◎第2部 「学習論」-1 (中高生版・小学高学年もOK) ・・第2部はできるだけやさしく説明したいと思っています・・「学習論」(2回ずつ)・「組織論」(2回ずつ)の交互に掲載します・・

~「お知らせ」・・ここから第2部です~

このブログは、「学習論」・「組織論」の2つになっております。私が、この2つを同時に考える方が自分の思考力が増すと思うのでそうしていますが、皆さんは、適宜どちらかを選んで読んでください。

「学習論」は中高生を思い浮かべて書いております。小学生でも、5・6年生ならもしかしたら理解できるかも知れません。・・分かる範囲での参加をしてみてください・・(分からないからと言って全部捨てるのではなく、分かることだけを拾って学習するのが成長の道です。次第に分かるようになります。)

また、この「組織論」は、大学生以上の大人の方を読者と想定していますので、高校生でも挑戦しようと思う人以外には難しいかも知れません。

 

 なお、多くの方々は、この第2部から読んでください。第1部は「理論編」となっていますので、それなりの研究意識がある人への対応となります。

・・第2部からでもOKなのは、結局は第1部の論述の多くを取り入れているからです・・

・・それでは・・

◎「学習論」(中高生 小学高学年生 OKだろう)

「第2部・・その1」

・・中高生の人は、第1部を飛ばして、ここから参加してもいいですよ・・

第1部のブログで述べたことは理論的なので、この2部ではそれを易しく説明します・・

 

今日のブログ・・「思考力について考える・・その1」

さて,皆さんは、学校で、「習得から活用へ」という言葉を聞いたこともあるかも知れませんが、それはどうして叫ばれ始めたのでしょう。そこから考えてみます。

1:まずは・・

◎「活用の道とは・・」

1つには、それが、現在の世界状況の中で、先進国が進んでいく「知の活用」の道だからです。日本も、約30年前から、この先進国の道を歩み始めました。それまでは、欧米先進国のマネをしていた時代でした。その頃の学習は「習得」を中心にしたものでよかったのです。そして、その頃の一般的な製品なども、比較的単純なもので、「素材物体」としての製品でした。しかし、現在は違います。身近な例でも分かるように、現在の製品は、物としての「もの」ではなく、アイディアとか知的な高度技術とかが作り出す「高度物体」なのです。ロボットもそうだし、パソコン・スマホ、さらには、化学繊維や農作物の品種改良物もそうです。

ある作家(「境屋太一」)が、数十年前に予測した「知価革命」が今起きているのです。これは、ある意味ではチャンスで、土地も資本も持たない人でも「頭」があれば起業できる時代なのです、が、別な見方からすると、その「頭」の差が目立ってくる時代なのです。だから、現在が「学習の時代」となっているのです。

2つには、私達の脳の発育が、幼い頃の「習得」から10歳頃からの「活用」に移行するからなのです。この発育は、現人類誕生からの法則ともいえるものですが、それがなぜ、今になって急に叫ばれ出したのでしょう。それは、民主化が進んで、一般人も「活用」する頭になることが可能となったからです。これまで、永いあいだ、権力者が支配する社会であったため、一般人には「活用」は抑制されてきたのです。教えられたことを「習得」させておけば、仕事だけはするので、そこに留めておこうとしていました。「活用頭」にすると、反抗し始めるからです。ただ、特別な才能がある人や特権階級で自由に「頭」が使える人たちの中からは、「活用頭」になって、工芸や建築で素晴らしい作品を作り出す人も出てきました。文科系では、高度な思想や宗教を創作しました。現在でも、千年以上前の建物や作品に驚くような技能の宝があるのも、その時代の「活用頭」の人たちの活動があったからです。さらに、文科面でも、未だに、仏教や儒教、古代ギリシャ哲学、詩歌や書などでも古代人の「活用」が生みだしたものですね。・・そう、もちろん文字も彼らが作りました。

こうした昔の才能と地位に恵まれた人たちと同じ状態に、現代人(正確には、先進国の人)の多くの人が置かれることとなりました。ほとんどの人が、一定の「習得」を終えると「活用」へと移行できるよう、知識はあふれ、学校や塾・本やネットなどで指導者や組織と出会う機会にも恵まれる時代なのです。本来の、人間の脳のルールに沿った活動が保証されてきているのです。

 

◎「活用頭の使い方」・・問題に挑戦してみよう

1:次の分類問題に答えよう。

①「花の分類」・・次の分類はどれが一番むつかしいか・・

a:季節による花の分類 b:花の色分け c:価格による分類

d:贈答花の選定

「ヒント」 現象での分類か本質での分類か ・・

②「魚のネーミング」で次のうち一番容易なのは・・

a:鱈  b:鰯 c:鯖 d:鮭

「ヒント」・・これも、現象は?本質は?・・での分類

 

○「解説・解答」 ・・高校生には易しすぎるか・・

①「花の分類」答え・・d またはc(d=分析が2つとなる・・花の性質分析・相手の気持ち・状態分析、c=買い手「市場状況」の分析・・その後それらを相関させ、結びつけるので)・・易しいのはb(目に見える色分けだから)

②「魚のネーミング」・・c(色での命名・・「現象」) dはむつかしい(他の魚との比較した性質で弱い、また、腐りやすく日持ちが弱いとの理由もあるとのこと・・「やや本質」)

*「活用頭」の最初は、「探究」すること=それはそのことを掘り下げて「分析」すること・・です。この探究で、そのことの「基本・本質」が分かれば、そのことを成り立たせている「ルール・法則」がつかめるので、そのルールを使えば「活用」ができることとなるのです。分析して基本を知って分類すると間違わない。そうでないと、単純な類似で分類してしまう。(例:サメとイルカは同 じとなる)・・・学習が進むと・・ 「現象系(見た目など)の分析から本質系(しくみ)の分析へ」が可能となる。

 

*「現象と本質」・・この2つの違いを見分けることができるようになると、脳が成長して来ているのです。

 

2:それでは、もう1つ次の問題に挑戦してみよう。

「ネコに小判」という言葉がありますが、もし「ネコに秋刀魚」ならネコはどうするか・・当然、前者はネコは食べられないし、使えない、後者は食べられる。・・

①それでは「小判と秋刀魚」とどう違うのか考えてみよう。

「ヒント」・・次の語句を使ってみよう・・「抽象」・「具象」、「直接」・「間接」

②それではネコの能力がどこまで高まればいいのだろう・・人間では何歳頃の能力までになるのか。

「ヒント」・・小判が何匹かの秋刀魚に変わることが分かるのはいつ頃だろう

③同じような諺に「豚に真珠」がありますが、やや意味合いが違います。その違いを説明すると・・

「ヒント」・・ネコの何を問題としたのか、豚の何を問題としたのか

 

○「解説・解答」

これも、現象と本質に関わる問題です。小判は、抽象物で間接的なものです。直接には食べられませんが、秋刀魚と交換できます。それが分からないから「ネコ」なのです。人間は、「抽象」と「間接」が理解できるようになるのは10歳頃かな。でも、貨幣の発達史を見ると、物々交換からはじまり、小判の登場までには時間がかかっている。その後の「不換紙幣」までにはさらに道のりがあります。背後に「金銀」の保証付きの「兌換紙幣」を経てからですから・・「活用頭」もそう簡単にできたわけではないのですね。・・この貨幣の道のり(ルール)が分かれば、「ビットコイン」の本質も分かりますね。さて、最後の2目の諺ですが、「豚に真珠」はその見た目での「現象」だけを述べたものですね。この諺ではあまり賢くはなれませんね。

☆ブログ用「第2部-3学習 シート」

 

 

   ・・・ここで休憩(「コーヒーブレイク」)しましょう・・

 

2:次には・・・

◎「活用する頭のしくみは・・」

さてそれでは、次の「図式」を見てください。難しそうにみえますが理解すれば簡単です。・・難しくみえるのは、特に中学生(小学生はもちろん)には、知らない言葉も多いですから・・でも、10歳を超えた脳は、少しづつ、むつかしい言葉も理解すれば分かる段階になってきていますから・・こんな言葉も理解できるように脳を鍛えましよう。・・「理解すれば簡単」といったのは、この「図」は、私達の学習の働きを説明したものだからです。生まれてから、今日までの10歳~15歳までに、頭の中ではこのような学び方の変化が起きているのです。

*「図」

☆ブログ用「知識学習 シート」

「習得段階」

まずは、とにかく習得です。子供がいろいろなものに興味を持って、いろいろしているには、それが何かを知ろうとしているからなのです。それが、この図の左側の「昇りの道」です。一番最初は、それが危険かどうか、次には、それは食べられるかどうか・・等々の生存に関わることの学習。・・その後には、どうしたら自分の欲求や気持ちを伝えることができるかどうか・・等々です。この「直接体験」からの学びが始まりです。その後、成長すると、聞いたり、読んだりしたことからも学んでいきます。この「間接体験」の方が、直接体験よりも広くて、深いことも分かってきます。学校時代を迎えます。

