもの・・本業の教育への自信の無さを大衆心理でごまかそうとするのかと思える

⑨「安さ」が一番・・というCM・・「安い・うまい・速い」(経済効率と心理的効果)中心なので、科学合理である健康・栄養面での心配もある・・(そこを乗り越えて科学合理に近づけようとしている企業もあり、その努力は賞賛される)

*CMは、基本的に「文化・心理的効果」を狙ったものであるだけに、科学合理を基軸にしたものは少ない。・・科学合理は理屈っぽくなるのでCMにしにくい・・上に挙げたCMも多くがそうであるが、誤った文化・心理的な傾向に訴えて合理性を隠すようなものは不適性であろう。

(3)「気候のFW」の活用・・科学合理のFW例(気候に関心のある人に)

・・「記憶力の教科・科目とされている社会科でも、科学合理・経済効率・文化効果の法則を使うことで単純記憶から抜け出て、思考を進めて答えを想定できることを学びたい」・・ここでは気候なので科学合理が中心だが、その他の社会現象・出来事でも、経済効率と文化・心理効果の法則を追加して使用すれば、推理と想定は可能なのだ・・(この法則が分かるとすばらしく学習能力はUPするよ)・・

「ねらい」

*社会科学習(地理もふくめて)は記憶事項も多いけど、その奥には科学合理で解明できることがある。中学生頃からは、理解を重視しよう。

*そこで、次の気候の要素(海や風・・そこから来る温度と湿度)の法則をつかんで地球上のあらゆる気候を推理しよう。

・・その5法則(ルール)・・「地球自転・太陽熱」(原動力)・「地球の形状・陸海の比熱差・地形(山など)・地球の傾き」(影響するもの)を理解すれば、記憶しなくてもその地の気候の状態を想定できる。

「試し問題」

*次の場所はどのような気候の特徴となるか?

 「概略世界地図」スライド7

「ヒント」

1:海流を描こう・・地球の自転の反対の流れだ・・「自転が原動力」

2:風流を描こう・・

①風の上昇は太陽の熱から起きる・・「太陽熱が原動力」

*赤道付近が一番熱い・・そこから上がった空気はN30度付近で下降し、そこでは乾燥した空気が溜まり、気圧も高くなる。N30度からは南北に空気は流れる。

②そこで・・N30度の高気圧から赤道に向かって吹く・・これは自転の反対向きの流れ、*N30度からはN60度に向かって吹く風は西から東に向かって吹く *北極からN60度に向かって東から吹く。

「これらは、地球の自転と地球が球状という形から起きている」

③地球は太陽に対して傾いている(約23度)・・そのため夏と冬とでは太陽に対しての傾きが逆になる・・太陽に対して北半球が傾くときが北にとっての夏、南はその逆・・これが季節変化の原因だ。・・そうすると、太陽が正面から照らす場所の変化も起きる・・北の夏には太陽が照らす位置が北にずれる・・最大はN23度(北回帰線)まで・・そこで、空気の上昇位置がずれて高気圧の位置もずれる・・N30度よりも北に来る(10度ぐらい北上・・23度までは北上しない)

④海と陸とでは太陽の熱に対しての反応が違う・・すぐに熱くなるのが陸(個体)で、海は遅れて熱くなる(液体)・・でも冷めにくい。これが季節による気圧の差を引き起こす。

⑤風は陸地では高い山脈がありその影響を受ける・・偏西風も陸地では弱まる・・海なら障害物がないので弱まらない。

「参考シートで学習しょう」・・数枚あるよ・・

 スライド3

スライド2

 

「解答・シート」

スライド8

A=暖流と偏西風の所・・風は西風・・でも夏は熱くなった大陸へ海から風が吹くので海(暖流)からの湿気で多雨となる。この季節風は偏西風よりも強い・・偏西風は大陸の高地・高山で防がれて弱まっているからでもある。夏の海が熱いと熱帯低気圧が発生し台風となる。冬は大陸から海に風が吹くがその風は冷たい・・「西高東低」。

B=寒流と偏西風・・風はいつも西風の偏西風・・西が海なので季節風よりも強い。寒流なので水蒸気は少なく小雨。台風などは発生しない。

C=寒流と東風・・小雨の地域・・海に近くても沙漠にもなる

D=暖流と偏西風・・季節風の影響も大きい・・Aに近い気候

E=夏にはN30度の高気圧が北上しこの地に来るので乾燥する・・地中海は夏乾燥するのはこのせいだ・・これは地球の傾きが関係するのでかなりな理解力が必要だ・・地中海の気候が分かると他の気候の理解もできていると思われる・・