「習得から探究へ」

そうすると、たちまちに「知識量」が増え、その整理が必要となります。はじめは、時間や場所での整理・・「昨日のことと今日のこと」「学校のことと家のこと」などの整理です・・が、次第に、もっと意味のある分類が必要だと気づきます。・・「遊びの時の服と学校の時の服」「大人との話し方と友達との話し方」などなどです・・具体的な物事を、それなりの「ルール」によって分類し始めるのです。10歳を超えた頃からは、この「ルール」の発見が新たな学習となります。これが、これからの「学力」となります。適切なルールを見つけ出して新しく得た知識を分類しながら整理するのが学力となります。その時には、より適切なルールを持つことが大切なこととなります。そして、そのルールは、「覚える」ことで得るのではなく、「理解」することでしか持つことはできません。覚えただけでは、他の事例に適用できません。適用できないルールはルールとして機能しません。この時の、頭の働きは「帰納法」(きのう・induce)のやり方で動いています。・・帰納法とは、いろいろな事例の中にある共通の事例をつなげて一定のルールを見つけるやり方です。・・例えば、「空を飛ぶ鳥には皆共通して羽尾を持つ」とか「朝から元気な子供は共通して朝食を毎朝食べている」などや「暮・幕・墓・・に共通の草冠に日は何だろう・・日暮れだ・さらには隠れるということか」と発見することです。

ただし、その時に、単なる「類似」だけで共通だとするのではなく、もっと分析をして、その「しくみ・構造」から理解することが重要です。それが、精度の高い「ルール」なのです。そうでないと、「海に住んでいるからイルカは魚類だ」となります。このような誤りを避けて、一定のそれなりに信頼できるルールを発見したら、それを中心にして知識を結びつけて「知の構造・しくみ」(「仮説・FW:フレームワーク」)を獲得したことになります。

「ルールの学習・FWでの整理の段階」

現在では、自分でこのルールを見つけ出さなくても、このルールや知の構造そのものを、学校授業や書籍やネットを通して学ぶことができます。・・自然科学・理科的にはそれなりの多くのルール・法則があります。・・私は、文科系なので、この領域は弱くて入れません。地理学習での「FW」のところで幾分か自然科学的なことを述べますが、その程度ですので、ここは、それなりの科学や理科の専門家の人や先生に学んでください。・・

文科系的には、歴史事例から多くの「FW」を学ぶことができますし、「四字熟語」などや「短歌・俳句」などは文科的思考の「FW」のかたまりといえるでしょう。・・例えば「面従腹背」には、強いものに逆らえないときには従ったフリはしているが、心(腹)の中では背いているのだという人間心理のルールがあります。・・この時に、最重要なのが、この「FW・知の構造」を覚えるのではなく、面倒でも理解しておくことです。多くの生徒・学生がこの時の理解をサボってしまい、その後の学力が伸びない状態となっています。・・それが次のシートにある「Aさんの例」です。

さて、こうした「FW」をたくさん持つと、それを整理棚に収納しておきます。この棚の知識は、「FW」として「知の構造」となっていますのでかなり膨大となっても収納できていますし、引き出すときも、関連がある糸口から整理されたものが出てきます。

*「図」

スライド1

「活用の段階」

さて、めでたく適切な「FW」をたくさん持つことができると、今度はそれを使う場面です。もちろん、その途中にも、現在の「FW」を修正・改善して新しい「FW」にしなくてはならないことも多くあります。というか、私達は、いつも学習していますから、学びが深まると賢くなってきて、新しい「FW」を学ぶ機会もあります。また、そもそも全世界的に「FW」が変えられることもありますから。そうして、より適切な「FW」を持ってくると、新しく出会ったことや知識に対して、その「FW」を適応して、それを解明・解決しようとします。これが「活用」の段階です。図では、右側の「下りの道」です。これは、「演繹法」(えんえき・deduce)という思考の道です。・・「演繹法」とは、「繹」(糸巻き)から糸を「演」(引き出す)という意味で、「FW」のルールを引き出して、この事例に対してどう対応するかを考えることです。・・例えば、「空を飛ぶものが羽を持つ」のなら「あの飛んでいる虫も羽を持っているだろう」と推理することですし、「あの子は毎日朝食を取っているので、朝から元気だろう」と仮定すること、さらに「草冠に日・・このルールからすると、砂漠の漠は水が地下に隠れてしまうことなのか」と想定することです。・・もちろん、現実には、こんな単純な演繹の推理では解決できないことが多くて、何回もさまざまな「FW」の適用の仕方を考えてみることとなります。

そして、このような思考法ができることとなると、知識を学ぶ姿勢が違ってきて、その知識を他の知識とつなげようとして共通の糸を発見し、「FW」を作ろうとします。単純な知識の暗記だけでは終わりません。ですから、学校授業でも、この姿勢の生徒・学生はよく質問します。質問がないという人は、単純「習得」段階だということです。先のAさんも、学習とは「受容」(覚える)することであり、問うことではないと思っていたのです。もう少し早く、彼女がこの「学習のプロセス」を理解していれば良かったのにと悔やまれます。・・10歳頃からは、学んだことを問いながら、考えながら、覚える頭になってきているのですから。

 

ここで、今日のブログは終わります。次回の「学習論」では、この「知のしくみ・FW」の具体について学習し、「FW」を読み解いたり、つくったりできるようになりましょう。

 

☆◎「組織論・学習論」・・第1部終了

ここでこれまでのブログ(前半 第1部)の整理をしておきます。

・・これまでの記述は、理論的なものが中心となっていましたが、記述したいことの全部が整理ができていますので、「第1部」での記述は終わります。

 これから後半「第2部」では、これまでに理論的に述べたことについての、具体や個別のことについて、やや自由で私的な意見も入れての記述にしたいと思います。

そこで、これまでの記述を「総まとめ」して、これまでの記述の基となる「理論的な見解についての文書」を掲載しておきます。これまで添付した「参考資料」とかなりダブりますが、これで大分整理できるでしよう。

・・「発展版」は、論文風で理屈っぽいものですので、それなりに読もうと思われた方に・・「1-3」・「2-3」がそれ・・

1:「学習論」・・・PDF版です

1-1:「学習論入門編」テキスト

1-2:「学習論入門」PPシート

1-3:「学習論発展編」(研究紀要・プロ評価研究)

「補足のシート」・・ワードとPDFです

☆1-1:「学習論ブログ風提示」(ワード)

☆1-2(付録)「学習論・演習ノート(pp提示)」(PDF版)

 

2:「組織論」・・・PDF版です

2-1「組織論 入門テキスト」版

2-2:「組織論入門」PPシート

2-3:「組織論発展編」(研究紀要より)

これから後は、かなり自由なブログになりますので、よろしく・・

「中高生」は、この後の「第2部」ブログから参加してくれる方がよいかも・・

 

◎「学習論」・・ブログ4

◎「学習論 ブログ」・・説明4(なぜ学力向上なの?)

 

・・「その人にとって・・個人の成長と集団の存続」

○「知力の成長を保証・・」・・知識から思考・判断へ

もし、知力の成長を抑制して、考えることを学ばせないようにしたら、どのような人間となり、彼らがどのような集団を作るでしょう。おそらく、知識の習得だけに留まると、それを使っての応用がなく、判断する能力も失われることで、自覚した継続意識が育たず、人格としての自立もなく、彼らの集まりも、「集団」とはならず「集合」状態のままでしょう。目先で知ったこと以外には余計なことはしないので、こうした人々から成り立つグループは平和的であるかも知れません。ただし、本能的な欲求からのいざこざはあるでしょうが。

でも、ここには2つの危険性があります。1つは、自分で判断できないので、烏合の衆でのあやふやなまま、何となくの雰囲気で実行して大失敗することです。これは、的確な指導者が不在の時の衆愚政治の状態です。(古くは、古代ギリシャのアテナイでの民主政治の末期症状、現代日本でも、J党の末期症状に便乗したM党の衆愚状況を思い起こします。)そして、2つには、カリスマ性を持ち的確な指導者に見える誰かが現れると、それに無批判に思慮もなく追随してしまうこと。独裁国家の誕生です。(この危機的状況は、政治の末期症状での混乱期後に現れます。)

この2つは、別論「組織論」で述べた困った組織ですが、これは、「学習の不在」から起こるのです。学習不足は、自立した知的な人格の成長を妨げますので、国民的教育のない民主主義はあり得ませんし、もし、低レベルでの教育状況で民主主義が行われる場合には、衆愚化した状況を覚悟しなければなりません。ですから、「学習歴」の短い子供達には選挙権を付与していないのです。(「18歳」での選挙権が実行されるについては、余程の質の高い学習が求められるでしょう。現状を考えると疑問も残りますが・・) ともかくも、本「学習論」の目的はこうした社会状況にならないための人材つくりを願うからです。

○「知的教育の拡大が人を自立させ、歴史を進めてきた」

これまでの人類の歴史を顧みると、古代から中世期にかけて、大衆は狭い社会に閉鎖的に住まわされ、文字も習わずの状態でした。教育は、一部の支配階級のものとされ、大衆が他社会からの社会知的な刺激をうけないよう、文字により過去の人の思いや感情から学ばないようにして、知的成長をして自分で考えることがない状態に留めておくことで、支配者の安泰を図ったのです。

これでは大衆は犬猫並か猿集団ぐらいとされてしまいます。しかし、人間の脳はどうしてもその段階に留まってはいないのです。知識がたまるとそれを整理しょうと分類し、要不要の判断をして取捨選択するのです。その時の手段が言葉と文字です。古くから、大衆の中にも自覚した人材は、苦難の中も経験を深め、文字や意味ある言葉を習得する情熱を持ち続けました。体験と言葉と文字の習得、それが、人として生まれて、充分に生かされていることに通じることです。それにより人格が成長します。それ故に、それを保証する「教育」が確立しているかが、その社会の「集団」状況を決めます。「識字率」が社会集団の要となるのはこのためです。