さらに応用すると、気候と生活・文化まで含んだ大きな「気候・風土・社会・文化のFW」になる

 

「気候・生活・文化の総合FW」スライド1スライド4

 ☆ブログ用「気候 シート4」

「説明」・・「気候と風土・社会・文化の総合FW」・・これは相当なレベルの理解を結合したものなので、大きな「把握力」の段階の力といえます。・・(理解力が個々の事項のものに付いてのものであるのに対して把握力は全体的な理解と判断の能力です)・・

このFWは、地理的な気候とその気候に合った産業、またその気候から生み出される風土とそれに影響される文化状況などを関係させた「総合把握のFW」です。例えば、地理的には、わが国の気候は暖流と偏西風の地域であるが、季節風もあり、夏には太平洋からの湿った風で多雨となります。これが、稲作を可能にしますから、米(カロリー高く・連作可能)のお陰で多くの人が定住できます。そして、多人数で定住すると、独立心よりも協力心の方が社会を安定させますので、「和」の文化が育ちます。さらに、定住し農業し、栽培作業すると、繊細な仕事では男性よりも女性の方がこれに適しています。女性優位の文化が永らく続きます。万葉集などでも女性の文化が記されており、それは平安期にまで続きます。・・(一方、移動型で相互の競争の激しい地域では、男性優位の文化が早くに成立して、文化でも女性のものはみられません。・・中国大陸やヨーロッパでは古代の文化成立期にはすでに男性優位の文化となっていたのでしょうか、女性の文化の跡「詩歌・書籍・絵画など」がみられません・・ほとんど男性のものです。)・・ また、宗教でも、定住型では地縁性の神々が多く、移動型では天空性の神が出てきます。天の神はどこにいても見られるからでしょうか。この天の神は、人間を越えた超越神となり絶対的な性格を持ちます。一方、地縁性の神は、それだけに多くいて身近といえば身近で、雑多な神々となります。

・・この「総合FW」が把握できると、社会学や歴史学の理解がズーと進みます。

・・・ここで「学習論」は一応終わります・・また後ほど・・「組織論」の後で・・

 

 

 

◎第3部 「学習論」 ブログ3 「探究・統合・活用」

今日のブログ:学習論「学習の道筋」について考える3

  その後編 「探究・統合・活用」

 

・・前回からの続きです・・(番号もその順です)

さてここで・・~「ブログ「第3部」を始めるにあたって」(その思いの続き)~

  今年古希を迎え、人生のほぼ終了期の始まりとなりました。古代インドでの区分けでは、古希は、林棲期(家庭・仕事の暮らしを引退し森で暮らす時)から遊行期(人生の最後の旅)に向かう齢だそうです。現代の平均寿命からすると古希はまだ未練がある歳で、私も人生を悟ることはないのですが、そろそろ限界点が来るだろうとは思っております。

そこで、これまでの仕事の一定の整理をしようとの思いで「ブログ」を始めました。この中に自分の思考・実践したことを書くことで、もしかして後世の人に何かの役立つことがあれば幸いだとやや純粋に思えるようになってきました。

もし、このブログの内容を40歳台で把握していれば子供に伝授できたのですが、60歳台にやっと体系立てた叙述が可能となってしまいました。孫達に直接に「面授口説」で伝えたいと思うのですが、まだその歳にはなっていませんし、孫達がその歳になった時には私の方が怪しくなっています。そこで仕方なく「文授筆説」(?)としての「ブログ」ということになり、また、伝える人も孫世代の子供や彼らを導く親や指導者の多くの方にも拡げたいとも思うようになりました。

「ブログ」は提示する方も受け取る方も、互いに意見も感想もなしという状態にすることで、自由な関係が保たれるようです。本やCDなどでは、双方の関係が明確で押しつけがましくなります。(時には本をお渡しますが双方自由な関係は要りますね・・この紙をお渡ししても同様です) 

もしそういう自由な関係で、このブログを読まれようとする方は次のアドレスに来てみてください。

・「goldenhillweb.wordpress.com」・・Googleです

   「思考力入門」(「学習論」「組織論」)です

なお、読みやすいのは「第3部」からです        金岡(goldenhill)より

 

「学習論」・「組織論」への思い (ついでに~大人の人に~)