ですから、近世になっても、アジアやアフリカには、地方ごとに孤立し、人を狭い村に閉じ込め、文字を知らせないようにした「中世型封建社会」が、数多くありましたが、文字を知った民衆が市民社会を形成したヨーロッパの国には負けてしましました。ヨーロッパ社会も、かつては封建型でありましたが、オランダ・イギリスがいち早く近代市民社会型となり、強くなりましたので、他の多くのヨーロッパ諸国もモデルチェンジを行ったのです。ここでは、多くの国民が言葉と文字を持ち、自立しているのです。19世紀後半から20世紀中頃までのわずか100年の間に、大強国と思われた、イスラムやインドさらに中国の大帝国が、あの小国であるイギリスやフランス、オランダに乗っ取られてしまいました。

知識体験が制限され、言葉も文字もない人間の社会は、社会経験が広く、文字を知った人間達の集団には負けるのです。・・文字を持った彼らは、思考し、判断するからです。思考・判断ができると、人は自立し、主体的行動を行うこととなり、応用と活用に強くなるからです。・・まずは「知的成長」がポイントです・・

(ちょっと歴史に・・近代の日本では、文字の普及が人間を強くすることを知り始めた下級武士や豪農や商家の中ら、上級武士達に独占されていた「教育(文字学習)」を自分たちにも広げる動きを進め、明治維新後に近代国家を誕生させました。身分制廃止は市民社会へのはじまりであり、国民教育は助走となり、急激に近代民主化が起こりました。これが、日本を植民地化から逃れさせ、アジアでの先進国になることに通じました。国民教育が近代化と独立の決め手なのです。福沢諭吉が『一身独立して、一国独立す』として、国民教育に邁進したのはこの理由からです。・・残念ながら、この独立した国民による民主化も、当時の国民が未成熟な人格の状態で、単純な軍事的力による政策への迎合に終わってしまったのですが・・〈当時20世紀初めは多くの国でもこうでした・・情報の伝達が不自由でしたから、また教育が一方的習得だけでしたから〉。それにしても、後から考えると、当時の指導者達の失策には大きなものがあります。朝鮮国の近代化において、内部勢力(「親日的近代化グループ」があった)への支援と併せて行う政策が、李王朝の特権的一族意識・封建制維持という頑固な保守主義とそれによる大衆の低レベル存続状況があったにしても、そしてまた、ロシアの勢力拡大への恐怖が強かったとしても、結果的に日本軍の力による支配となってしまったことが、今に続く日韓関係等のこじれを生んでしまったのです・・当時の日本政府と軍部の判断ミスと失策です。

・・やや余談・・現状の状態を理解するには、やはり歴史での原因追及が求められます。韓国の、被害歴史観・・やや自虐歴史観も併せ持つ・・も、その背景としての近代史を深く追求することが必要だろう。・・理論的な展開だということで理論的に読んでいただきたいのだが、組織論からすると、「幕藩体制」・・徳川・各大名の一族支配であり、国民国家ではなく、一族・家族国家で、かつそれを維持するための、閉鎖的身分制度・・この体制のために、近代化したヨーロッパやアメリカの植民地になろうとした幕末の日本、その時に、イギリスやフランスのマネをして維新体制(藩の解体と身分制度の破棄、中央集権・国民軍の設立・・)を築いた西南雄藩の下級武士達・・〈上級武士は守旧勢力で維新を妨害)・・その下級武士達ののエネルギー結実した幸運?・・李王朝の組織は、日本の幕藩体制に似たようなもの・・もっと、支配制度は確かであったかも・・この李王朝の両班制度と王朝の保身の解明も、今はできにくいようだが、早晩これをしなければ、従軍慰安婦が制度としては問われるが、このような状態の彼女たちはいたのだから、彼女たちの涙が日本軍に対するものであるならば、彼女たちがその背中で問いかけるものは何かを問わなければならないだろう。・・組織論からすれば、それは、近代化しえなかった、自国組織のトップ層の保身と改革運動への弾圧であろう。・・残念ながら、李王朝下では、維新は起こらなかった。そしてさらに残念なことには、近代化した日本が、欧米のマネをしてアジアの覇権を握ろうとして、壮大なムダ、膨大な損失を与えたことである。・・もちろん、これに何倍もする欧米の壮大なそれも・・)

ちょっとの歴史が長くなりましたが、「組織論」では、制度・人材・組織環境(設備・資金)を問題とするのですが、 この歴史の教訓から学ぶことは、まずは、その組織のポイントである人材では、人とその集団の有り様を決めるのは「知的教育」であり、それは、適切な言葉と文字から始まるということです。と同時に、「知的教育」の奥に、その知的有能さをいかに使うかという「知恵」の深さも必要だと思わされます。この「知恵」がないと、「有能者」(とされる人と集団)の相互対立が、無益な闘争に終わってしまいます。こうした愚行は歴史の至る所にみられますし、現在でも日常の多くを占める悲喜劇です。

○「文字の落とし穴と限界・・知恵の必要性」

さて、文字を知った人間は、それぞれの思考を持つこととなり、まとまったようでまとまっていないこともありますので、集団統制にはなじみにくいという欠陥もあります。「思想の自由」(思考の自由)が、思考の拡散と混乱を呼び、社会的混乱に陥るということです。そこで、できるだけ、文字で読める書物を規制することが必要だと考える政策が生まれます。現在にも通じる「自由」と「規制」の相克です。現憲法でも、「公共的利益(公共の福祉)」からの「規制」は認めています。もちろんそれ以前では、権力者による規制が認められていました。有名なのは、あの「秦」の「焚書坑儒」ですが、その後の王朝的な政権は、洋の東西を問わず、文字と言葉を、権力者が独占し、大衆の文字学習を抑圧してきました。その独占が、結果的には、その集団社会を滅ぼすものだと分かるのに千数百年ぐらいの年数がかかりました。自由な言論は社会の成長には不可欠なことです。

でも、この文字と言葉の自由による混乱は、現代でもいよいよ大きな課題となってきております。これに対して、「抑圧」か「指導」か「教育」か・・この3種の方策をどのように思考し実行するのかがこれからの課題です。現状では、私も具体的な予測が付きませんが、やはり、「教育」が最善でしょう。「抑圧」は、現在Ch国やNk国が大々的に行っていますが、国民レベルの向上にはマイナスです。また、「指導」は、時として必要ですが、指導では自立意識は育ちません。「教育」なら、これには元来「内発」の意味もある(education 引き出す〈educe〉こと)ことから、その集団内部の人間の成長を促すこととなりますので、集団の向上につながります。教え込むのではなく、内発し考えさせる教育のありかたが求められます。その「内発」に際しては、「偉くなりたい」有能型教育では、それぞれの欲求の衝突が起きる危険性があります。どうしても、「心の内発」が必要です。

その集団に、「学習」がないと「最低組織」になりますが、「学習」が成功しようにみえても、有能者どうしの衝突では「最悪組織」になります。本当の意味での「学習の成功」は、その有能さを使う「知恵」が必要です。

☆ブログ用「組織論3 シート」

*参考資料「自由と秩序のそれぞれの問題・これを改善する「学習」(PDF資料)

☆ブログ用「組織論3 シート」

○「知的対応力の成長を・・知恵の習得」・・文字の奥の理解による「対応力」を

そのような教育とは、文字や言葉を習得させるにしても、単純なマネや「単純反応」での学習ではなく、思考や判断を通しての「複相的対応」ができるまでの学習となるでしょう。

「知的学習の掘り下げ」・・そのための学習は、学習者が成長し、彼らが自ら「学習主体者」になるためのものとなります。そして,教師は,彼らが主体者になるように,学習の在り方について研究し,その具体化の工夫を研鑽し,学習者である生徒・学生に時に厳しく,柔しく根気よく迫り育成するしかないのです。思考・判断する学力は,コピーして伝授し,移すことはできません。学習者は,先輩・先達・指導者から得たものを,自ら分解し再構成して自分のものにすることによってのみ成長できるのです。その,分解・再構成の力が本当の学力です。そしてそれは,研究(探究)「知的掘り下げ」と応用(活用)により深まります,そしてその後高まります。

「心力の掘り下げ」・・それには、自分の有能さを「高ぶった気持ちで自覚する」のではなく、「謙虚な気持ちで自覚する」ことが必要なのです。でもそれはかなり難しいことです。それには、自分の弱さを意識し、自覚する機会が要るからです。・・全ての人が「弱さの自覚」の機会があるのですが、それをごまかして通り過ぎているのです・・とかくに「有能者」と思っている人はそうなります。「無能者」?は自覚せざるをえないのですが、そこにはまた自分の責任を他者に転嫁してのごまかしの誘惑があります・・そして多くの人がそうしています・・ですから、この掘り下げは本当に困難なことなのです。ですが、これなくしては、有能者の相互衝突、無能者の怨嗟・拗ねという「最悪組織」や社会となります。現在の多くの組織にも、国際社会にも見られる現象です。

しかし、現在の学校教育では、「積み上げ」の方向が、どうしても優先されます・・学力競争にもクラブ活動競合にも「勝利」しなければなりませんから・・「挫折」は敗者の問題であり、それは「乗り越えるべき」課題であり、教育ではマイナス事例として忌避すべきこととされるのです。それを「掘り下げる」課題だと意識するのがその人にとっても、また集団組織・社会にとっても善い道であると学ぶ機会を大切にすることが、「成熟社会」を迎えるこれからの学校教育には求められることです。「積み上げ」と「掘り下げ」をいかにして結びつけるか、多くの思考と試行が求められます。