「学習論」では、学習を進化させていわゆる頭の賢い世代を育成したいとの思いが基本にあります。それは、いわゆる「できる子」を作りたいという勉強法と近いものとなりますが、本当のねらいは少し違います。

「組織論」では、「成熟市民社会」を希求し、そこでこの社会を担う市民・国民の条件を検討しますが、ここで、組織論と学習論が合体します。

20世紀初めの「競合市民社会」なら、競い合いが社会を進化させましたが、と同時に、競合が最終的な戦いである戦争にもなりました。互いに競い合うことは個々の生存保証として人のプログラムに組み込まれているのでそれを否定することはできませんが、その競い合いが双方の破滅につながることは阻止しなければなりません。幸いにも、21世紀「成熟市民社会」となった現在、その競い合いが共存型になる条件も整ってきました。「知的資源が優位、その知育の機会が拡大、知的有能者が増加」という条件のもとでは、「物的資源」の奪い合いは緩やかになるだろうし、その激化の回避も知的有能者の情報連携で防げるでしょう。またそれでも残る自己認知欲求は、成熟市民社会での多様な参加形態が可能となることで実現されることとなるだろと思います。

そうした社会的成熟度のために、学習の成熟が必要となりますが、これが「学習論」で学習の進化を求める理由です。「できる子」が互いに闘争だけするのでは、「バカな子」の平和の方がよいのですが、でも、「バカな人」では平和は実現できません。彼らはすぐに「悪い人」に騙されます。悪い人の悪さを見抜ける力がないからです。「衆愚化(ポピュリズム)」は現在に始まったことではなく、古代からずーとそうなのです。世界的(中国や日本も)なこれまでの歴史にみられるように、権力者の歪んだ権威的な説法に騙されたり、古代ギリシアのアテネのように、自ら決定者になれても「自分で考える学習」がないために多数派の勢いに飲み込まれ、ソクラテスを殺した民主派市民のようになります。(・・当時のアテネ(アテナイ)にもフィスト達の教える知識だけを学ぶ習得教育はありましたが、考える力の育成は弱いものでした・・)

現在のわが国では、誤った組織を改革する条件が整ってきています。ただし、それにはそれなりの市民・国民の成熟さが求められます。その成熟の1つが「賢い学習者」ということです。闘争を回避・昇華できる学力を持った人への期待です。

「学習論」と「組織論」とをともに思考するのはこうした理由からです。

 

◎学習プロセス・・その2『探究』 です

・・「その疑問、変えてみようよ、なるほどに!」(「広島教育の日に向けての小学生作品」より)

・・分解して確かめる段階「引き算型学習」

さて、学習プロセスの1の「習得」の学習は、とにかく知識を加えていくという学習方法です。しかし、やがて、その「加算型の学習」に限界が来ます。多くの知識や情報が入り込んで来るとその整理がないと必要な時に取り出されなくなります。必要な時に必要なものを提示できないと、まるで大きな部屋に買い物をため込んだままの「ゴミ屋敷の主人」状態となってしまいます。・・そこで、それらの分類・整理が求められます。この時の学習はため込んだものを「分解」し、不要なものを「除去」し、ポイント探し・「本質発見」をするという、いわば「引き算」的な学習となるでしょう。

○「初期分類」・・ここでは、色や形が同じとか大きさや重量が近いとかの「類推」の能力で対応できます。この「類推」も一種の引き算で、同類のもの以外を差し引いて同類のものだけを求めているのです。幼い子供でもこうしたことができますが、このままでは複雑な分類はできません。例えば、花の場合、色や形は同じでもその性質が異なっていれば植える場所が違います。日当たりを好むとかアルカリ性土壌が良いとか。食物材料では、熱に強いとか弱いとかの判断が煮物作りでは求められます。(・・実は私が煮物を作ったことないのですが・・)

 ○「発展分類」・・そこで、その事物の中身の検討が必要となります。それはちょうど、私達が食事をして食べ物を分解し、タンパク質かデンプンかに分ける作業に似ています。その後は、タンパク質もさらにアミノ酸にまで分解して検討します。