・・以上のことをまとめると、「市民社会」では、有能者による自由競争が基調とされ、それなりの発展は遂げますが、相互の対立状況が深まり、かなりな「格差社会」となります。この対立と格差の構造を是正しながら、市民相互の共生と協働を基調とする社会へと成長させ「成熟市民社会」と転換(止揚)しなければなりません。この段階では、思考方法としては、「積み上げ」から「掘り下げ」への転換が求められるのです。

 ・・なお、この「心の掘り下げ」については、本「学習論」では、少し領域が違うので・・最終的には合体することになりますが・・「組織論」の人材育成論で述べたいと思います・・

○「教師の成長と社会の変化を」

先ほど述べたように、「思考(探究)・判断」し、さらに「応用・活用」できる「主体的学習者」を育てるには、教師の姿勢が変わらなければなりません。また、その主体が弱さを自覚した「知恵ある主体」となるためには、教師の役割も、以前述べたこともあるでしょうが、「T・E・F・P・C」の5つの役目へと転換することが必要です。

T=ティチャーとして教える顔、E=エデュケィターとして、学習者の考えを引き出す顔、F=ファシリテイターとして、その引き出した学習者の考えを相互に共有化して学ばせる役割、P=プロジェクトの支援者として、学習者の自主的な学習を推進する役割、C=コーディネィターとして、そのプロジェクトでの学習者に、外部から先進的な指導者を紹介して、学びをさらに進める役目の5つとなります。

特に、学習者を「主体的学習者」として自主的な学習を推進するために、「3R」(読み書き計算)型の習得学習から「3X」(探究・発信・共有)型の探究学習にしなければなりませんが、教師には、「E・F・P」の役目が求められます。またそれは同時に,このことを、学習者自身や保護者の人も理解しておくことも必要です。この理解がないと,学習者とその保護者からの要求により、往々にして,教師は「T」段階に留まり,学習も「受動的なもの」に陥り,学習主体は育ちません。そして,その結果,学習しても学習しても成長しないのです。・・現在の日本の教育界の現状の多くの状況がまだこの状態です。

また、その「E・F・P」の段階での教師の姿勢も学習者の成長に大きく影響します。「E・F・P」の役目を担う時にも、単純に彼らの意見を受容するのでは学習者は成長しません。やはり、主体的に思考しない場合には厳しく迫ることが必要です。ただしその際にも、彼らの本質的な成長への信頼が不可欠です。彼らが、本来的には「主体的でありたい」との願いを持っていると信じて、「どうしてそう考えたのか」・「どうしてそのプランを立てるのか」と彼らの思考の「掘り下げ」を、成長に応じて追究しなければなりません。小学生の高学年・中学生段階では、初歩ですから比較的優しく、高校生では少し厳しく、大学生ならさらに厳しく「追求」の姿勢を問わなければなりません。

・・ですがその際に、これまでの「T」(教える人)イメージが邪魔をします。学習者は、その奥には世間が、こうした追究を好みませんし、教師が「答え」を早く教えないことを恨みます。「主体的学習者」という言葉がまだ常態化していない現在、彼ら(学習者も保護者も)は「学習受容者」であることに権利意識を持っています。この段階では、彼らは「うまく答えを教えてもらえないこと」に意識を集中します。「自分で考えることを学びたいのにうまく学べない」というのではないのです。・・

これは、未だに、日本社会が、未だに「成熟民主主義」に徹しておらず、誰かのエリート集団が率いるもので、自分たちはそれに任せる選択という権利行使をしているのだという段階だからです。自分たちが、集団を動かすのだという意識以前の段階なのです。そして、エリート集団が過つと、それを批判し嘆く権利はあるのだという社会意識なのです。・・多くのマスメディアがこれをさらに煽り、いわばこれで飯を食っています・・批判できなかった時代に比べると、数段の進歩ではありますが、未成熟の段階ではあります。

多くの組織でも、指導者の失敗やミスを追求するのだが、それに変わろうとする強い権利意識はまだみられません。このような段階ですから、指導者の失敗の責任追及にも粘りがなく、また、組織の構成員である自分たちの有り様を「掘り下げ」て見直そうということにはなりません。でも、これからの「成熟市民社会」では、互いに、「追求の剛さ」と「自己の掘り下げ」ができる文化を築くことが必要なのです。そして、そのような思考ができる人材の育成がこれからの教育の課題です。。

*参考資料(再掲載)・・「教師の役割」・「3R・3X」(PDF)

☆ブログ用「教師の役割論 シート」

☆ブログ用「思考力2①シート」

◎「社会の成熟・・成熟市民社会」

・・ここで、これまでの叙述のまとめとして、これからの社会のあり方について考えてみましょう・・

○「成熟した社会システム」・・・参加型システム・・開かれた権力構造

わが国日本は、民主主義国家です。明治維新後の議会政治からはじまり、70年余前から現代型の民主政治国家となりました。国民も当初は,民主としての権力行使に戸惑いや過ちがあったが、現在ではかなりな成熟を見せています。指導者への追随の象徴であったT大学出身政治家や産業界指導者も次第に減少し、私大出身指導者が増えてきています。また、政治が政党や政治家から次第に市民的なNPOの手に移ってきています。これは、「裏を返せば、国民の成熟ではなく、政党や政治家自体のレベル低下」だという声もあり、現状のマスメディアの状況や無能政治家、さらに高等教育とされる大学の大衆化・愚衆化という状態からすると、肯定できる部分もありますが、やはり、「教育」が拡大・充実して、広く人材が広く育ってきた証といえるでしょう。政治への参加システムが多様化し、底上げができてきているのです。また、政治に頼らない社会の動きが拡大してきているのです。

 

○「人材」の成長・・

*従属(マネ時代)から参加(自覚行動)へ

それには、次のような「教育」の変化があったことによります。それを再度ふりかえってみましょう。

国や社会の状況としては,国民大衆がまだ自分で考える力が未熟な時には,やはり指導層や他の先進国に学ぶことが求められます。この社会では,大衆が学校に行けない哀しい状態であるとか,また学校に行けても,そこでは自由に思考できる段階ではなく「上からの教えを真似るだけの段階」であるなどの状態なのです。歴史では,この状態が永く続きました。そこでは,大衆は力を持たず,一部のエリート層が特権を得ていたのです。日本でも,この状態からぬけでられたのは20世紀になってからです。未だにこのような状況の国や社会は世界に見られます。

*批判型(自覚初期)から責任型(自立充実期)へ

このように,学習段階の成長は,社会の民度と関わります。たとえ,制度として民主主義が成立して大衆の選挙権が確立され、多くの権力への接近も保証されていても,そもそもの大衆が,自分で考える力を持たないと民主主義は成熟しません。下手をすれば,メディアの発達が,思考を止めた大衆に「コピペ」をさせて大衆動員数を増やし権力を握るということになるかも知れません。だから「3R」から「3X」(考え探究し,意見を述べ,互いに意見交換で学びあう)への移行は大切なことなのです。でもまだ現在の教育において多くの人が「3X」に達しているとは思えない状態です。おそらく多くの大学においてもまだまだ未熟です。皆さんはこの段階から抜け出てさらに進んでください。

もちろん個々人の学習向上なくして全体の向上はないのです・・が、この講座の目的・最終目標は,人々の思考能力の向上で,高度な産業社会と成熟した民主主義社会を造ることです。・・これからの社会を担う皆さんの成長にお役に立てれば幸いです。

そして、それには、個々の学習向上(これは「積み上げ」型学力)を、成熟した集団としての力にするための、相互の接着剤として、「心力の掘り下げ」が求められるのです。

・・なお、この「心の掘り下げ」については、前述したように、本「学習論」では、少し領域が違うので・・最終的には合体することになりますが・・「組織論」の人材育成論で述べたいと思います・・

◎「国際競争力・・日本の立場・・科学技術・産業競争・国際共存社会貢献」

○「先進グループの一員」・・(学問レベル・産業インフラ・文化社会インフラ)

1980年代頃から、日本は先進グループに入りました。そのグループでの主導権は、未だに欧米諸国にあり、これは相当の時代続くでしょうが、その中での一定の役割は果たせなくてはならない立場となりました。その役割は、1つには「科学技術や産業育成」の分野での貢献です。2つには、「文化・社会インフラの整備」の分野です。元来が、科学的思考の伝統があり、また、社会的にも共助の文化がある日本は、これまで一定の成功を果たしてきています。そして、これからの成長は、これまで述べてきたように、現実の教育の改善・改革が必要です。現在、文科省が取り組みを進めていますが、さらに、わが国が国際社会の中で生きるために次のことも大きな課題です。

つまり、国際的な支援や協力の割には、「うまいとこ取りされる」だけの状況に置かれてしまい、あまり認められない位置状況に置かれているということです。それには、わが国は、歴史的にも、中規模の国であり文明を中心に担う大国ではなく、その周辺国であること、また、70年前の大戦争での敗戦国であることなどがその原因ですが・・そのことを知った上での「知恵」についてもっと多くの国民が、特に後生の若者が考えることがこれからの課題でしょう。それには、現状の「文化・社会科的な学問」の改善が求められます。・・特に、地理と歴史の教育の改革が急務です。暗記学習から課題解決の探究学習への転換が必要です。