フランスのR・デカルトが数百年前に「解析学」を唱えたように、また、E・フェルミが近年「フェルミ推定」でも述べたように、ものごとはそれを細かい要素に分解して部分に分けると、そのものの仕組みが現れてきます。そうすると、その仕組みに応じての分類分けもできてきます。・・同じ魚で見た目には同じにみえても、魚の内臓機能まで分解・検討すると、海に住む魚と河に住む魚との違いが分かりますし、さらには川と海に住める魚の複雑な仕組みも分かり、より正確な分類ができます。また、磁石に付く金属と付かない金属の性質も、分子レベルにまでその構造を分解すると分かってくるのでしょう。・・(この自然科学的な探究は私の専門外なことなので深みはありませんが・・)

私の専門とする社会科学系での「組織の分類」ではその結合のあり方の分解・検討により、「利害・感情・理論」の内のどの要素が強いものかという分類ができます。たとえば、企業は利害、家族は情感、政党は理論(?)ということとなりますし、また学校でも、小学校では情感、高校・大学では理論の要素が強まるとの分析ができ、それに応じた分類ができれば組織改善にも役立ちます。・・こうした高度な分類ができると、これまで蓄積した知識を、精度の高い分類棚に整理することが可能となり、引き出しもスムーズに動くこととなり、「知識のゴミ屋敷」状態から抜け出て、いわゆる「できる人」だということとなります。 

○「仕組みのルール・法則性の発見」

こうした分類を行うことによって、私達は次第に「法則性・ルール」を理解することとなります。そしてこの「法則性」が「FW(フレームワーク)」として成立すると次の「統合」の段階となり、やがては最後の「活用」の段階となるのです。

このルールの発見では、頭の働きはまずは「帰納法」(きのう・induce)のやり方で動いています。・・帰納法とは、いろいろな事例の中にある共通の事例をつなげて一定のルールを見つけるやり方です。・・例えば、「空を飛ぶ鳥には皆共通して羽尾を持つ」とか「朝から元気な子供は共通して朝食を毎朝食べている」などや「暮・幕・墓・・に共通の草冠の下にある日は何だろう・・日が草の下に沈む・・日暮れだ・さらには隠れるということか」と発見することです。

ただし、その帰納時に、単なる「類似」だけで共通だとするのではなく、もっと分析をして、その「しくみ・構造」から理解することが重要です。それが、精度の高い「ルール」なのです。そうでないと、「海に住んでいるからイルカは魚類だ」となります。このような誤りを避けて、一定のそれなりに信頼できるルールを発見したら、それを中心にして知識を結びつけて「知の構造・しくみ」(「仮説・FW:フレームワーク」)を獲得したことになります。

この高度な分析になると、下からの分析・共通事項の分類だけでの帰納法だけでは十分ではなくなります。もっと先の結論「構造や構想」を仮説として想定しながらそこから振り返ってから最後の高度な分類をしなければならなくなります。「○○のような構造になるかも知れないなら、このような分類が適切だ」という発想が求められます。その時には、これまで仕入れた「FW」を使うこともあります。いわば、後の項目で述べる演繹法的な思考方法が要るのです。

例えば、

*1:「帰納法・分解して共通ルールの発見」・・F・ベーコンの帰納法

肉が腐らない・・「雪の中・氷の中・寒い空気」=共通=「冷温」

・・16世紀のイギリス、彼はこうした実験をしながら「冷温が肉を腐らさない」ことを発見した・・その実験での風邪が命取りになったが・・この当時は科学黎明期、まだ冷温による細胞の状態まで分析検討はできていないのです

ついでに・・彼は科学的方法を「蟻・蜜蜂・蜘蛛」に分類している。

○蟻=ただ識を集めるが整理がない状態・・知識の寄せ集めです。・・ですから、「知識の加算」=「知識ゴミ屋敷状態」となります・・

○蜜蜂=いろいろな花を廻るが、そこから「蜜」という共通項を集める・・花の中の蜜以外のものは捨てている・・つまり、「知識の分解・検討」・・「引き算的思考」・・引いた後の共通項・ルールの発見となります・・

○蜘蛛=蜘蛛が自分の中から糸を出すように、法則「FW」から蜘蛛の糸を引き出すように思考を紡ぎ出す・・でも、この思考方法では、最初の「FW」が誤っていればそのまま誤ったものが引き出されてしまい、全てが誤りとなります。この当時のヨーロッパでは、キリスト教が支配的で最初のFWは「神のFW」となってしまう心配がありました。ベーコンが「帰納法」にこだわったのもこの「神のFW」を排除したかったからです。