私の年代では、地理や歴史などの社会科学習は全くのテーマ性もなく、ただただ覚えるだけの学習でした。知識は増えたが思考は育ちませんでした。敗戦への思考的検討もなく・・あったのは、ある種のアメリカナイズされた史観かそれへの反発での社会主義的な史観で、その2つとも、主体的な思考からのものではなく外来のものでした。・・当時は、敗戦責任者の存在が強く、自己反省の機運が抑制されがちでしたが、70年を経た現在では、客観視できる状態です。「考える社会科」学習により、テーマ性を持ちながらも客観的で多角的な国際的な視野を持たすことが急務です。

○「国際競争・協調」・・日本の人材の役割

同じことの繰り返しになりますが、国際的な視点から考えてみましょう。現状の日本は、先進インフラ(産業インフラと社会文化インフラ)と教育の普及で、一定の社会的成熟と人の知的成熟・人間関係成熟に達していますが、将来においては多くの課題があります。

1つには、人口減少に伴う「社会インフラの衰退」・・これについては多くの議論があるのでここでは省略します。・・(また、教育の直接課題ではないので)・・

2つには、やはり人口減少での「有能人材の減少」です。現状の教育は人口増大期の「大衆育成教育」(これは一定水準までの平均値を目標とするもの)ですが、ここまで学習者が減少すると、その不足分を、大衆型教育を受けたアジアの人材に肩代わりされることとなり、日本の若者達の位置は低下することになります。年間約100万人の出生で、その多くが大衆教育では、将来的には多国籍企業やさらには日本企業でも、執行役員などのリーダー的職員やさらにはマネージャークラスまで多くの外国人となる可能性が高いことが危惧されます。・・別に外国人排斥ではないのですが、日本教育の今後を考えると寂しいことです・・

改善として、多くの学習者を「能力内発育成教育」へ導く展開が必要なことです。これにはすでに文科省が取り組み、「探究・活用」の推進を企画しているのですが、現状での、これまでに慣れ親しんだ「大衆育成教育」への思いから、現場での実績が追いつかないのです。その中で、どう「教育」を変え「学習」を改善し、どのような「人や人材」を育てるか・・この「学習論」でも明確な答えは出せないでしょうが、さまざまに思索はして行きましょう。

また、日本的社会の長所である、共生型の「成熟市民社会」の成長のためには、有能学習者達の協働が必要です。有能者が互いに分裂したり、普通者・無能者?たちを差別し排斥したりすれば、市民社会は終わります。それでは、未だにいつまでも成熟しないLAやARの国々など「格差是認社会」となります。そこでは、排斥され学習の機会を奪われた普通者・無能者?とされる人たちは仕事への興味を失い、反社会的行動に出ます。そうならないためには、国や社会システムとしては、*「ジーニ係数」(格差係数)が「0.3」段階を維持できるよう「セーフテイネット」の整備が必要でしょう。「教育」においては、低学力学習者が減少するように、「質」を高めながら・・・質を落としてのこれまでの大衆教育では学んでも賢くなりません、現に、たとえ大学進学率が高まっても、実は中学力レベル以下の大学では学力は上がっていないのです・・・

人口減少期を迎えた今日、「学習の質」は重要です。いかにして、できるだけ多くの学習者を「能力内発者」として成長させるか、そこに至らせる方法を志向すべきです。この「学習論」がそうした方向を支援できれば幸いです。

*(注)「ジーニ係数」=集団内格差指数・・0~0.99・・の数値となる。一般に、0.5を超えれば格差の激しい「少富多貧」社会となり、富者による貧者の反発抑圧、貧者による犯罪・暴動などの不安定な社会となる

・・さて、次回は、「主体的学習者」を育成するための中核となる「思考力」について考えてみます。

 

☆「組織論」・・展開ブログ3

組織論「ブログ3」・・「展開3」

☆ブログ用1「組織論超ポイントシート」さてここでは,「重層柔構造」の組織のあり方と運用について考えてみます。

前回に述べたように、組織の2形態である「自由」型と「秩序」型は、基本的には相反するものです。ですから、この2者の接合のためにはかなりな工夫が求められます。その工夫のポイントは、柔軟的なサブ組織によるフレキシブルな対応です。これについて、3つの対応(「TT:シンクタンク」、「PT:プロジェクトティーム」、「TP:サードプレス」)についてみていきましよう。

・・一般にいう「立法の自由さと執行の秩序制」という言葉からすると、ここは、立法の原理で運営します。つまり、「自由」的原理です。組織の活性化は、人の自主性・主体性が基本です。しかし、この自主性は主体性、独立性となり、さらには批判と反抗的態度にも通じます。それでも、組織の成熟のためには「自由」の原理は必要なことです。「自由を抑圧すれが、組織は安定したように見えますが、内部は壊死しています。しかし、無原則な自由では、組織は崩壊します。この間のバランスは微妙なものですから、組織経営者達の理念の大きさ深さと運営能力(現場対応力)が問われるところです。

*「重層柔構造」

☆ブログ用「組織論2① シート」

◎「TT:シンクタンク」

「現場からの一定の選抜によるメンバー」からなり,組織の「構想:GD」の立案・提言に関わり,「先人の知恵」「未来予見」「現場提言」の探究など知的な活動に従事します。彼らの意見・提言は組織トップ層(「CEOs」)が尊重することの約束が「制度」として明文化されることが求められます。

この小組織は、組織のブレイン(知的集団)となりますから重要なところです。ついつい、ここでは、組織本部を形成する執行責任者達は、その人選に防衛的になり、現状体制維持側の者を選択しがちです。こうして、同質集団を本部周辺に抱えて、順風時には過剰膨張したが、逆風時にその状況への応変対応ができず崩壊した組織は本当に多くあります。

もちろん、組織はその理念と実行に賛同・協力する人材を中心として形成されるものですから、彼らを中心とした人材構成が必要です。その後、この周辺にどのような人材を配置するかによって、この「TT」が、硬くて役に立たないものとなるか、柔軟で効果的な組織になるか、さらには無秩序で崩壊するかの違いが出てきます。人材のあり方やその種類については、「中核人材・・経営責任者達・その取り巻き人材」と「周辺人材・・スグレ(かなり秀でた人材)・ハグレ(反論意見を持つ人材)・コボレ(組織経営について行けない人材)」がいます。

☆ブログ用「重層柔組織・人材図」

この中核人材と周辺人材との組み合わせがポイントです。中核人材は6割以上の割合が必要です。そうでないと、無秩序組織になります。周辺人材は、俗に言う野党・批判者ともなりますので、 ~批判は、理想論で応対責任が不要なため、強く鋭くなります。・・どこでもそうです・・政治界では「国会・議会」での野党の無責任的な故の追究能力の鋭さ、マスメディアでのコメンテーターのその場その場での切れのよい舌鋒、さらに日常でも、小集会や地域会合でのにわかな関心者の理不尽なクレーム追究・・、これに対して、中核人材は現に現場での応対責任を担っていますから、かなりな力量のある人材でも、理想論を振り回すことができず、防衛対応に回ります。ですから、過半数以上の人材数が必要です。

しかし、逆に、中核層が9割以上となれば、経営責任者の奢りと取り巻き人材の佞臣化(元々は「忠臣」であったが、次第におべっか使いのイエスマン・ウーマンとなる)が起こり、幼稚な仲間集団となり、刷新力や危機対応力が落ちます。周辺人材から、彼らの姿勢を、批判や破壊でなく建設に向けながら・・これが難しいところですが・・彼らから一定の人材を選出することでこれが防げます。周辺人材は、TTに選出されたことで、責任勢力に変わる人も多くいますが、やはり、ここでは、その組織の「構想・GD」への理解と共感・共有化意識が必要です。当初は、「利害」(手当・名誉)や「情感」(TTでの仲間意識)から始まるにしても、永続のためには、やはり「組織のGD・ミッション」の理解が必要です。特に、その組織が相当な理念(「真善美聖」に関わる目的)を有しているようなものであればなおさらです。 ~政治や教育・社会救済組織はこれに属します。ここでは、金銭的な待遇だけで、批判勢力から責任勢力に変えることは、本来的ではありません。(現実にはそれが起きていますが長い間にメッキが剥げています。最近の政治・社会状況を見てもそうですね) 時間をかけて、自分たちの組織をどうするのかなど「理念・理論」について、後に述べる「TP:第三の場」を利用しての話し合いなどが求められます。もちろん、その際には、たとえその時点では対立していても、包括するような組織文化が望まれます。・・それでも、人によっては、対立構造を人生の軸にしている人もいますので、そういう人材は取り込むよりも、「敬して遠ざける」的な位置に配置することが求められます。ただし、扱いは微妙です。

さて、そうした周辺人材からは、「スグレ」からは閃き的なアイディアが出るかも知れませんし、「ハグレ」は「争臣」的な人材で、現状のあり方に議論で挑んできますので、組織は対応力を持ちます。「コボレ」は、単純だが、基本的なことや弱者からの困難点を提起しますので、改めて組織の再検討が起きてくるかも知れません。これらにより、組織は再活性化して剛いものとなります。

さらには、「外部からの人材」(他産業や退職者からの登用)が、組織の空間的視野と時間的意識を広げます。他の仕事からの視点と、長い経験を経ての吟味力が加わることにもなりますから。

・・あっと、理論に走りすぎましたが、現実には、人事配置でのバランス・・中核層の活性化、周辺層からの人材の選抜・・そして、性別・年齢の構成での工夫もポイントです。中核層も、本部の中心者の好みではなく理が通る人選が不可欠です。周辺層では、若い人は、その組織になじんでいなくて、コボレの役割を果たしてくれます。また、中堅どころは、自分なりの理想と現実が合わずにいますから「争臣」的な役割を、さらに、「年長者」の中には、時には「諌臣」的な立場を自覚している者もいるかも知れません。

*参考資料・・「重層柔構造図・人材多様図」

(PP版)・☆ブログ用「重層柔組織・人材図」

(PDF版)  ☆ブログ用「組織論4 シート」

◎「PT:プロジェクトティーム」

「現場からの自主・自発的エントリーメンバー」からなり,アイディアの発案者が中心となり,「TT」に提起し,「本部責任者・執行役員 CEOs」の了解を得て活動します。「TT」がやや理念的になりがちな時に「PT」が現場的な発案・行動を行いますので,両者は両輪といえるでしょう。これも「制度」として確立される必要があります。

この「PT」は、発案者が出ることが決め手です。それにはやはり、「自由」な組織の雰囲気が必要です。「やってみれば・・」という気持ちを後押しする組織文化が求められます。制度としては、そうした提案には、時には助成金を付けるとか、チーム編成をある程度自由に認めるとか・・の最良が必要です。自由な中では、「仲間内」での仲良しプランが提案され、それが時に「馴れ合い集団」となることもありますので、そこに、どうしても本部中枢部としては「秩序」的文化を差し込みたくなるのですが、それでは、「自由」と「秩序」がそのまま対立してしまいますので、プランの妥当性を「TT」で検討するようなシステム構築が求められます。

◎「TP・第三の場」

公的と私的の中間の場という意味の言葉であり,まるっきりのフォーマルな場でもプライベートな場でもないことから,仕事に関わる「本音」的な発言や提案が可能な場となります。この「場・時」を組織内に位置づけることが求められます。この場を、ヨーロッパでは「カフェ」や「公園」、日本では「路地」とする説もありますが、もっと身近には、職場内でのサロン的な場が現実的でしよう。コーヒーやウオーターサーバー前での立ち話、昼食時での世間話、喫煙場での雑談などもありますが、もっと積極的にこの場をつくり活用しようとする試みもあります。

例えば、週に一回は「コーヒーブレイクタイム」をつくり、職場の問題について自由な発言をする場とする。その時には、役職を離れて、ニックネームで呼び合うなど組織自由なフラットな雰囲気とします。ここでは、公式の「場」では発言できないような、リスクを伴う冒険的な提案や逆に自分の弱さからくる難しい事例への忌避など、本音の発言が出てきます。こうした発言が、案外と善いアイディアにつながったり、想定外の危機への予感に結びついたりします。「枠」を離れると、人は案外と「才能」を発揮するものです。そして、この場での意見のうちいくつかは、やがて「提言」としてまとめられ、「プロジェクトプラン」となり、「PT」で実践されることにもなります。

ここでの危惧される問題点は、仲間意識が高まりすぎての「秩序制」の崩壊です。人間関係の関係性が幼稚化していくことが起こりえます。それが、時には稚拙な種々のハラスメントに通じることもあります。それを防止するためには、「TT」を中心にしてのフォーマルな研修を適宜行うこと、「PT」の結果報告会での検討を組織的に行い、責任意識を保持させることが、組織経営者達に求められることです。

◎「具体例」のいくつか・・

・・いくつかの例を紹介します・・、主に「PT」の例で、中学高校の事例が多いですが、応用して活用のヒントにしていただければ・・・・

(1)「組織内での心の育成」のための提言

*空き地での野菜畑プロジェクト~学生・生徒が自発的に校内の空き地を畑にした・・当初は許可なく行っていたが、「企画書」を提出で認可・・

*前庭花壇プロジェクト~生徒会が新入生歓迎のチューリップを植えた ・・発案・実行も生徒会執行部・・有志が手伝い・・

*金魚育成プロジェクト~ある学校では10年来の育成を誇る・・「10年飼育」の奥にある職員・生徒・保護者の参加・尽力が存在する・・

*「間引き苗」育成計画~障害児学校での花壇作成・・・植え付け時に,指導の庭師が不出来苗を選別して捨てるよう指示・・生徒達が涙する(「私達みたいだ」)・・そこでこの苗を育成するプロジェクトを結成・・

*夏休み花壇水遣りプロジェクト~小学校生徒(児童)・保護者が夏休みに輪番で学校花壇に水遣りに・・その時に家のクーラーは切って外出の約束・・

*家庭クラブ弁当作成プロジェクト~地域農家との共同により弁当の販売・・学校行事の時に、参加者から注文を受ける・・「地産地消」の弁当造り・・

*卒業生残し靴・体操服の援助ボランティア・・生徒会が実行 ・・残された靴やジャージの再活用・・選択して途上国への支援へ・・

☆ブログ用「組織論2②シート」*「エントリー制掃除担当」・・掃除場所を、希望者が自ら選定し担当するもの。・・割当制の義務的な掃除担当制を改善できる。

(2)「第3の場」の充実のためにの工夫

*「組織内ニックネーム」=「公式ネームプレート」の横に「ニックネーム」を記して,一定日・一定時間には自由な人間関係でのコミュニケーションを行う・・R製薬。

*「自由喫茶室」や「コーヒーの立のみ場」=保護者・OB・OGなどの自由参加の場や組織員の自由発言が促されるというもの・・S区W中学校。

*「自由発案行事・・「職場対抗運動会」(D工業)・・綱引きチーム結成で・・職種・階層を超えたグループの結成・・職場の風通し進む・・離職率の減少も

*「誕生会ミニ行事」(B企業など)・・発表と祝い(チョコ程度)・・職場ムードの改善・・内発の自由発言が進むという・・

*「黙示啓発・内発(教育)」=事業所・学校での,玄関・庭園・廊下などに,自然物・文化物などを設置や掲示したりして,「ものは言わない」(「黙示」)がそれとなく雰囲気として啓発するもの。花木や俳句・川柳,絵などの展示。それには,建前的なものではなくより内面的なものに。(G高校では売店が主催する「売店川柳会」)

*「学校ネコ」や「学校犬」などの飼育・・有志責任グループによる飼育を前提として責任を持たせる。(C生徒会からの自由発案時に・・)

*「生徒作品オークション」・・生徒達の作品を売り出し・・保護者や地域の人が購入・・生徒会費に納入(アメリカンスクールでの発案)

*「理想の職員室」プラン・・10年前の希望プラン(「図を参考」)・・フォーマルとインフォーマルの調和に工夫

☆ブログ用「組織論2②シート」

*「『誉めカード』発行」・・注意ではなく褒めることに・・

*「『さしすせそ発言』プレート」設置 ・・褒めと是認の実践・・「さ=さすが、し=知らなかったね、す=素晴らしい・・などなど」

*「職場・学校川柳大会」(G高校)(K事務所)・・職場でチームを作り、輪番に「川柳」を作成・・ウオーターサーバーの場に掲示・・互いに和む・・

*「言いたいこと飛行機大会」・・相互承認と内発発言を実施(M中学校)・・「言いたいこと飛行機」は自分の本音を書いた紙を飛行機にして飛ばす大会・・「夢・希望」「困ったこと・訴えたいこと」など・・さらには「感謝・お礼など」を書いて飛ばす・・匿名自由・・(「アンケート」よりも本音が出せる・・広い気持ちにも・・)

・・もちろん、このような取り組みは「自由」を基調とするので、時として、「秩序」制を浸食し、「引きお下ろし」型民主主義の動きを勧めることがありますので、この動きを防止することは大切です。でも、「自由と秩序」の両立とバランスは大切ですから、現実には常にそれを意識するような能力と権限をもった「TT:シンクタンク」や「中枢部の人材」が望まれます。

(3)「学力向上」プランの提言・・学力向上もフレキシブルに・・

*F中学・・「学習コンテスト」・・テーマ毎にグループの競い合い ・・早押しクイズ風・・皆に問題の共有・・得点が見える化の工夫 ・・問題の工夫も(探究・活用レベル・・また提示の工夫優良)

*H中学・・「代表質問委員会」活動・・テーマ毎に希望者がリーダーになる ・・皆の質問を代表して教師に質問し、解説書を作成する

*N中学・・「00の日」の設定・・学習テーマの日に併せて、興味深い記事などの掲示・クイズ(報償あり)の作成

*生徒のミニ先生育成・・「田尻英語教師」(十数年前当時島根中学教師)の工夫がおもしろい (これはもしかして「Uチューブ」にあるかも)

*M(呉美津田高校)・・「詩のボクシング」・・即興詩への挑戦 ・・「提示された題目」での即興詩での戦いがおもしろい・・これももしかして「Uチューブ」にあるかも)

*G高校のDくん・・早朝補習の講師に(数人のグループ学習)・・生徒がその得意なテーマで先生役をする

*I高校のFくん・・「私の一押し問題(数学)」の作成と添削を自主的に・・これの先生役をして共々に学習する

*G高校・・「古典朗読発表大会」・・グループでの工夫が見所・・難解な古典を工夫して、おもしろく朗読することで、興味関心と学力向上を狙う

*Y高校・・小論文コンテスト・・クラス内で班ごとにベストを選出、その後クラスでのトップスリーを選出、さらに学年大会での選定で賞の決定に・・

(そうすると先生と当事者との添削よりも効果的・・例えばAさんは、班内の他の5人の小論を読み、またクラスでは他の班の5班のベストを5つ読み、さらには、他のクラスのトップスリーのものを読むこととなります。トータルは例えば3クラスなら・5+5+3+3=16の小論を読むこととなり、当然学習は進みます。・・先生の添削よりも学力が向上する・・それはAさんと先生だけのものだから)