*2:「演繹法・FW」を使った分解の仕方・・R・デカルトの方法

もし最初に真理をつかんでいれば、そこからものごとを解いていけます。それは論理的で誤りが少ないものとなります。「冷温がものを腐敗させない」という真理が分かっていれば、ベーコンも風邪で死ぬことはなかったのです。しかも、その真理を理論的な思考で発見できれば最善の道です。デカルトはそう考えました。彼は、究極の真理を探究しそこから論理的に明確で飛躍のない思考をつなげていくいことで世界を理解しようとしました。その究極を「神」ではなく、「論理思考する私」に求めました。「われ思う、故にわれあり」の言葉は有名です。

さて、現代では科学的探究・実験や思考が積み重ねられて、多くの「FW」が発見されていますので、その「FW」を利用しての「演繹」が可能です。

例えば、それほどの科学的な「FW」ではないものの、探偵ものの犯人捜しでの「FW」では、合理的な思考で到達した「最後に得するものが犯人」という結論が成り立ち、そこから演繹して犯人を推理します。このように、結果を想定してから、その結果から逆算して推理思考するやり方は日常的に行っていますね。

・・その例・・「小学校5年生算数の平均値の求め方」・・

3、5、7、9 の平均値を求めるのに、これらを足して個数で割る方法に対して、先に結果を6と想定して、それとの差を、3(―3)、5(-1)、7(+1)、9(+3)のように計算して平均値を求める方法もあります。このやり方が逆算思考で演繹法に似ています。

「ベーコンとデカルト」(図)・・やや高度ですので中学生は理解できなくても、その後高校生になると分かるようになります。

スライド3スライド4

「説明」・・・帰納法には事例の中からの共通性の発見ですが、事例を完璧に集めることはできないので、100例集めても101例目で例外があるかも知れない不安があります。演繹法では、法則から出発するので例外は出ないのですが、そもそもの法則が誤っていると危険なのです。この2つの問題点を直観的に述べたのが孔子です・・さすがです。ですから、帰納法と演繹法は両方を行うことで正しい思考方となります。

◎学習プロセス・その3「統合」法則のまとめ「FWの結成」

・・「ルールを理解したものが、そのゲームを支配する」・・

探究によって、事物を分解しながらその仕組みの中にルールや法則性を発見すると学習はさらに段階を上げます。これは学びの段階を「現象」の学びから「本質」の発見への道といえます。・・現在では、帰納法的な思考でこのルールを見つけ出さなくても、このルールや知の構造そのものを、学校授業や書籍やネットを通して学ぶことができます。・・自然科学・理科的にはそれなりの多くのルール・法則があります。・・私は文科系なので、この領域は弱くて入れません。地理学習での「FW」のところで幾分か自然科学的なことを述べますが、その程度ですので、ここは、それなりの科学や理科の専門家の人や先生に学んでください。・・

文科系的には、歴史事例から多くの「FW」を学ぶことができますし、「四字熟語」などや「短歌・俳句」などは文科的思考の「FW」のかたまりといえるでしょう。

・・例えば「面従腹背」には、強いものに逆らえないときには従ったフリはしているが、心(腹)の中では背いているのだという人間心理のルールがあります。また、「一月三舟」という言葉には、月は一つでも舟の動きが異なればその動きによって3様にみえる・・という深い言葉(仏教用語)もあります。私達は、1つの「事実」でもそれぞれの立場で受け止め方「解釈」が違いますね。そんな現実をこの用語で理解できます。このように、「FW」を多く持てば、文科系・社会科系でも推理力が増すのです。

この時に、最重要なのがこの「FW・知の構造」という本質まで学びを至らせるということです。でも現実には、多くの生徒・学生がこの時の本質理解をサボってしまい、その後の学力が伸びない状態となっています。・・それが先の「Aさんの失敗」です。

さて、こうした「FW」をたくさん持つと、それを高度な理論整理棚に収納しておきます。この棚の高度理論的知識(「概念・コンセプト」など)は、「FW」として「知の構造」となっていますのでかなり膨大となっても収納できていますし、引き出すときも、関連がある糸口から次々と整理されたものが出てきます。

ここでこの「知の構造」となった段階を図で確認しておきましょう。

 

*「知の構造」☆ブログ用「思考力1の②シート」

 スライド7
(「説明」)・・私達の知識の認識は、そのことを「知ること」(事項認識)・「それらの関係を知ること」(関係認識)・「それらの構造の仕組みを理解すること」(構造認識)・「それらの構造の意味や価値を把握すること」(本質認識)となります。ここでの「構造認識」・「本質認識」は「FW」として活用できます。最初の関係認識ができるのは探究が行われ、事項の相互の関係を分析・分類するからです。そして、構造認識の段階では、帰納法的なやり方だけではなく、演繹法的なやり方である、他の「知のFW」からの援用(活用)も必要です。