 

 

◎「学習論」・・ブログ3

「学習論」・・ブログ3

この第3講座では、「FW」の効用(それがあればどれほど学習が進むか)とその作り方(その技法・ルール)について考えてみましょう。・・なお、添付シートは「パワーポイントのシート」が多くあります。この機能のあるもので開いてください。

◎「FWの例から考える」

○「地理の気候の理解」の例

例えば、地理学習で、海流の動きを理解するとしましょう。アメリカのロスアンゼルス沖の海流は寒流か暖流かを考える時・・「え! それは忘れたよ」・・と言う人が多いですが・・(同じ社会科の教員でも、地理を教えたことのない人はそう言います)・・これを「地球の動きと海流を結合したFW」で理解していればすぐに解答できます。あとの「参考シート」で図式の解説がありますが、言葉での説明をおしておきますと、地球の自転が、東方向へ回転していますので、赤道付近の海流はその反対方向に動きます。これは理科(物理・地学)で習う簡単な運動法則です。そうすると、北半球の赤道付近の海流(「暖かいから暖流」)は東から西へ流れて、陸地があれば北上します。太平洋の場合、フィリピン・台湾・日本列島へと流れてきます。だから、日本の太平洋側は暖流が流れて暖かいのです。と同時に、暖流は水蒸気の蒸発量が多いから多雨になりますし、台風も発生させます。最近は多すぎて集中的な洪水を起こします。この流れが、さらに北上して北海道の北にまで達します。さてそうすると、太平洋の東沖では、赤道付近の海流が西に流れていくので、そこへ北から海流が流れ込みます。アメリカ西海岸ではアラスカ付近からの海流(当然「寒流」です)がサンフランシスコやロスアンゼルス沖を流れて赤道付近まで流れ込みます。・・ですから答えは、「寒流」です。そして、寒流ですから、雨量は多くはないし、温度が低いから上昇気流もなく台風(アメリカでは「ハリケーン」)も発生しません。

このような海流の法則が分かると、地球の位置での「水蒸気量・雨量」のあり方が理解しやすくなります。雨のほとんどが海水からの蒸発水蒸気だから。さらに、この雨量が分かると、農業の様子が分かります。雨の多い順に、「稲(米)・麦・草原」となります。そうすると、生活も分かります。・・「米食・定住、パン食・半定住、家畜・移動」という生活様式になります。もちろん、細かくは、風の動き(「地球の自転と関係する風」・「陸地と海との関係で起きる季節風」)や地形の条件(「平地か山か・・高い山は風を防ぐ」)をみなければなりません・・これらはもう少し難しい法則ですので、ここではふれません・・「演習・FW」のシートでは解説したものがどこかにあります。

*参考資料「地理学習・・気候と風土」(簡潔なもの)・・・☆ブログ用「気候 シート」

☆ブログ用「気候 シート」

○「漢字のFW」の場合

漢字は、現在では、概念が凝縮され簡潔に知的文化度の高い表現ができるものとして、日本人の学力を高めています。例えば、「看視」と「監視」では、前者は看取りながら注意深く見守ること、後者はよくないことが起こらないように見張ることとなります。これは、漢字が象形文字でイメージがあることと、さらにその象形文字がつながり(「会意文字」)一字の文字となりイメージが深まり、意味が生まれたことによります。・・「看」は目の上に手をかざして注意深くみること、「監」は水を張った器に自分の姿を写して上から見ること、「視」は神意をみようと見つめることから来ているそうです。(「白川静博士説による」)

こうした漢字だから、文字数の割に、伝える内容が濃くなります。漢字が多いと読みにくいという人もいますが、ひらがなだけだと、内容把握に時間がかかります。日本語は、漢字とひらがながあることで、文章に濃淡ができ、頭にリズム感が生まれて機能的だといえます。

また、四文字熟語はもっと概念やイメージが凝縮されて、表現や意思伝達に便利なものとなります。この多くが中国文化によるものですから、現状の中国との関係は良好とはいえませんが、言語的な学習を行う場合には中国の歴史や文化の学習は必要なものとなります。・・「親中」:中国びいきになれというのではありませんし、逆に、「反中」で中国文化か否定でもないという、ニュートラルな立場が学習者の立場です。

この漢字の「FW」は、やはりその分類を行った「説文解字」や「六書」からの「漢字の6種類」の理解から始まります。それは、「象形・指事・会意・形声・仮借・転注」で、特に最初の4分類の理解が大切です。小学生でも、高学年になるとこの理解がもとめられ、確か4年生の国語の教科書にもこのことが記されていたと想う。この「FW」が理解できると、漢字学習に深みが生まれ、単純な漢字の書き取り学習が改善されます。その漢字の成立も知らず、イメージも感じられず、意味も理解できないまま、書き取り回数だけを強要されるとしたら、そんな学習は嫌になるだけでしょう。だから、生徒・学生も自らの学習の深まりに関心を持ち、教師も、学習の探究にまで向かうことが求められます。教師は、小学高学年生の担当以降は、「教えること」(「ティーチャーの役割」)の技法よりも「探究」という研究姿勢が求められます。自らも探究しながら、生徒・学生をその探究の道に誘う仕事(「エデュケイター」・「ファシリタイター」の役割)が大切となります。

☆ブログ用「漢字 シート」

*参考資料「漢字のFW」(簡潔なもの・・

☆ブログ用「漢字 シート」

(余談)・・しかし、自らの学力が低く発想も貧困だが、ただただ熱心な、あるいは熱心風なだけの教師が、もしいるとしたら・・いると思います、私も一時そうだったような・・小学高学年・中学では大きな学習被害が起こります。・・高校・大学では、生徒・学生の免疫力・危機回避力が高まりますので被害は少ないかも知れませんが、学力向上は起こりません。・・

現在、その危険性は、実は大きくなると思われます。・・折角、文科省が「活用学力」の奨励をしているのですが、検査結果だけに注目すると、それが誤ってしまいます。でも、結果へのこだわりがどうしても起こりやすいのが世情だからです。

・・この検査結果で学校への助成金額を査定しょうとする馬鹿な政治家・知事達の政策は現在はみられませんが、いつ復活するか危険性はあります・・こういう状況では、結果重視型の教師が主導権を持ち、昇進するかも知れません。彼らの多くは、単純思考型です。教育委員会や校長、大学学長などは余程の見識が求められます。

◎「FWのわかり方・作り方」

さて、それでは、この「FW」の作成ではどのような点が大切なのか考えてみましょう。~具体的な「FW」は、それぞれの分野・テーマで異なり、それぞれ高度な知識の複合体となるのですが、ここでは、それらに共通するルールについて考えがえましょう。

○その1:「はじまり・始原」から考える

「FW」とは「知のしくみ・構造」ですから、複雑な構造をしています。しかし、どの構造物でも、皆素材の組立からできています。その素材を知り、その組立方法を理解すれば、「FW」が理解できます。それには、その「はじまり」から紐解くことが有効です。理科では、化学式の解明がその物質のしくみの理解となります。社会の理解では、人と人の結合の仕方の理解から始まります。また、もっと遡れば、理科では分子の構造理解が、社会では人の構造理解が必要となります。

私は、理科方面での学習は深くないので、ここでは、社会的な事象での「FW」の理解と作成について述べます。

これは「組織論」で述べたことといくらか関係しますが、人は、「利害・感情・理念」を持つものですから、結合もこの3要素で行われます。人が、社会的組織を作るのは生存することが基本ですから、「利害」は基本にあります。その上で、互いの感情共有で成り立つ組織や共通理念を目標とする組織などが成立します。そうした「始原」からの分析をして一定の「FW」を保持すると、この組織はどれだろう? この組織を成長させるのはどういう方法だろう?という理解が進みます。・・ただ、この組織論は、高校生段階以上のレベルかも知れませんので、中学生以下の人は理解できなくてもいいですよ・・

先の「漢字」の発達の場合も、この始原からの成長の歴史を想うと理解が進みますね。

☆ブログ用「重層柔組織・人材図」

*参考資料「組織の成立」(簡潔なもの)・・☆ブログ用「重層柔組織・人材図」

○その2:「つながり・関係と構造化」から考える

*「類は友を呼ぶ」・・性質が近いものは互いに結びつきます。化学式でもそうなのでしょう。・・私は深くは立ち入れません・・人間関係でも、仲良しは何rらかの共通項があることが多いです。これらのつながりを解明することで、複雑な「FW」を理解し、さらには作ることもできます。

*「逆が補完する」・・性質が違うから互いに補完するためにつながることもあります。プラスとプラスでは反発し、逆にマイナスとつながるように。人間の場合でも、性格が逆の場合が却って結びつくこともります。この結合はかなり複雑な性格を持ちますので、やや難しいものとなり、高校生からの上級者の理解となります。

*「理念が統括する」・・これら「複雑なFW」の成立は、多くの場合、何か大きな「理念構想」(ビジョン)が統括する場合に成立しています。社会的な組織が複雑化して行く場合、その奥には、「「00したらよい。00すべきだ」などの理念が存在します。それが、より複雑な文化形態を成立させます。この「FW」は複雑系となります。自然科学・理科的には、より複雑な物質構造への進化や人類の誕生という複雑生命体の存在・・その奥に何らかの自然の構想・法則があるのかどうか、私には分かりませんが・・これらがより複雑な「FW」を成立させています。・・これはここまでとします。