 

◎学習プロセス・・その4「活用」・・FWの援用

・・「知ること」・「解ること」・「できること」・・このつながりが学習の本道です・・

さて、めでたく適切な「FW」をたくさん持つことができると、今度はそれを使う場面です。もちろん、その途中にも、現在の「FW」を修正・改善して新しい「FW」にしなくてはならないことも多くあります。というか、私達はいつも学習していますから、学びが深まると賢くなってきて、新しい「FW」を学ぶ機会もあります。また、そもそも全世界的に「FW」が変えられることもありますから。

そうして、より適切な「FW」を持ってくると、新しく出会ったことや知識に対して、その「FW」を適応して、それを解明・解決しようとします。これが「活用」の段階です。以前に提示した「学習プロセス図」では、右側の「下りの道」です。これは、「演繹法」(えんえき・deduce)という思考の道です。

・・「演繹法」とは、「繹」(糸巻き)から糸を「演」(引き出す)という意味で、「FW」のルールを引き出して、この事例に対してどう対応するかを考えることです。・・例えば、「空を飛ぶものが羽を持つ」のなら「あの飛んでいる虫も羽を持っているだろう」と推理することですし、「あの子は毎日朝食を取っているので、朝から元気だろう」と仮定すること、さらに「草冠に日・・このルールからすると、砂漠の『漠』は水が地下に隠れてしまうことなのか」と想定することです。・・もちろん、現実には、こんな単純な演繹の推理では解決できないことが多くて、何回もさまざまな「FW」の適用の仕方を考えてみることとなります。

そして、このような思考法ができることとなると、知識を学ぶ姿勢が違ってきます。そして、その知識を他の知識とつなげようとして共通の糸を発見し「FW」を作ろうとします。知の道は、単純な知識の暗記だけでは終わりません。その後の学習が大切です。ですから、学校授業でもこの段階に達した学習姿勢の生徒・学生はよく質問します。質問がないという人は、単純「習得」段階だということです。先のAさんも、学習とは「受容」(覚える)することであり、「問うこと」(「能動」)ではないと思っていたのです。もう少し早く、彼女がこの「学習のプロセス」を理解していれば良かったのにと悔やまれます。

・・10歳頃からは、学んだことを問いながら、考えながら、覚える頭になってきているのです・・学習の「コペルニクス的転回」の時です・・

Aさんが、学習を「3R」(受容)から「3X」(能動)へと展開できていればもっと学習効果が高まったのですが・・。

*「3R・3X」

☆ブログ用「思考力2①シート」

(「説明」)・・難しい表現がたくさんありますが・・「研修用講座のシート」ですので・・、でも、ここでは「習得」の3Rから、「探究・活用」になると「3X」(探究・表現・共有「相互交換」)になり、学習活動が能動的・深みになることで、自分で考えて解答を思いつく力が付くことを理解できればよしとしましょう。中でも、「探究」(explore)が思考力を伸ばします。(もし、さらにこの図で言葉が気になる方は第1部や第2部などを読んでください・・でもここでいくつか説明・・

*日本はこれまでのマネ時代から創造の時代に移り、それだけにも3R(先進国から学ぶ)にとどまっているわけにはいかないのです。

*TLはティーチ・ラーニングで教え・学ぶこと、ESはエデュケーション・スタディで自分の考えを引き出し・そのために学ぶことです。もちろん、ESの方が学習形態としては主体的で、学力も向上します。

*ロボット脳と人間脳とは、事項の積み上げからインプットされるだけのロボット脳と自分で構想「FWなど」を考えながらそこから事項を想定する演繹型の思考ができる人間脳との違いを述べたもの・・ただし、これからはロボット脳も演繹の思考ができて人間脳に近づいています・・構造認識にまでは達していますが本質認識にまではまだ達していないようです・・本質認識は意味や価値など主観的な要素が入り曖昧なものでもあるからですが・・でもいつかはここまで来るのも・・)

 

・・ここで、このブログは終わります・・中学生には難しかったと思いますが、でも、いつか2・3年後には学ぶことですから、早く賢くなったと思ってください・・

次のブログは、「活用」のための「FW」について考えてみましょう。