・・この先は,かなりな「形而上学(文化論・哲学・宗教論・宇宙科学論)」となりますので・・・実は、「学習の奥行」きやそもそも「学習とは何か」・・については、こうした「形而上学(形を超えたものを学ぶ学問)」が必要となってくるのですが、これらは大人でも成熟期を迎えるころですから、この段階ではここまでとします。これについては、また機会があれば・・・

*「学習力の成長と変化」(図)・・子供達はこうして成長する

☆ブログ用「知識学習 シート」

*「補足」・・「知識記憶」について考える 

◎「基礎的知識の不足」

「FW」の話をすると、これまで、かなりの人からこんな異論がありました。それは「『FW』なんて、かなり学力が高い人の話で、私や友人(時には子供)は、そこまでは行っていないのです。先の「地理の気候」の話も、アメリカの地名は知っていてもどこにあるかが分かりませんので、イメージが湧かないのです。また、これまでの学習では、理解よりも記憶が大切と思わされてきたので、いきなり、記憶よりも理解といわれても戸惑います」というようなものです。確かに、これまでは単純記憶が勉強と思わされてきましたので、おそらく、ロスアンゼルスの名前だけを覚えてしまい、地図とは関連させなかったのかも知れません。・・こう人はかなり多くいますので、「もう学習は進まないのでサヨウナラですね」・・と言いたいところですが、それでは、日本社会の学力は上がりませんし、当の本人にとっても不幸です。頑なに、「学力は記憶だ。理解は面倒だ」という人はどうにもなりませんが、この「FW」は必要だが、自分にはその前の基礎的な知識が不足しているという人は、大いに改善の兆しが見えます。

・・それでは・・

例えば、「ロスアンゼルスの地名は知っているがそれ以外は知らない」という人は、もしかしたら、それを教えた先生が悪かったのか、それともその時に、先生は地図でその位置を確認させて、白地図にマークさせ、緯度は33度ぐらいで広島とほぼ同じ、地名はもとはスペイン語で「天使達」であるから、メキシコの文化圏(ここはかつてのスペインの植民地)に近い位置であると説明をしていたのに、聞き逃していたのかのどちらかでしょう。両方の可能性があります。結果だけを問題にする教師は、地名暗記テストか、せいぜいそれを白地図で確認するテストしかしません。「探究」が大切だと思い、学習プロセスを大切にする教師は、ロスアンゼルスに関わる事項を理解させ、どうしてそこに人が集まるのか、どのような産業が成立しているのかを位置や気候条件で探らせて分からせようとします。・・(先ほどの地名からメキシコに近いことや、気候理解から、乾燥なので果実産業と映画産業〈撮影には天候がポイント〉、位置からは軍需産業〈太平洋を抑えるための海軍・空軍〉・それに付随したIT産業などを関連させて理解させます)・・これを「マインドマップ風」に作成するほどの力量のある教師に出会うとラッキーです。これなら、地名記憶も保持できるでしょう。

・・「マインドマップ」は学習効果のあるツールです。インターネットでそのやり方を見てください。お金を払ってまでの講習は不要と思いますが、学校の先生の中にはこの効果を知っている人もいますので、その先生から学ぶのもよいでしょう。私の「FW」例でも紹介していますが、自分流に作成してもいいのです。ポイントは、その事柄の「分類」です。・・これは思考力の最初で、また核となる能力ですので、最初から完璧に分類できるわけではありません。大きな「把握力」があればうまくいきますが、ほとんどの人は、小さな「知識」から「他の知識」へとつながり、いくつかのつながりができて「関係性」が見え・・このときに「分類」ができます・・そしてやがて、それらの「関係性」がまとまって、その事柄の「構造」が分かるのです。ここまでくると「分類」には漏れがなくて完成しますが、小中学生には遠い道のりです。ですから、一度でいいものを作ろうと思わないで、何度か修正しながら完成するつもりでやりましょう。・・例えば、フランスを知ろうとすれば、「位置・風土・人々・産業・隣国関係」となりますが、小中学生には、この分類項目がすぐには出ません。これが思い浮かべられるようになるには「把握力」段階です。学習が積み重なってくる高校生までは、試行錯誤でも仕方ないです。でも、何回かこのマップつくりをすると「思考力」が成長します。・・小中学生の時には、そのマップの入り口には日本との関係(できれば広島か自分との関わり「好きな絵とか風景とか音楽とか作家とか・・いろいろ何か」)があればいいですね。そこから入るとマップつくりが自分のものとなります。・・☆ブログ用「マインドマップ シート」

しかし、現実には、この「マインドマップ」などのような探究型の学習ツールに関心もない教師も多くいて、単純小テスト作成へ向かっているのかも知れません。そうして、一過性の知識学力向上という誤った道を進んでしまうことも多いのです。これには、さらに、生徒・学生達の「低学習・低学力願望」つまりよくいわれる「よく分かる授業願望」(「程度が低いからよく分かる」「分量が少ないからよく分かる」「スピードが遅いからボケててもよく分かる」)からと保護者達の「昔の学習記憶」からのバイアスがかかります。私の経験からしても、これを防ぎ、本来の学習を貫くには余程の学習方針を組織的に立てなければなりません。指導的な教師の力量が問われます。

こうした教育の現状での問題については、前述しましたが、ただ、やや明るい状況もここでは述べてみましょう。・・文科省の方針が適切(「習得と活用」の重視)であることと、時代が変革されてきていること(多くの産業で探究と活用力のある人材が求められ、彼らが昇進していること)から、社会がそれなりの成長をしてきていますので今後の展望はひらけてくるでしょう。皆さんは、それをさらに推し進めましよう。

☆ブログ用「教師の役割論 シート」*参考資料:「教育の変化と教師の役割」(簡潔なシート)・・

☆ブログ用「教師の役割論 シート」

◎「基礎知識の学習」の方法

それでも、日常的には次のようなことに留意してください。

1:知識との出会いを多くする・・

*「地図」や「年表」を貼り常に見えるようにする。・・できれば、それに自分のメモや書き込みができるように・・シールなど使用。また、場所も変える・・慣れるから注意しなくなる。

*カード学習を取り入れる・・

カードはすぐに取りさせる・・その知識に多く出会える・・(私事だが、高校時代の英語教師K先生が「単語を机に座って覚える者は大学進学をあきらめよ。机に座ってするのは、そうしなければできないもっと高度なことだ」と言って、単語は通学時間と休憩時間に記憶するよう単語カードの作成を勧めた。また、その単語カードは、自分で作成し、かつそれは教科書にあるものとした。教科書で文章理解した英文での単語であるから、前後理解ができて、イメージしやすく、用法も理解しやすいからだとも語った。今から想起しても、なかなかの学習方法であったと思う。ついでに、それを実践した私の英語学力も大いに伸びた・・中学時代が低すぎたからかも?・・)

2:「脳の機能・構造」にあった記憶をする・・

*「リズムやイメージ記憶」を取り入れる

人類の発達史を想うと、文字はそれこそ数千年前から・・多くの私達の先祖は数百年間の歴史か・・。音声言葉でさえ数万年前から・・。それまでは、音声はリズム感、映像はイメージで理解していたと思われる。だから、私達の記憶の奥底には、このリズムとイメージが強い能力としてある。プラトンが・・いきなりで申し訳ないが、あの古代アテナイの哲人が・・音楽と幾何学を奨励したのも、音楽のリズム感が記憶を溶け込ませる薬酒のようだと考えたからだ。歌の歌詞は忘れないし、漢詩でも古典でも詩吟で覚えたものは永く記憶する。歴史物でも、映像が付随すると忘れにくいのは、脳の機能と合致しているからです。

*「反復は適度な時間で、適切な方法で」・・

記憶の法則からすると、当初は覚えているのだが、一定時間で失われる。だから適切な時間に、復習するとよい。今日の記憶をその日にするのではなく・・近すぎて記憶は落ちていないので・・翌日に行うとよいとのこと。それも、できれば単純記憶再生法ではなく、クイズ形式のように、謎かけ風がよいとのこと、頭が複雑に展開するから記憶に残ると思われる。だから、ここでは学習仲間が欲しい。また、教師も、復習時には、クイズ風な記憶再生を心がけたい。

・・より具体の実践例としては・・

地図や年表は百円ショップで、地球儀(立体的な理解ができる)もプラスチックの安い物がある。単語は単文を貼る「クリップボード」も安く入手できるらしい。・・単語や文章は自分で学習しているところと関連して作成を・・印刷した出来合いのものは学力を落とそうとする時にのみ使用すること??・・

・・地図・年表、理科の周期律表などは出来合いのものを使用するが、そこにメモなどをシールで貼り付けるなどして「自分仕様」にすること。貼っておいて眺めておくだけなら、壁紙と変わらない。ストレスを感じるだけマイナスかも。子供のためにと貼り置く親も多いと思うが・・。何とか改善して「自分仕様」の作成に心がけよう。これができないときには、その方向には「関心」が向いていないのかも知れない。その時には、子供に選択させる方法を。・・☆ブログ用「知識学習 シート」

*「参考資料」・・「知識学習のポイント」(簡潔な資料)・・

☆ブログ用「知識学習 シート」

・・次回は、「探究のための思考力」と、「なぜ学力向上なのか」について考えてみます。